第38回 早わかりクラシック音楽講座 2010/5/29(Sat)

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「楽聖ベートーヴェン・遺書を乗り越えて~革新的交響曲『英雄』」

内容
≪ 楽聖ベートーヴェン・遺書を乗り越えて~革新的交響曲『英雄』 ≫
第1部:「エロイカ(英雄)」交響曲誕生の背景
第2部:「エロイカ」って盗作?!
第3部:「エロイカ」シンフォニーを聴く
-お茶とお菓子付-

第1部
□「エロイカ(英雄)」交響曲誕生の背景
1803年、「エロイカ(英雄)」交響曲完成までの道のりは決して易しいものではありませんでした。誕生前夜、ベートーヴェンは肉体的・精神的苦痛に怯え、「遺書」まで認めます。第一の理由、それは1795年頃から兆候を見せ始めた「難聴」。音楽家にとってなくてはならない「耳の機能」に問題を来し始め、1802年になり病気がますます度を強めることになります。そして、医者の忠告に従い、ウィーン郊外の田舎ハイリゲンシュタットにしばらくの間移り住み、彼は静養に努めるのです。しかしながらどんな治療も功を奏さず、病は悪くなるばかり。ベートーヴェンは焦りました。また、1792年、22歳の年にボンから上京したベートーヴェンは、ウィーンでピアニストとして一躍人気者になり、同時に同輩たちから反感、嫉妬を買うことになりました。そういった精神的苦痛が理由の第二。さらには、当時親密な関係にあったジュリエッタ・グィチュアルディ(彼女に「月光」ソナタを献呈)に捨てられたという失恋の痛みが理由の第三。様々な状況が重なり、32歳のベートーヴェンは追いつめられました。
そして遂に、1802年10月6日と10日に遺書(ベートーヴェンの死後発見されたその手紙は「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれます)を書くのですが、遺書を書くことによって、結果、自身の中にあるネガティブ面をその中に流出、自身を鎮静させることができ、同時にいかなる苦境にあろうとも負けまいとする意志の力が働き、立ち直ったベートーヴェンは以後、傑作を累々と創出することになるのです。

遺書の直後に生み出された傑作、交響曲第2番、そして「ロマンス」ト長調をここで聴きました。これらには壁を乗り越えたことによる、穏やかで希望に溢れた想いが凝縮されています。

①交響曲第2番ニ長調作品36~第2楽章
ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団

②ロマンスト長調作品40
アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
クルト・マズア指揮ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団

写真 001

第2部
□「エロイカ」って盗作?!
そんな中、ナポレオン・ボナパルトの偉業に触発された「エロイカ」交響曲がいよいよ形になろうとしていました。実は、ナポレオンを讃える音楽については1795年の時点ですでにフランス大使から薦められていたのですが、ベートーヴェンはその時はまったく手をつけませんでした。

しかしながら、前述した難聴の進行、あるいは精神的打撃などを遠因に、幼少時の父親からの暴力がフラッシュバックし始めたことと並行し、権威をもつ人物の支配に従属するという終生のパターンから自身を解放するために、ヨーロッパの指導者たちを打倒して新たな支配者になったナポレオンに魅かれ、数年前の「要請」を思い出したかのように、ナポレオン賛歌の交響曲の筆を進めるようになったと考えられます。

作曲のさなか、ナポレオンが皇帝の地位についたことを聞くに及び、ベートーヴェンは「あの男もまた平凡な人間に変わりはなかった。今や全人類の権利を踏みにじり、自分の野望を満足させようというのだろう。彼も自分以外の全ての人間の上に立って専制者になりたいのだ」という言葉を吐き捨て、できあがったばかりの楽譜の表紙を破り捨て、ナポレオン・ボナパルトの文字を取り去り、あらたに「シンフォニア・エロイカ」という題をつけたのです。

ところで、200年余り前に生み出された「英雄」交響曲にはいくつかの新機軸があります。いわゆる伝統的ソナタ形式の間口を広げ、奥行きを深めたこと。そして、ホルンとトランペットを縦横に駆使し、ティンパニの効果を狙い、新しい感覚の管弦楽法をとりいれたこと。さらには各楽章の個性的で斬新なスタイル!(第2楽章が「葬送行進曲」、第3楽章にはじめてスケルツォを採用、そしてフィナーレは変奏曲)

とはいえ、一方で、同時代の作曲家のメロディをいくつも借り出していること、いわゆる「盗作(?)」のような行為が垣間見られるところも面白い点です。著作権という概念のなかった当時はそんなことは日常茶飯事的なことのようです・・・。
例えば、第1楽章の第1主題は、モーツァルトの歌劇「バスティアンとバスティエンヌ」序曲のメロディを借用。他にもクレメンティやケルビーニの音楽からの借用もあるようですが、残念ながら音源が手元にないため、とりあえず「バスティアン」を聴いていただきました。

③モーツァルト:歌劇「バスティアンとバスティエンヌ」K.50~序曲冒頭
ヘルムート・コッホ指揮ベルリン室内管弦楽団

もう、これはそのまんまです。参加いただいた方も一様に驚いていました。
実は、モーツァルトにもいわゆる借用があるんですよ、ということで少し横道に逸れて次の曲を。

④モーツァルト:歌劇「魔笛」K.620~序曲冒頭
ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団

そして、その元ネタであろうクレメンティのソナタを。

⑤クレメンティ:ソナタ変ホ長調作品24-2
ジョス・ファン・インマゼール(ピアノフォルテ)

これも驚きの酷似です。こういう例を聴いてみると、法に守られていない当時の「鷹揚さ」というものが芸術性をより飛翔させたとも考えられますね。現代の法律に縛られた世の中がいかに人間の才能、感性を鈍らせているか・・・。難しいところです。

さらに、ベートーヴェンは自作からも旋律を流用していることに言及しました。第4楽章の主題は「エロイカ」変奏曲の主題と「プロメテウスの創造物」フィナーレの主題の合作なのです。双方聴いていただきました。

⑥15の変奏曲とフーガ変ホ長調作品35「エロイカ変奏曲」~主題冒頭
アルフレート・ブレンデル(ピアノ)

⑦「プロメテウスの創造物」作品43~終曲冒頭
クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

さらには、第2楽章「葬送行進曲」が後に与えた影響。ということで、ショパンのものとワーグナーのものを抜粋で。

⑦ショパン:ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調作品35「葬送」~第3楽章途中まで
シプリアン・カツァリス(ピアノ)

⑧ワーグナー:ジークフリートの葬送行進曲~冒頭
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

写真 005

第3部
□「エロイカ」シンフォニーを聴く
ベートーヴェンが少なくとも第9交響曲発表以前には最高傑作と認めていた「英雄」交響曲。作家ロマン・ロランは次のように書いています。

「100年以上の時を隔てて、我々も彼と同様の判断を下す。実に『エロイカ』こそ、その全体が奇蹟であるベートーヴェンの作品のうちでも、なお際立って見えるひとつの奇蹟である。もしその後彼がなお長く生き延びたとしても、これほど幅広な歩みを一足で成し遂げることは再びできなかったろう。この曲は、音楽の偉大な白昼の一つである。それは新しい一紀元を開く。」(ロマン・ロラン「エロイカ」)

稀代の傑作「英雄」交響曲をじっくりと聴きました。

⑨交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
カール・シューリヒト指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

そして、聴き比べの意味も含めてジンマン盤を第1楽章のみ。

⑩交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」~第1楽章
デイヴィッド・ジンマン指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団

ご参加のみなさんには、ジンマン盤の方が心に響いたようです。颯爽としたテンポがお気に入りだったようで。音楽の解釈に「答」はありません。いろいろな演奏を聴き、好きな音盤を見つけることもクラシック音楽を楽しむ醍醐味ですね。

いよいよ、次回第39回は初めてのロック講座になります。諸般の事情で日程が変更になりました(7月11日(日)です)。ご了承ください。