第43回 早わかりクラシック音楽講座 2011/1/23(Sun)

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「ロベルト&クララ・シューマン~愛の音楽」

内容
≪ ロベルト&クララ・シューマン~愛の音楽 ≫
第1部:ピアノ生演奏(Piano:愛知とし子)
第2部:ロベルト&クララ、2人の出逢い~結婚の成就まで
第3部:幸せの絶頂期~「歌の年」、「交響曲の年」、そして「室内楽の年」
-お茶とお菓子付-

昨年生誕200年の記念年だったロベルト・シューマン。同じく生誕200周年だったショパンの陰に隠れ、どちらかというと大々的にとり上げられる機会が少なかったように思われますが、よく知れば知るほどシューマンの魅力溢れる音楽の虜になることは間違いありません。そして、妻クララとの恋愛や結婚生活について研究することで彼らが今日のクラシック音楽の普及になくてはならない存在であったこともよくわかり、この天才夫婦についてますます興味が募るのです。今回はあまり知られることのない作曲家クララ・シューマンの作品についても実際に聴いていただきながら楽しいひとときを過ごしました。

会の冒頭にJohn Lennonがヨーコと作った最後のアルバム「ダブル・ファンタジー」を抜粋で聴きました。少しこじつけではありますが、ロベルト&クララの共同制作活動をジョン&ヨーコのそれになぞらえて語ってみようと考えたからです。

第1部
□ピアノ生演奏(Piano:愛知とし子)
①ロベルト・シューマン:「子どもの情景」作品15~
第1曲「知らない国々」
第2曲「珍しいお話」
第3曲「鬼ごっこ」
第4曲「おねだり」
第5曲「満足」
第6曲「大事件」
第7曲「トロイメライ」
②クララ・シューマン:4つの束の間の小品作品15~第1曲

クララとの恋愛関係が絶頂の頃に書かれた「子どもの情景」から前半7曲。1838年3月18日、クララ宛の手紙でロベルトは次のように書きます。
「今僕は音楽いっぱいで張り裂けそうな気がすることがよくあります。何を作曲したのか、忘れないうちに書いておきますと―いつか君は僕に書いたでしょう、『時々あなたは子どものように思えます』って。この言葉の余韻の中で作曲したのです。つまり、これがまるで魔法の筆のような働きをして、30ものちっちゃな可愛い奴が書けました。そこから12曲選びだして、『子どもの情景』と名付けたわけです。君もきっと喜んでくれることでしょう、が、名ピアニストであることは忘れてくださいよ」

自身の内にある「子ども」の部分がロベルトにこのような名曲を書かせたのでしょうか。愛知とし子の幾分前のめりの(前向きな)演奏が、シューマンの性格を見事に適確に表現しているようです。そして、クララによる「束の間の小品」第1曲。結婚が正式に決まり、2人の愛が最高潮だった時期の作品。本当に美しい。

写真 001

第2部
□ロベルト&クララ、2人の出逢い~結婚の成就まで
1828年3月29日、18歳のロベルトは両親の希望もあり、一旦音楽への道を諦め、ライプツィヒ大学法科への進学を決めました。その翌々日(31日)にヴィーク家の夜会で初めてクララを目にすることになりますが、まだ9歳の子どもであった彼女は当然恋愛の対象にはなりません。とはいえ、8月からフリードリヒ・ヴィークにピアノを習い始めたことがきっかけで、少しずつクララとの距離は近いものになってゆくのです。

同年10月から翌年3月までライプツィヒのゲヴァントハウスで開催されたベートーヴェン交響曲ツィクルスに触れたロベルトは感銘を受けました。また1829年4月11日にはフランクフルトでニコロ・パガニーニの超絶的な演奏に触れ、そのお陰で、彼の中にある「音楽家になりたい」という夢がより一層はっきりとしたようで、いよいよ7月には大学を辞め、音楽家としての道を歩む決意をするのです。7月に母に認めた手紙からはともかく「やりたいことをやるんだ」という気持ちが伝わります。

少し時代を先に進めましょう。1834年はロベルト・シューマンにとって「最も重要な年」となりました。4月3日には自身が編集長を務める「ライプツィヒ音楽新報」第1号が創刊されます。そして4月21日、エルネスティーネ・フォン・フリッケンがピアノの弟子としてヴィーク家に下宿、すぐさまロベルトと恋に落ちます(7月には母に結婚の意志を報告)。しかしながら、2人の恋愛は結局1年ほどで破局を迎えます。エルネスティーネが庶子であることが判明したことが大きな理由のようですが、16歳になったクララの影も見え隠れするのは事実(エルネスティーネとの恋愛の真っただ中である1835年4月から3ヶ月間ほどロベルトはクララと一緒に過ごしています)。

写真 003

そして、1835年10月、ヴィーク家でショパンと初めて会い、10月20日にはクララへの想いを綴る最初の手紙が書かれ、11月25日はヴィーク家の階段で初めてのキス!(シューマンについては日記や手紙が多数残されており、いつ何が起こったのか、その時彼自身はどんな心境・状況だったのかがとてもよくわかります)というように、ロベルトは刺激的な怒涛の日々を送るのです。
ちょうどその頃に生み出された情熱的なソナタをまずは聴いてみました。

①ロベルト・シューマン:ピアノ・ソナタ第2番ト短調作品22~第1楽章
アンジェラ・ヒューイット(ピアノ)

そして、急速に愛が深まりつつある同時期にクララによって生み出された作品も。

②クララ・シューマン:4つの性格的小品作品5~第1曲&第2曲
ヨゼフ・デ・ベーンハウアー(ピアノ)

翌年9月にショパンが聴き感動したという作品。クララの作曲家としての才能には目を見張るものがあります。

◆悲嘆の年、暗黒の時期(1836年~37年)
1月、フリードリヒに2人の交際が禁止されることになります。ロベルトがまだまだ社会的に認知されておらず、経済的な問題があったこと、すでに当時人気ピアニストとして相当のお金を稼いでいた娘をそう簡単に嫁にはやれないという父親としての想い、などが背景にあるようです。2月には母ヨハンナが亡くなるものの、ロベルトは埋葬には立ち会わず、クララと密会、そのためもあってか文通すら禁止される羽目になりました。
1837年はクララへの諦めからロベルトにとっては「暗黒の時期」といわれています。絶望状態で飲酒に耽るものの、一方で美しい「幻想小曲集」も生み出されます。

③ロベルト・シューマン:幻想小曲集作品12~第1曲「夕べに」
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)

何と美しい音楽でしょう。クララへの想い、会えない不安、など様々な感情が錯綜します。アルゲリッチの表現は幾分テンポも速く、激しい感情吐露が見え隠れしますが、ここでバックハウスが「最後の演奏会」で弾いた演奏を皆様に聴いていただきたいと思い、聴き比べという形で聴いてみました。

④ロベルト・シューマン:幻想小曲集作品12~第1曲「夕べに」(1969.6.28Live)
ヴィルヘルム・バックハウス(ピアノ)

何と寂しくも崇高な音楽でしょう。参加いただいた方もその表現の違いに皆驚かれていました。聴き比べの醍醐味というのでしょうか。

写真 010

そんな紆余曲折を経て、1837年にクララが18ヶ月の沈黙を破り、自身の演奏会にロベルトを招待します。ここからいよいよ結婚に向け一気に梶が切られるのですが・・・。
8月14日に2人は密かに婚約します。もちろんそれについてフリードリヒは許しません。長い裁判の始まりです。とはいうものの、状況が厳しいがためクララへの感情はいっそう深まり、1838年~39年にかけてピアノの名作が数多く誕生します(子どもの情景作品15やクライスレリアーナ作品16など)。一方のクララはウィーンへの演奏旅行など相変わらず多忙を極め、いくつかのピアノ作品を作曲しています。

⑤クララ・シューマン:即興曲「ウィーンの思い出」作品9
ヨゼフ・デ・ベーンハウアー(ピアノ)

この音楽の主題には、ハイドンが作曲した「皇帝」四重奏曲の有名な旋律が使用されています。ウィーンでは文字通り即興で弾いたんでしょう。こちらも聴き応えのある良い作品です。

ところで、一方のロベルトは・・・、
1839年の正月、ウィーンでシューベルトの「グレート」交響曲を発見、「ベートーヴェン以後に書かれた器楽曲のうちで最も偉大なものだ」と絶賛しています。ショパンやブラームスをいち早く世に紹介したプロデューサーとしてのロベルト・シューマンの面目躍如と言う側面でしょうか。この偉大な音楽もシューマンの存在なくしては享受し得なかったものです。
※同年3月、メンデルスゾーンによって初演されています。

⑥シューベルト:交響曲第9番ハ長調D944~第1楽章
レナード・バーンスタイン指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

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