2009年1月アーカイブ

大和魂

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友人が「和職人カフェ」なるイベントを開催するというのでお邪魔した。第1回となる今回のテーマは、「折り紙・折鶴に見る日本文化」というもの。御茶ノ水にあるおりがみ会館(そんな会館があったとは!)の先生に講師としていらしていただいて、折り紙の歴史や和紙と日本文化、日本人はなぜ鶴を折るのか?折り紙といえばなぜ鶴なのか?などを懇切丁寧に解説いただき、さらには実際に特製のコーティングされた和紙を使用してカードケースの作成まで教えていただいた。
わずか2時間ほどの会合ではあったが、日本古来の文化の奥深さに多少なりとも触れることができ、有意義な時間であった。

とはいえ、都営三田線・白山駅最寄の一見風情のある会場は・・・・正直つらかった。何でもかつて遊郭であった家をほぼそのままの形で残し、貸し和室スペースとして使っているのだとか・・・。うーん、イベントのコンテンツをより良いものにすることは当然のことだが、会場に関してもその場の「気」が安定した良い場所を選べばもっと良かったろうにと残念に感じた。

若き恋~ハーモニアン

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夕暮れが訪れ、月の光が明るむ
二つの魂は合一し
至福のうちに抱き合う
~シュテルナウ「若き恋」より

1853年9月、若きブラームスはデュッセルドルフのシューマン夫妻を訪れる。11月2日にシューマン家を離れる際、ヨハネスは自身の最新作を披露する。ピアノ・ソナタ第3番ヘ短調作品5。第2楽章アンダンテ・エスプレッシーヴォの譜面に作曲者は上記シュテルナウの詩の一節を記す。ヨハネスが未来に想いを寄せるクララに無意識に、あるいは暗に贈った言葉なのか否か。まさか彼が意図的にこの詩を引用したとは思えないが、人間というもの意識下では「自分のことをすべて知っている」はずだから、無意識とはいえ「自身の気持ち」を楽譜に添えて発表したものと考えてもよいかもしれない。それほどこのアンダンテ楽章は静かでありながら劇的な感情を奥底に秘めた名曲。

国民総幸福

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26日は新月で旧暦のお正月にあたっていた。あらためて2009年を迎え、その日以来いよいよ「こと」が動き始めた感がある。
株式会社ゴトウ経営が主催する「輝き塾」のゲスト講和(5月13日)に講師としてお招きいただくことが決定した。昨年の滋賀短期大学での教養講座同様、愛知とし子とのコラボレーションになるが、いかんせん今度の場合はお客様が経営に携わっていらっしゃる方々がほとんどだろうゆえ、気分一新より内容に磨きをかけ、喜んでいただけるものにしようと気合いが入る。

「GNP(国民総生産)よりGNH(国民総幸福)が大切だ」
これは、第4代ブータン国王ジクメ・センゲ・ワンチュックが、1976年にスリランカで開かれた第5回非同盟諸国首脳会議の後の記者会見で語った言葉である。昨年、辻信一氏がこのGNHという造語をキーワードとし、東西で活動する10人の講師のスピーチを編纂した「GNH~もうひとつの〈豊かさ〉へ、10人の提案」(大月書店)を読み、痛く感銘を受けたことは前にも書いたと思う。
ブータン国王は今から40年近く前に、社会をおかしくしているのはGNPだと言い切り、GNHを国家の目標にしているという。ちなみにあるブータンの若者はNHKの取材に応え、「良いことは神様のお陰、悪いことは自分たちのせい」と語ったらしい。まさにブータン王国が「世界一幸せな国」と呼ばれる所以がこの言葉の中に如実に表れている。他人には優しく、自分には厳しく。そして謙虚に。
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桜新町での打ち合わせ後、二子玉川のO氏宅を訪問する。妻がロータリーでご一緒させていただいているO氏が、転居で手狭になるため、大事にされてきた音響機器やCDソフト、レコードなどを贈ってくださるということで、喜び勇んでお伺いした次第。
実際にものを拝見して吃驚。音楽ファン垂涎の名器が並ぶ。例えば、スピーカーはTannoy社の「Stirling」と「Mayflower」、プリメインアンプはAccuphase社製。
我家の音響設備もそこそこのものを使っていると自負するものの、さすがにこれらの製品には敵わない。1ヶ月後にいただきにあがるお約束をして、本日はお暇させていただいたが、もう嬉しくてしょうがない。ますます音楽講座が素晴らしくなる予感(笑)。(3月は講座をお休みするので4月から)最高の音楽を最高の音質でお届けしますよ!乞うご期待。(ちなみに、おそらく初期盤であろうLPのボックス・セット数種や音楽之友社刊行の「世界大音楽全集」(何と1956年刊)などまでいただけるとのこと。本当に良いのでしょうか?生きていて良かった・・・。 )

風光明媚

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昔のように気に入った音盤、音楽を徹底的に聴き込み、心底その作曲家や演奏家に心酔するということがなくなってしまった。若い頃は聴くもの全てが新鮮で、新しい知識を身につけようと必死で音楽を聴き、作曲家に関する文献を読み漁った。まだインターネットなどない時代。今ほどレコードの発売点数も多くなく、情報源といえば、月に一度書店に並ぶ「レコード芸術」などのレコード情報誌くらい。その「レコード芸術」もすでに30年近く愛読書として毎月購入しているものの、最近はざっと目を通すくらいで、隅から隅まで熟読し、欲しい音盤をチェックしたり、連載読み物を楽しみに読むということもなくなった。内容自体が面白くなくなったのか、僕自身がそういう情報に対して貪欲でなくなったのかそれはわからない。ただ昔ほどさほど食指も動かないし、発売されるのを楽しみに待つということもなくなったことは間違いない事実。惰性で買い続けているという寂しい状態といえば状態・・・。

chopin_nocturnes_afanassiev0.JPG現在、名古屋駅前のインターネットカフェ「ラウンジ」に滞在中。
昨日は、三島にあるヴァンヴェール92番館にて「愛知とし子ピアノリサイタル」が開催された。知人のマンションに併設されている豪華なホール。バブル期に8億円かけて建設されたというその設備は一級品。全72席というこじんまりとした会場ながら主にクラシックコンサート用に計算されて造られているゆえ音響効果は抜群。コンサート自体も満員御礼の大盛況で、愛知とし子自身も余裕があったのだろう、響きの美しい彼女としては割合ゆったりとしたテンポの名演奏を聴かせてくれた。
基本的にはマンションの住人たちの福利厚生的な意味合いで設置されているホールだから、お客様も住人の方やそのお知り合いの方々がほとんど。家族連れ、赤ちゃん連れなど、それこそ老若男女を問わず、多くの方にご来場いただけ、感謝感激である。CDも随分売れたし・・・(笑)。
当日はプログラムをあえて用意していなかったので、2曲ごとにピアニスト本人が楽曲紹介をしながら進めてゆくというスタイル。

ちなみに、演奏曲目は次のとおり。
第1部
・パッヘルベル:カノン(愛知とし子編曲)
・ドビュッシー:月の光~ベルガマスク組曲
・マスカーニ:間奏曲~歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」(愛知とし子編曲)
・リスト:愛の夢第3番
・ショパン:ノクターン第20番嬰ハ短調(遺作)
・ショパン:バラード第1番ト短調作品23
第2部
・日本古謡「さくらさくら」ヴァリエーション
・童謡「夕焼け小焼け」
・シューマン:子供の情景作品15~①知らない国々②珍しいお話③鬼ごっこ④おねだり⑤満足⑥大事件⑦トロイメライ
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番嬰ハ短調作品27-2「月光」
アンコール
・モーツァルト:トルコ行進曲

ハルサイ!

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先日「早わかりクラシック音楽講座」が終わった後、新年会を兼ねた懇親会をいつものようにやった。例によって大勢の方に残っていただいて盛り上がったことはその日のブログに書いたと思うのだが、その日はちょうどテーマがチャイコフスキーだったゆえ、話が「くるみ割り人形」に及んだ。この「くるみ割り」というのは本当に人気がある。その場にいたほとんどの方はクラシック愛好家じゃなかったので、もちろん全曲を知っていたわけではないが、有名な「行進曲」だったり、「花のワルツ」だったりを聴いて、子どもの頃から大好きだったという人が多かったことには驚かされた(偉大なり、チャイコフスキー)。そして、その時はデュトワ&モントリオール響の組曲版をリクエストに応じて聴き、直後、「そういえば面白いのがあるよ」と提案。例のEmerson, Lake & Palmerの「展覧会の絵」の冒頭とバーバ・ヤーガ以降、そして「Nutrocker」を聴いてもらった。ほとんどの方が初めて触れたようで、大変に盛り上がった。そしてみんなこのCDを気に入ってくれた。確かにこの音盤の衝撃度は並みじゃない。今聴いても、初めて耳にしたときの感動や興奮が蘇るほどだ。

恋の歌

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受けたまえ、ここに果実と花と葉と枝とこそあれ、
またここに、わが心あり、君にのみあこがれて鼓動つ。
真白き君が指もて、引き裂きたもうことなかれ
願わくば麗しの君が瞳に、これら貧しき捧げ物、美しとのみこそ映れ。


ポール・ヴェルレーヌ(堀口大學訳)の詩「グリーン~水彩画の章の内」の冒頭。ドビュッシーの歌曲集を聴いてみようと棚を漁って見つけたのは、スゼーがボールドウィンの伴奏で録音した一枚。全22曲、合計1時間ほどがあっという間に過ぎ去ってゆく。小雨混じる冷たい空気に晒された身体を温めるに、なんととっておきの詩であり、音楽であろうか。室内の暖かさと青年の熱い想いが重なり合い、見事な層をなしてゆく。

久しぶりに、島崎藤村の「若菜集」をひもとき、若き日に愛唱した「初恋」という一篇を思い出した。

出会い

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夕べのはらちょく君の誕生日会はとても楽しかった。本人が謙虚で嫌味がないからだろう、あれだけ多数の友人が集まるパーティーは爽快だ。

家に帰ってメールをチェックすると、友人であるスピリチュアル・カウンセラー月乃さくらさんからの久しぶりのメッセージ。初ミニアルバム「オルファージュ」を発売されたということ。ますますのご発展素晴らしいですね。僕も見習わないと・・・。

月乃さくら初ミニアルバム発売記念キャンペーン!
詳細はこちら↓
http://www.diamond-dust.jp/event_data02.html

そういえば、はらちょく君との出会いも元を辿っていくと一昨年の月乃さんの出版記念パーティーでの出会いから。人の関係というのはどこでどういう風につながっていくのかわからないものである。直感・・・、そして人との出会いを大切にすること・・・。

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オバマ米新大統領の就任演説文から、力強く、前向きに国を引っ張っていこうとする決意が伝わってくる。こういう苦難の時代だからこそ、原点に帰り、ひとりひとりの国民が謙虚に「やるべきことをやる」という責任を持つことが大事であることを強調する。

そういえば、トヨタ自動車も創業家への大政奉還を決定、6月の株主総会後、豊田章男副社長が社長に就任することが発表された。こちらも「現場に一番近い社長」をモットーに「創業の原点に回帰し、時代の大きな変化を見据え、大胆な改革を肝に銘じたい」と決意を語る。

リーダーたるもの、いつ何時でも謙虚で誠実、そして勇気ある行動を「自然体」でできなければならないと僕は思う。それは決してトップひとりの責任ではない。オバマ大統領が言うように、本当に地球上に住む人類ひとりひとりが「できることを一生懸命にやり切り」、皆で幸せになろうと気持ちを一つにすることが大事だと思うのだ。アメリカ合衆国に限らず、2009年1月20日というのは、まさに歴史的転換点にあたる日であってほしいと思う。

Yes, we can.

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本日、海の向こうの米国では「Yes, we can.」というスローガンを掲げ、バラク・オバマ新大統領が誕生する。八方塞の今の世の中だから、世間の期待は大変なものなのだろう。果たして本当に「変化」は訪れるのか・・・。これからが見ものである。

「僕たちは、何も見ていないのと同じだ。この世界は見えないもので満たされていて、宇宙は僕たちに見えているよりずっとずっと広いんだよ。」
「俺は宇宙は人間に似てると思う。・・・人間の中には、たくさんの記憶の小さな断片がバラバラに漂っていて・・・・・何かのキッカケで、いくつかの記憶が結びつく・・・その、ちょっと大きくなった記憶に、更にいろいろな記憶が吸い寄せられて、結びついて大きくなっていく・・・それが『考える』とか『思う』という事でしょう?」

扉を開けよう!

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If the doors of perception were cleansed, everything would appear to man as it truly is, infinite.
もし知覚の扉が浄化されるならば、全ての物は人間にとってありのままに現れ、無限に見える。
-ウィリアム・ブレイク

オルダス・ハクスリーは、この一節を引用し、「知覚の扉」というエッセー集を上梓した。そこで彼は、ドラッグによる幻視体験についてたびたび言及しているが、もちろんドラッグ経験のない僕にとってハクスリーの意図した「知覚の扉が清められる」ということが何を指しているのかはよくわからない。ただ、薬の力を借りずとも、「全てのものが自然体になり、永遠に見える」ようになる瞬間を感じとることは、決して特別なことではないと思う。教育や環境の影響により自分の脳に刷り込まれている「癖」を知り、勇気を出して人と直接に出会うという行動をしてみれば時空を超え、人と人とが「ひとつになる」ということがよくわかる。とはいえ、他者に依存してはいけない。あくまで「自分自身の問題」であり、その問題をクリアできるのは自分以外にいないからだ。そういう意味では誰も助けてはくれない。サポートを求めることはできても最後の行動は自分がせねば何も起こらない。
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いやぁ、我ながら本当によかったです。
「ワークショップZERO」。本日、終了後、代々木の「和民」で打ち上げ。本当に受講していただいた方の顔が変る。人はもともと誰しもユニークな存在だ。それが、長い教育や環境の中で「金太郎飴」のように同じになることを要求され、無意識のうちに自分自身を見失ってしまう。比較の中で生活し、あるときは自己を卑下し、あるときは優位に立ち、本来の自分とはほど遠い自分を演ずるようになる。
いかに「人間力」を回復するか?
まずは、等身大の自分自身を知ること。長所も短所もどっぷり浸り、徹底的に知り尽くすこと。そして、他との「関係性」の中で生きていることを認識し、他者を承認、理解すること。そのために人間と接し、体感を増やすこと。人は人と交わることで気づきを増し、成長する機会を与えてもらう。自分の本音を伝えること、他者を受容すること。自分を信じることで軸が定まり、他者を受け容れることで「想い」が増す。誰もがそもそも持っている力、それが「人間力」。決して特別な能力ではない。

自分軸三題

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不況の波は受験生をも直撃しているようだ。今日始まった大学入試センター試験に臨んだ受験生からは親の経済事情から「併願校を減らした」、「遠方の大学は諦めた」などの声が相次いだらしい。
自分の志望校を諦めることは辛かろう。ただし、自分の夢まで捨て去るわけではないのだから、それはそれでよし。18歳や19歳の頃のブランドや条件だけの大学選択ほど怪しいものはない。むしろこういうことを機に自分自身のことをじっくり掘り下げて考えられるわけだから逆に幸運といえば幸運なのかもしれない。若いときの数年のうちに自らの歩むべき方向を定めて「軸」をしっかりさせることが極めて大事。

ここ数回、東京でのセミナーを開催する際、渋谷のP社の研修室をお借りしていた。その部屋も2月一杯で引き払うことになったと聞く。当初の予定より有効活用されず、経費削減なのだと。そして同じく、セミナー会場として明日、部屋を借りることになっている代々木にある友人の会社も、オフィスとミーティング・ルームを分けていたのをこの機に一本化するようだ。先ほど部屋の鍵を借りに伺ったとき、あまりに室内が雑然としていたため、どうしたのかと尋ねたところ、突然のそういう話だったから少々驚いた。いよいよIT業界にも不況の影響が目に見えて現れてきている。今こそぶれることなく「自らの使命」を全うするべく頑張ることだ。

4人の奇跡

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人は今いる自分の位置を気にして生きている。立場を常に意識しているといってもいいだろう。あるいは年齢や経験の大小を比較の基準にしがちだといってもいいかもしれない。自分が年長の環境に身を置くと、相応の態度や対応ができる人間に自ずと変化してゆく。一方で、誰にも相談できずひとりで抱え込み、あっぷあっぷの状態になりかねないという問題も孕む。例えば、後輩や部下の前では素の自分を出せないなど。人間は決して強くない。たったひとりで生きていける人など皆無のはずだ。誰かの力を借り、そして誰かに力を貸す。その貸し借りが対等で、互いが互いを「必要としている」という状態がベスト。
それは、会社という組織の中でも通じるセオリーだと僕は信ずる。相手が新人だろうと後輩だろうと、あるいは上司だろうと、誰であろうとイザとなれば正直になれる余裕。謙虚に、しかも自信を持って。

我が至上の愛

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エリック・ロメール監督が「すべてやり尽くした」と宣言し、引退の意を表したらしい。最後の作品となる「我が至上の愛~アストレとセラドン」がまもなく公開されるようだが、これは観ないと、だ。
特にフランス映画を偏愛しているわけでもない。ましてやロメール映画の特別なファンだというわけでもない。もう20数年前になるだろうか。初めてエリック・ロメールの名に触れたのが「緑の光線」という作品。ほとんど起伏のない、まったりと時間が過ぎてゆくドキュメンタリー・タッチの映画。何となく観ていると見落としてしまうほどある意味「何も起こらない」。勝手気ままで孤独な女性主人公(名前も忘れた)が旅をして、行く先々で出くわす出来事の羅列(ただし、そういう女性でも、初めて意気投合する青年と出会ったときには幸せを感じるらしい・・・)。
夕方、海辺を歩く二人は沈む夕陽に「緑の光線」をみつける。「緑の光線」とは、ジュール・ヴェルヌの小説タイトルで、その中で、太陽が沈む瞬間に放つ緑の光線は幸福の印だということが記されている。

ひとり阿吽の呼吸

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YESの歌詞は基本的に難解。何度繰り返し読んでみても理解できない。だから頭を使うのをやめにして、呪文のように響くJon AndersonのHigh Tone Voiceと、バンドの信じられないくらいの超絶テクニック、そしてアンサンブルにただただ身を寄せる。
「海洋地形学の物語」という7作目に収録されたRevealing Science of God - Dance of the Dawn(神の啓示-夜明けのダンス)が頭から離れない。

今朝、不思議な夢を見た。ある山奥深い閉ざされた研修施設で複数の山賊のようなものに襲われる夢。ガラスを叩き割りながら刀を振り回し、素早い動きで我々を威嚇する。やばい、やられる!と思った瞬間目が覚めた・・・(爆)。悪い夢ほど幸先良いという(ほんとか?!)。明日は大崎の某ベンチャー系企業での半日研修なので、我に入らず、一生懸命やればまた大成功ということだろう・・・(笑)。

静寂の中で・・・

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静寂の中にひとりぽつんと落ちていく感覚。何も考えず、ただ外に意識を向けてみても、昨晩はどういうわけか音が聴こえなかった。3連休の最後の日で単に静かだったのか。
それとも自分自身に意識を集中したお陰で、外部の音がまったく気にならなかったのか。

漆黒の宙に吸い込まれるように眠りに堕ちていった気がする。最近は夢を覚えているが(正確には忘れないようにしているが)、昨日の夢は覚えていない。いつも熟睡する性質だが、まるで丸太のように眠り込んでしまったという証拠・・・。
フランシラ社ピートを使用したたっぷりの熱いお湯に身体を沈めて良い汗をかいた。風邪なのか何なのか体調が万全でなく、しばらく喉のイガイガがとれない。特に熱があったりするわけではなく、また日常生活に支障を来すわけでもないので薬は飲まないがどうしたものか。

わが生涯から

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ともみさんのご紹介で、雑司が谷音楽堂で催された「弦の響」にお邪魔した。18:00から先約で来客があったものだから、残念ながら途中抜け。久しぶりにお洒落な空間での室内楽演奏だったので最後までいたかった。
ちょうど聴いたのは、
・ブレバル:二重奏曲第7番、第8番、第16番、第20番
・ミシェック:コントラバス・ソナタ第2番
・スメタナ:弦楽四重奏曲第1番「わが生涯から」~第1楽章、第2楽章、第3楽章

わずか1mもない至近距離で聴く弦楽四重奏曲は圧巻。本当に感激した。この後、ブラームスのチェロ・ソナタ第1番第1楽章が披露される予定で、本当はそれを目当てにいったようなものだったが、時間切れ・・・。後ろ髪を引かれる思いで会場を後にした。
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いやぁ、楽しい新年会でした。
久しぶりにチャイコフスキーを採り上げた「早わかりクラシック音楽講座」。10名の方にご参加いただき、丸3時間好き勝手に語らせていただいた。
今更ながらだが、いわゆる職業音楽家のはしりのようなチャイコフスキーの音楽はどこからどう聴いても名曲揃いで、一部の隙もない。クラシック音楽など日常の中でほとんど聴いたことがないという人たちにも受ける、あるいはどこかで聴いたことがあるという人気・・・。大作曲家にしては生前発表した作品の数は決して多いとはいえないが、そのほとんどがエネルギッシュで、「つかみどころのある」音楽なのだから大したものである。

チャイコフスキーは、当時流行の「芸術のための芸術」よりも、生きるための創作、委嘱に肯定的だったという。いわゆる著名な大作曲家のほとんどが内的衝動からの自発的創作を主とする中で、モーツァルト同様「他人からの依頼」による創作を中心にした彼は、ある意味真の天才だったのかもしれないと痛感する。どんなに通俗的な楽曲を書いたにしても、それは決して浅薄なわけではなく、それだけ人口に膾炙する普遍的な音楽を生み出せたということである。素直に拍手を送るべきだろう。

実践生活+観想生活

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明日は第22回「早わかりクラシック音楽講座」だが、5日に帰京したとき、参加のエントリーは何とわずか1名!いかん、油断していた・・・と、焦ってインフォメーションを出したところ、あっという間に11名集まった。2年間というものひと月もパスすることなく継続してきたことが何よりの財産だと自負するが、それ以上に過去に参加した方がリピートし、さらには友人まで連れてきていただけるということが何より嬉しい。我ながらたいしたものなのかな・・・?(笑)いや、皆様に感謝いたします。

昼前から銀座で所用があったので往復の車中で「グレン・グールド 孤独のアリア」(ミシェル・シュネデール著、千葉文夫訳)を読む。グレン・グールドの脳みそを縦横に切って論じているとても興味深い本。そこに書いてあった一節。
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微に入り細を穿ちここ十数年の過去を振り返ることが必要だ。
他人には「毎日自分のとった行動を反省せよ」と教えながら、相変わらず自分には甘い。ほとんど逃避状態。本質的に「わかり」たくないのかどうなのか・・・。「知ること」を恐れているのかどうなのか・・・。やっと己の殻を破るべき時期が来たようである。どうやって破るのか、その具体的な術は不明。ただ、過去の記憶にどっぷりと浸り、自分のやった行動を省みて、良くも悪くも全てをじっくり受容してみることから始めるか・・・。

僕はこれまでロシアの大地に足を触れた経験がない。旧ソ連時代、すなわちレニングラード時代の面影が色濃く残る頃に訪問しておいた方がよいというアドバイスを受け、1999年の夏に休暇をとり、サンクトペテルブルクを訪れる予定だったものの、事情により中止せざるを得なくなったことが今でも惜しまれる。ともかく庶民には想像もつかないような広大な敷地に建造された絢爛豪華なロマノフ王朝時代を髣髴とさせる街並みをこの目でしかと確かめたかった。ドストエフスキーが歩いた、そしてチャイコフスキーやラフマニノフが楽想を閃いたその地の冷たい空気に当たりながら己の存在を確認したかったのだ。

才能と自信

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ロシアの土臭いロマンティシズム。それでいてどこか都会的な洗練されたセンスをあわせもつチャイコフスキーの音楽。久しぶりに毎日のように彼の作品を聴いていると、心に訴えかけ、記憶に留めやすく美しい名旋律が、わずか100年ほど前に生きたたった一人の人間の手によりこれほどまでにたくさん生み出されていることが奇跡のように思えてしまう。

人間は誰もが無限の可能性をもっているということはよくいわれる。ただ、そうはわかっていても皆無意識に「限界」を作ってしまう。前向きに「できる、できる」と自己暗示をかけたとしてもどこかで「それは無理なんじゃないか」とマイナス地帯に自分を追いやってしまう。昼、久しぶりの知人と会話しながら、そして黄昏時、ある女性とお茶を飲みながらそんな話題になった。いかに才能を生かすか。そして、いかに自分を信じるか。
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パソコンが普及して10数年経過する。僕自身の中でも日常生活の中で、あるいは仕事をする上でなくてはならない道具と化している。携帯電話然り。便利になったことの引き換えに、人間から人間らしい生き方を奪う原因(心身の変調を来す原因ということも含めて)になっているだろうことも明らか。

丸1日パソコンに向かって資料作りをしていると頭がボーっとしてくる。もはや死語に近い単語だと思うが、こういうのを「テクノストレス」というのだろうか。たった数時間のデスクワークでこういう状態になるのだから、年がら年中コンピューターに向かって仕事をしている人が「鬱病」などの心の問題に悩まされるということも頷ける。こういう時代だからこそ、外に出て人とコミュニケートする、それも上っ面の交流ではなく、たとえ短い時間であろうと「深く受け容れあう」交流こそが重要になる。ただし、一口に「深い交流」と言ってもどうすればそれができるのかほとんどの人はよくわからないだろう。コミュニケーションは人から教わるものではないという概念が不思議にあるから。
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今週末は「早わかりクラシック音楽講座」。本当に早いもので22回を迎える。ちょうど2年前、退職を機に友人からクラシック音楽の聴き方を教えてほしいという依頼があったのがそもそもの始まり。音楽の専門的な勉強を一切したことがないからあくまで僕なりの観点(人間性や歴史的背景など)での拙い講義になると思うがそれでも良いかと尋ねたら一向に構わないという返事だったので二つ返事で引き受けた。
何でもそうだが、たとえプライベートな小グループでの集まりであれ、初めての催しは緊張する。1週間くらいああでもない、こうでもないと悩みながらも試行錯誤し、レジュメを作成した。それでもさすがに人前で話すことには慣れていたせいもあり、当日はお客様に随分楽しんでいただけたようで、ホッと胸を撫で下ろしたことを昨日のように思い出す。
それからほぼ毎月のペースでの開催。それにたいして告知宣伝をしているわけではないのだが、毎々10名前後の参加申し込みがあり、ちょっとしたサークル的なノリにもかかわらず楽しんでいただけているようで、僕としてもとてもやりがいを感じている。ともかく人に喜んでもらえるということがいかに人間の「生きがい」、「幸せ」、「癒し」につながるということか・・。

本日帰京

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「自分らしく生きるとは?世界(外)に向けて何ができるのか?」
帰りの車中で少し頭を冷やしながら考えていたこと。

いよいよ激動の、そして飛躍の新しい年が始まる。新宿西口から自宅まで歩くと、街は相変わらずの賑やかさ。昨年後半から政治でも経済でも、そして社会面においても、どこをどうひっくり返しても暗いニュースがあとを絶たないが、何だかそういう情報も嘘のよう。
いただいた年賀状をざっと見渡しても、「未曾有の不況」などといわれる時代にもかかわらず、それぞれが前向きに大いなる目標を持って生きていこうと決意する言葉が並ぶ。人それぞれがそれぞれに今の生活を楽しんで、そして未来に向けて希望を持って生きてゆけば難なく乗り越えられるのではなかろうかと思われるほど。いや、 「不況」などというのはマスコミが作った幻想で、それこそ情報に左右されて皆の財布の紐が固くなってしまっているだけなのではないか・・・。

幼年の思ひ出

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mariya_takeuchi_impressions.jpgあっという間の年末年始休暇。
いよいよ明日から本格的に2009年が始まる。本日「近江神宮」に参拝し、破魔矢と御神札(天照大神)をいただく。気持ちを新たに本年の健康、商売繁盛を祈願。

相方が子ども向けリサイタルのプログラム用にシューマンの「子供の情景」の練習をスタートした。そういえば、つい先日ハイドシェックの「子供の情景」&「子供の領分」ほかがリリースされた。購入するなり3、4回連続で聴いたが、予想に違わない素晴らしさ。去年の6月のリサイタル時のアンコールで披露された「トロイメライ」を自ずと思い出す。お洒落でセンス満点、夢心地の音楽。

 

シューマン:「子供の情景」作品15
第1曲:異国から
第2曲:珍しいお話
第3曲:鬼ごっこ
第4曲:おねだりする子供
第5曲:満たされた幸福
第6曲:大変なこと
第7曲:トロイメライ
第8曲:暖炉の傍で
第9曲:竹馬
第10曲:生真面目
第11曲:怖いぞ
第12曲:眠る子供
第13曲:詩人のお話

sennensugi.jpgあけましておめでとうございます。2009年始まりましたね。
1年の計は元旦にありということで、今年はよりたくさんの方々に幸せになっていただこうと仕事にもプライベートにも一層精進しようと決意を新たにしたところです。
そんな中で今年の課題は営業。まず、対象をどこに絞り込むか?そして、どういう切口で提供するか?さらには、いかに販売チャンネルを開拓するか?この数日の休暇である程度考えを整理してみようと考えています。

ところで、昨日は岐阜県瑞浪市にて除夜の鐘を突き、初詣三昧。今年の抱負を祈願する。その後、中仙道の宿場の一つである「大湫宿」にある神明神社の「千年杉」に立ち寄る。その名の通り樹齢千数百年もあるであろう大杉はまるで後光が指すような見事さ。樹の持つ神々しいばかりの「気」をいただき、英気を養う。感謝。
そして、本日は滋賀県信楽町にて一家団欒楽しく過ごす。大勢で囲む鍋はまた格別。相変わらず空気は澄んで気持ちよい。明日は多少の雪が残る飯道神社詣での予定。最高の2009年にするために・・・。

2010年1月

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