2009年2月アーカイブ

情熱の国スペイン

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情熱の国スペイン。池川兄弟・兄のヒロさん(池川寿一氏)によるフラメンコ・ギターを聴いた。スパニッシュ・ギター一本での「うねり」のある熱いパフォーマンスとバイレ、ローラさんの迫真のフラメンコ・ショー。生演奏ではほとんど初めての体験に近いと記憶するが、ラテン民族、特にジプシーのもつ力強さと、哀愁感が入り混じった心の襞にこびりついた汚れを掃除してくれるような爽快感をもたらす超近接ライブだった。

下北沢フェアグラウンドで催された「ベルビュー・サロン#1」にお邪魔する。友人のちっきー君が「スクーリング・パッド」で得たネットワークを中心に見知らぬ様々な人々が行き交う場を提供しようと始めた会の第1回目。有機野菜を中心の美味しい「野菜料理」を存分にいただき、これまた美味しい赤ワインに舌鼓を打ちながら、初対面の方々と楽しく交流させていただいた。こういう方々が集まる場所は本当に熱い。ちっきー君、ありがとう。また機会をみて参加したいと思います。

TANNOY Stirling/HW

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雪混じりの都心の午前。今日はまる一日「引越し」作業に追われた。軽トラックをレンタルし、向かう先は二子玉川の知人宅。以前ブログで書いたように、ご自慢のオーディオ装置一式をついにいただける日が来たのだ。スピーカーはTANNOYのStirling/HWとMayfair(これだけでもう70万円相当)。それにアンプがAccuphaseのE-305、他にもアナログ・プレーヤー、CDプレーヤーなどなど。しばし歓談後、喜び勇んで家路に向かったが、自宅がエレベーターなしの4階にあるものだから、搬入が予想以上に大変。何せスピーカー1本が30kgくらいあるのだから、これらを担ぎ上げながら上り下りを都合5回ほど。さすがに一人では運び切れないだろうと予想し、事前にH君に搬入だけ手伝ってもらえるようお願いしておいたが、大正解。本当に助かりました。感謝です。

それにしてもこれほどの筋力トレーニングをしたのはいつ以来だろう(笑)。とにかく身体中の筋肉に乳酸が溜まっているのが明らかで、だるくて仕方がない。何もやる気が起こらないくらい「疲労」してしまっている(昔、部活動などで猛練習をした後の疲労感と同じ)。まぁ、体が相当鈍っているということなのだろうから、これを機に多少の運動を日々課す事にしてもいいのだけど・・・(先日の健診では骨密度が平均より多少低いと指摘されたこともあるし・・・)。
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要らない書籍を処分しようと本棚を整理した。2年前引っ越す時に、漫画本などほとんど読まなくなったものをおそらく1000冊近くBook offに売ったが、査定が相当厳しく大した金額にならなかった。今回はAmazonなどを使ってみようかと思っているが、不要な書籍のほとんどは、おそらく一過性の、つまりその時代、その時期に流行った啓発本や社会・経済・政治絡みの評論書だったりするので、一方で欲しい人なんていないだろうとも考え、いっそのことゴミ箱行きにしてみてもいいのかなとも思っている。果たしてどうしたものか・・・。

「思い込み」というのは恐ろしいものである。社会に適応するのが苦手な人に限って「思い込み」が激しい(逆に、そうだから適応性が低いんだろうけど)。会話をしていても、実はあまり聴いていないことが多い。勝手な憶測でモノを言う。人に伝わる間に、推測が推測を呼び、勝手な尾ひれをつけ、とんでもない話になっていることもよくあることだ。勝手に想像しないこと。そして、他人の話はよく聴くこと。そう、まさに「傾聴」である。
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1年前は何をやってたんだろうなどと思いながら、時折、自分の過去のブログ記事を見返すことがある。採り上げている音盤と書かれている内容を見ると、即座にその時の光景が眼前に蘇るように思い出される。
相変わらず時間の経過の速さを痛感すると同時に、過去がすでに過去のもので、その過去に振り回されることなく、「今」と真剣に向かい合うことの大切さをあらためて実感する。たくさんの人と出逢い、そして多くの人々と対峙し、語り合ってきた。どの経験も「今」を形成する大事な「点」である。もはやほとんど連絡を取らなくなってしまった人もいる。もちろん喧嘩をしたというわけではない。ただ縁が遠くなった。一方で、日々新しい出逢いが生まれ、長い時間をおいて再び縁がつながるということも多い。
今の自分に必要な情報と、今の自分と対等に交われ、協力関係が維持できる人間関係が、まるで目に見えない糸でつながれているかのように形成される。何度もしつこく書く。「決める」こと、「意思を明確にする」ことが重要。
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免許証の更新をした。取得したのが1985年8月12日(何とあの日航機事故の当日!)だからもう24年だ。何度も更新手続きには訪れているが、やっと「ゴールド免許証」を手にすることができた(万歳!笑)。2年前まで、会社勤めをしている頃は、ほぼ毎日のように社用で車を運転していた。運転すれば違反をすることもあれば、時には事故に遭遇したりする。若気の至りか、2週間の間に駐車違反3回、スピード違反1回と目も当てられないような早さで免停になったこともあった。今となっては懐かしい。

それが、独立をして日常ほとんど運転をしなくなった。もちろん車を所有しないという事情もある。それに何より、居住地が新宿ということもあり、交通の便がとても良く、基本的に歩くことが嫌いではないという性質も相まって、まったくもって車のないことの不便を感じなくなったことが大きい。お陰で都合5年間無事故無違反ということになり、結果「優良運転者」の仲間入り・・・。

決めること

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人生はすべてが選択の連続。「決める」ことが大事。
先週末の2日間、福岡でのセミナーを開催したが、少人数ながらご参加いただいた方々に喜んでいただけたようで本当によかった。ほんの一瞬延期するかどうか迷ったものの、本来の目的に還り、ひとりでも多くの方に変化のきっかけと気づきを与えられるならと、腹を据えてやってみてよかったと心底思える。
物事を実行する時には、様々な障害や問題が行く手を阻む時がある。あるいは自己利益を最優先するあまり目的・初心を忘れることもある。何のためにやるのかを都度顧みてひとつひとつ大事に行動することにしよう。

今回のセミナーには、M君という学生が参加した(彼は4月から新社会人だ)。彼の口癖は「どっちでもいいです」。セミナーの第一日目が終了したあと、3人で食事に行くことになり、「一緒に行くか?」と聞いたら「どっちでもいいです。」と答える。「じゃあ、帰れ」と言ったら、「行きます」と言ってついてきた(笑)。
行きたいなら最初から行きたいって言えばいいのに、自分の意思を明確にすることを敢えてしないのか、年上を前に緊張して遠慮しているのか、それとも本当に「決められない」のか、曖昧な返答はもどかしい。責任を回避しているかのような答だからだ。おそらく、今までの人生でそういうパターンを繰り返してきたんだろうから、そのあたりを責め立ててもいけないのだが、何だか、遠慮と意思を明確にしないことを混同しているようなので、「どっちでもいいです」という言い方はこの際やめるようアドバイスしておいた。

すっきり

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「ワークショップZERO」福岡コース、第1日目終了。少人数ながら、やはり良いものです。
終了後、天神の温泉にゆっくり浸かって、生ビールを一杯。生き返ります。
明日は、第2日目。より一層濃い一日になります。

それにしても久しぶりの福岡は最高!
3ヶ月に1回くらいは来れるようにしたいな・・・。

いざ福岡へ

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生憎の天気。東京でも薄雪が積もるなどと予報されていたが、さすがに雪にならなくてよかった。明日からのセミナーに備えて、あれこれと思案する。特に、少人数の場合に相応の成果を得るにはいかにファシリテートしていけばよいのかを頭の中でシミュレートしながら身支度。ともかく楽しんでこよう、そういう気持ち・・・。

チベット体操をやっていると、突然閃きが降りてくる。来月の滋賀ダイハツの社内塾の講演内容をどうするかイメージが湧いてきた。
1.「結果の質」向上のために「関係の質」を改善することが大事だということ、2.「関係の質」向上の秘訣は親和のコミュニケーション、そして「傾聴」、3.相手を理解すること、そして感じること、4.人間の脳はコンピューターほど利口じゃない。何度も反復し、継続することが大事。
などなど、「人間力向上」のヒントを提示しながら、クラシック音楽を聴くことの効用に結びつけようかと・・・。ちと、無理がありますかね?(笑)ともかく良いものにします。
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人が成長してゆく姿を見ると嬉しくなる。
K君が3月から大阪に転勤する。そもそも本社が大阪にある大企業なのだから、いよいよ大きな夢を叶えるための第一歩踏み出したというところだろう。それに、彼はもともと関西の人間だし・・・。K君には1年半前に「ワークショップZERO」を受講していただいた(そして10ヶ月前に再受講も)。初対面から真面目で人当たりのいい性格を醸し出してはいたが、その内に秘める闘志のようなものは人一倍強く、前向きで行動的なところがかっこいい。
恵比寿の「ジャックポット」で、共に受講いただいた同期メンバーとのK君送別会。
学生N君曰く「セミナーを受講して以来、彼女から『本当に変ったね。そのセミナーは凄い!』と驚かれている。それに、お陰で第一志望の企業に内定をいただき、4月から希望をあらたに新社会人として頑張っていける」と。とても大学4年生とは思えないほど、考えや行動がしっかりしている。セミナーのお陰と言われると気恥ずかしいが、実際その通りなのだろう(自画自賛・・・笑)
同じく公認会計士E君曰く「自分の成長もさることながら、人間関係が見違えるほど良くなった。それに、自信が持てるようになったから独立できた」のだと。素晴らしい!
そして、K君。ここ数ヶ月の急激な展開。前のめりに突き進む姿が微笑ましい。
こういう人間関係をわずかな時間の中で作り、共有できるところがセミナーの良いところ。明日いよいよ福岡入りだが、週末のセミナーも最高のものにしたい。

叡智

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人はそれぞれ自らの中にもってうまれた才能があり、やらなければならない使命がある。意識を外に。
心身が随分軽くなったお陰でフットワークも軽くなった。知人の主催する「経営者交流会」に参加した。20名ほどに限定されたパーティーで、ほとんどの方と親しくお話もでき、とても有意義だった。感謝。

先月受診した健診の結果説明があった。概ね問題なし。ただし、同年齢の平均に比べ骨密度が若干低いのだと。先生からは「PCの前に座ってばっかりで運動してないでしょ」と諭されたが、少なくとも日常ではなるべく歩くことを癖にしているので、まったく運動してないわけじゃないと反論した。思い当たる節があるとすれば、菜食生活を基本としているところか。菜食中心だとカルシウム不足に陥るのか、本格的なベジタリアンの方々はサプリメントなどで不足の栄養を補給しているという話を聞く。さすがにサプリメントというのは抵抗があるので、どうしたものかと思案。完全に菜食主義者になったわけではないので、そのあたりはゆるりと解決策を講じるとしよう。

酒は飲んでも・・・

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酒は飲んでも、酒に飲まれちゃいけない・・・。
僕も決して酒に強い方ではない。特に、体調が思わしくない時は、たとえそれが1、2杯のグラスワインだとしても酩酊状態になってしまい、つい居眠り状態になってしまうこともある。サラリーマン駆け出しの時代、(その時は随分飲まされたのだが)前後不覚になり、酒宴の席で半覚醒状態に陥り、コップの水をかけられ怒鳴られたこともあったくらい(笑)。若気の至りということなら許されるにしても今となっちゃそうもいかない。
友人に言わせればそれも「気」の問題らしい。「酔わない」と決めたら「酔わない」のだと。確かにそうかも。「気合い」で飲むのか(苦笑)?!いや、何より無理をしないことだ。人のふり見て我がふり直せ。

日本は「飲みニケーション」という言葉があるくらいだから、ビジネスにおいて酒宴はかかせない。お酒は万病の薬という言い方もあるくらいだから、手段としていかにうまく使うかを考えれば、逆にスムーズに事を運ぶための潤滑油にもなる。要は、何事も「過ぎたるは及ばざるが如し」で、適度が良い・・・。

復活!!

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GDPの2桁減というのは35年ぶり、戦後最大の経済危機だという。つい先日読んだ新聞には、世田谷のある女性会社役員の街角インタビュー記事が掲載されており、「年収が大幅に下がったわけじゃないが、将来への不安から財布の紐が固くなる」というような内容が書かれていたと記憶する。
そう、今ほとんどの人が抱えているであろう「不安」。余裕がないとき、人は誰でも自身の身を守るために「自己防衛」に走る。その「防衛」が過剰になり、自分のことばかりを考える人が増えると、その組織は衰退化する。「景気」とはその字の如く「気」の問題。今の景況感は、日本国民の大半が、何となく「不安だから」お金を使わず貯めこもうという考えに至ることで、経済が機能不全に陥っているようなもの・・・。

とはいえ、そう簡単に未来への「不安」が消えるわけでもない。どうすれば「不安」でなくなるのか?答えは極めて単純。「今」を生きること。「今」を生きるとはどういうことか?自分を信じること。そして、自分のことだけを考えず純粋に人のために動くこと。

おお、信ぜよ。わが心よ!おお、信ぜよ。
失うものは何もないのだと!
~マーラー:交響曲第2番「復活」第5楽章

デトックス

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人って意外に狭い世界でだけ生きている。特に、今いる環境に左右され、そこしか見えなくなっていることもままある。「情に篤い」人に限って、自分が何とかしなければとか、自分がいなければダメなんだくらいの意気込みで身を粉にして一生懸命に頑張ってしまう。「のりしろ」をもってうまく渡る分にはまだいいが、人によっては身体を壊すくらいまで自分のことを省みず、熱中してしまうこともあるのだから気をつけるべし。「情は人のためならず」とはよく言ったもの。

安部司著「なにを食べたらいいの?」(新潮社)を読んでいて、添加物で精製されたいわゆるサラダ油が身体に良くないのだと初めて知った。かつて日本人は油といえば、大豆やなたねを圧搾して作った「てんぷら油」(味がしっかりと濃くて、身体にいいビタミンEがいっぱい入っている)を主に使っていたのだが、重くて臭いという理由で多くの家庭が使用を止めてしまったということ。そのかわりに登場したのがサラダ油。搾った油の上澄みを取り、精製するからいくらでも量を摂取できる。同時に劣化も早いので、酸化防止剤も必要になる。そういえば、動物性の食材を使わない今日のようなときでもサラダ油が大量に必要な揚げ物などをたくさん食べると胃酸が上がってくるような「胃もたれ感」(昔「ほか弁」を食べたときに感じた違和感と同じ)を感じるのは、そのせいだったんだということに気がついた。たとえそれが植物性だろうと、結局油のとりすぎは健康に良くないということだ。

迷った時はGo!

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動くべきか動かざるべきか・・・。明らかにコスト割れになるなら動くべきではないが、儲け云々は別にして「やることの意義」を考え抜いたら動くべき。そう、「動け」と答が出た。ひとつは自身の実績。もうひとつは「人に喜んでもらいたい」という素直な想い。
来週末、「ワークショップZERO」を福岡で実施する。正直、集客は苦戦を強いられている。しかし、気負わず、全精力を込めて良いものを提供しようと腹を据える。

とても2月の中旬とは思えない陽気。午前中、思わずマフラーをして出掛けたが、マフラーどころかダウンジャケットすら脱ぎたくなるような「暖かさ」。それにしても頭が回らない。何にも考えたくないと言うのが表現として正しいか。こういう時はゆっくり横になって休むのがベストなのだが、いかんせん「やらなければならない」雑用が溜まっており、ひとつひとつ早めに処理しておかねばと思い、停止状態の頭を無理やり回転させてレジュメを作成したり、メールを送ったり・・・。せめて耳の邪魔にならない音楽を「ながら」で聴きながらと考え、とっかえひっかえ流してみる。中世・ルネサンス音楽がいいだろうと思い、ビーバーやフレスコバルディをかけてみたものの何か違う。

春一番

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天気は曇り。でも、妙に生暖かくて少しだが確かに春の気配を感じる。身体はいまだに重い。でも、これを抜ければ全てが軽快に進んでいくんだろうという希望が不思議と持てる。

「続ける」ことが苦手だという人は多い。なぜ続かないのか?目先のことばかり考えるから。刹那的な欲望に支配されて目の前のことしか考えられなくなるから。どんなことも山あり谷あり。たとえ今が大変でも未来は必ず明るい。未来に希望さえもてればどんなことでも途中で止めるわけにはいかなくなる。何でも続けることって大切だ。続けることで血となり肉となり、いつの間にかその道のプロと言われるまでに人は成長する。ただし、いつになっても奢ることなかれ。ロベルト・シューマン曰く「勉強に終わりはない」。常に謙虚に、学ぶ姿勢を忘れずに。さすれば必ず人は助けてくれる。

音楽の世界でも長い蜜月期間、そして強固な結びつきをもつ指揮者とオーケストラのコンビが存在していた。古くはヴィレム・メンゲルベルクとアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団。あるいは、エフゲニー・ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団。もっと身近な例でいうと朝比奈隆と大阪フィルハーモニー交響楽団。いずれも50年に及ぶ、あるいは50年近く緊密な関係を保った、信じられないようなケース。ムラヴィンスキーのチャイコフスキーやショスタコーヴィチ、そして、朝比奈隆のブルックナーやベートーヴェン。現代においてはもはや聴かれなくなった彼ら独自の「音」がそこには存在する。朝比奈先生に限って言えば、少なくとも晩年の十数年はその場の空気をともに感じようと何度会場に足を運んだことか・・・。そして時に空前の名演奏を享受できた喜びをいつまでも忘れまい。朝比奈隆&大阪フィルのコンビが何十年という年月をかけて創り上げた音。それは誰にもマネのできない「継続」の賜物。

希望の息吹

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「ワークショップZERO」ではいかにぶれない「自分軸」を作るかをテーマにしている。毎々書くことだが、腹を据えてこうだと決めることが大事。いや、別に腹を据えなくても心底動機を持てばそれで良い話なのだが・・・。
自分ごとながら今年になって一層その「軸」が確固としたものになった。いよいよ来月法人化する方向で動き始める。やはりひとつのビジネスとして「人間力向上」を広めていくにはそうする方がbetterだから。

生誕200年を迎えたメンデルスゾーンの「歌」は、どれも明るく前向きである。裕福な家庭で育ち、幼少時から神童として扱われた彼にも挫折や壁はあったが、愛情をいっぱいもらいスクスク育ったのだろう、一切の汚れのない、心が洗われるような楽曲の数々は、どの部分を聴いてみても「優しさ」と「癒し」に満ち溢れている。そのメンデルスゾーンの歌曲の中で最も有名なものはハインリヒ・ハイネの詩に音楽をつけた「歌の翼に」作品34-2。1836年、作曲者27歳時の作(同じ頃、シューマンはクララとの熱愛をスタートし、そしてショパンはサンドと初めて出逢う。音楽好きにとったら極めて興味深い時代だ・・・)。

罪を憎んで人を憎まず

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それにしても「金」にまつわる事件が後を絶たない。もちろんお金はあったほうが良い。生きていく上で必要最小限のお金と、やりたいことを達成するための必要なお金さえあれば良いだろうに、人間は一度もってしまうとどんどん欲深くなるんだろう。それでも近しい人は「良い人」だという。そりゃそうだ。良い人に決まっている。人間は誰一人悪い人などいない。罪を憎んで人を憎まず、なり。

今日一日思考停止。風邪やインフルエンザではないと思うのだが、どうも頭がぼーっとして力が入らない。特に黄昏時から時間の経過と共に、ますます頭が働かなくなる。植物の光合成じゃないが、人ってやっぱり太陽のエネルギーを身体中に浴びて「生きている」んだということを実感する。

そんなときはあえて無音で過ごしてみるのもよいのだろうが、棚を漁り、何となく取り出したのがブルックナーの音盤。それも彼の壮大な交響曲をオルガン独奏用にアレンジした世界初録音という代物。もう長いこと聴いていない(というより購入した直後に一度聴いたきりかもしれない)。本来大オーケストラで演奏されるべく創られたブルックナーの交響曲をオルガンひとつで表現しようというのだからさすがに無理はある。ただし、敬虔なプロテスタントであったブルックナーの思考の原点がオルガンであったことから、ブルックナーの頭の中に最初に鳴った音、あるいは彼の頭の中だけで鳴っていた音と捉えればそれはそれで面白いのかもしれない。
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なぜぶれるのか・・・?
信念(自分がこうだと決めたこと)を徹底的に追求していないから。
なぜ徹底的に追求できないのか・・・?
決めたことに確信をもっていないから。
なぜ確信をもてないのか・・・?
自分を信じていないから。
自分の状態がぶれたことを、多くの人は誰か(あるいは教育や環境)のせいにする。他人のせいにしたところで、何かが変るわけでもないのにだ。特に、親や他人が引いたレールを歩いてきた優等生ほどそうなる傾向が強い。今の政治家も似たようなものか・・・。茶番なり。

どうすれば自分を信じられるようになるのか・・・?
腹を据え、中途半端に終わらせず何でもやりきること。それに尽きる。
他人からは大変な努力に見えることでも、実は本人は何の苦もなく当然のように時間とエネルギーをかけ没頭しているということはよくあることだ。何でも一生懸命やれば成果は挙がる。そして、成果をみることが楽しくて人間はまたそれにのめり込む。結果、継続することになり、自ずとその道を極めることになる。実にシンプルな法則だ。

他人に聴く前に自分に問いかけてみるべし。答えは必ず自分の中にある。「本気か?」「やりきっているか?」、いつもいつの瞬間もそう自分自身に問いかけること・・・。

ヴィオラの音はチェロよりオクターヴ高い。J.S.バッハの「無伴奏チェロ組曲」をヴィオラの演奏で聴くと、すこーんとヌケて、目の前の空間にいっぽんの筋が通ったようになる。一切の混じりけのないシンプルで澄んだ音色。朝の光と調和して信じられないくらいに美しい。
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NHK-FM放送。昔は、本当によくお世話になった。少なくともまだまだCD黎明期で、LPレコードと2本立てでアルバムが同時発売されていた80年代後半頃までは頻繁にエアチェックをし、気に入った音楽はカセットテープに保存して、繰り返し聴いたものだ。しかし、今やまず聴くことは無くなってしまった。

今朝、久しぶりにラジオのスイッチを押してみた。NHK-FM。番組名は知らない。突如、耳に飛び込んできた音楽が、懐かしいEmerson, Lake & PalmerのToccata(Brain Salad Surgery(邦題:「恐怖の頭脳改革」)所収)。嗚呼、何てかっこいい曲なんだろう・・・。ついつい手を止め、聴き入ってしまう。
そして、続いて流れたのがその原曲となったアルベルト・ヒナステラのピアノ協奏曲第1番作品28の第4楽章。原曲もさることながら、Keith Emersonの編曲センスは、彼らの「展覧会の絵」などを聴いてもわかるように他を寄せつけない圧倒的なもので、聴き方によってはEL&P版の方が良いと思う人もいるんじゃないかなどと考えながら数分傾聴する。

今、ここ

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C君がJBLのHorizonを手に入れたということで、早速試聴会という名目でご自宅にお邪魔した。少しだけ聴かせていただいてお暇するつもりが、話がやけに盛り上がり(今日初めて会ったKさんともいろいろな話をさせていただいた)、気がついたら19:00。では、食事にでも行きましょうということに自然となり、笹塚の「炉端座八戸」でC君とサシ飲み。結局3時間ほどいろいろと語り、有意義な休日があっという間に過ぎていった。

それにしても、人はそれぞれに「悩み」をもっている。そもそも完全な人間というのは存在しないわけだから、腹を割って何でも話をぶつけられるということ自体気持ちよい。そこには年齢の差も性別の差も超えた人間対人間のおつきあいがある。
昨日の講座でもお話ししたのだが、ロベルト・シューマンの偉いところは、単に空想を空想で終わらせるのではなく、ともかく行動を起こしたところ。こうなったらいいなと願ったところで、自身が踏み出さなければ何事も始まらない。勇気をもって・・・。

史上最大の侵略

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第23回「早わかりクラシック音楽講座」終了!
今日も楽しく皆様と過ごせ、終わった後の宴も絶好調。例によって詳細は後日に譲りますが、ロベルト・シューマンの凄さとクララ・シューマンの甲斐甲斐しさ、そしてヨハネス・ブラームスの謙虚な優しさをあらためて痛感したひと時でした。
メインの楽曲は、ピアノ協奏曲イ短調作品54。事前の資料作りでどの音源を使おうかと思案した挙句、選んだのがアルゲリッチがチョン・ミョンフン&フランス国立放送フィルと2001年に録れた実況録音盤。タワーレコードから1,000円で発売されているという魅力から選定したが、結果的には失敗。演奏は決して悪くない。というより素晴らしいはず。しかし、アンプのボリューム・レヴェルを12時にまで上げてもいまいち伝わってこない。要は、音圧が極めて低く、環境を削ぐ陳腐な音なのだ(おそらく一般市販を前提にしていない録音なのだろう)。第1楽章を終えたところで我慢ならず、受講の皆さんにお許しを得て、別の音盤に代えさせていただき、あらためて第1楽章から聴きなおした。これが本当に素晴らしい!録音のレヴェルも臨場感も申し分なし。聴き比べの醍醐味をみんなでリアルに味わった感じ。で、誰の演奏を聴いたかというと、
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人間を知ることって面白い。2年前まで、ある意味(?)大変な重労働環境の中で10数年という長い間、人に深く関わり、ともに泣き、ともに笑い、ともに喜ぶという生活をしてきたのには相応の理由があった。そのときは自分の将来や自分自身の生活のことなどはっきり言ってまったく考えていなかった。ただひたすら「人と出逢い、触れ合う」という仕事に邁進するのみ・・・。それはまるで麻薬のようだったのかもしれない。ただ、いつまでも依存しているわけにはいかないという一種の焦りから、その場を飛び出したのがつい昨日のよう。もう丸2年だ。

世の中の今のような状況は、当時予想だにしなかったが、こういう不景気の時代になると、自律的に生きることの重要性が身に染みる。自律的に・・・、そして他者を想い・・・・(言い換えれば、自分軸をしっかりと・・・、そして外に意識を向け・・・)

還元力

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キパワーソルトには「還元力」があるのだという。「還元力」とは酸化したものを元の物質に戻す力らしい。昨晩、このキパワーソルト入りの塩湯で足を温めたお陰で、何だか身体中が元に戻るような感覚がある。「好転反応」なのか、風邪のような症状で、本日一日だるい。4月の新人研修に向けて「企画詳細」を明日中に提示しなければいけないので、ともかく今晩はゆっくり身体を休めて備えよう。

荻窪のとある寿司屋で、愛知とし子を応援していただいている方々と会食した。二次会は同じく荻窪のカラオケスナック。3曲ほど声を張り上げて歌い発散、大いに盛り上がる。本当に良い人たちばかりだ・・・。

相田みつを「つまづいたおかげで」

恋愛と創作

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ロベルト・シューマンがエンデニヒの療養所生活を始めたのは1854年3月4日。その日から、亡くなる2日前、すなわち1856年7月27日までの2年半もの間、妻のクララはもはや廃人と化した夫に会うことは一度もなかった(この間、ブラームスやヨアヒムはロベルトを見舞っている)。
なぜクララは2年半もの間、愛するロベルトに会わなかったのか?
摂食障害に陥り、痩せ細っていた患者の姿を見せまいと精神科医リヒャルツ博士が気を利かせ、面会謝絶にしていたという見解。7人の子どもを養うという経済的な事情からコンサート活動に奔走せざるをえなかったという事情。あるいは年下の友人であるヨハネス・ブラームスとの束の間の恋に耽っていたのではないかという噂。
しかし、残された手紙から推測するに、最後の最後まで夫を愛していたことは疑いようのない事実だろうゆえ、生活に追われそれどころでなかったという理由が一番しっくりくる。それにしても2年半とは長い・・・。
父の反対により法廷闘争まで縺れ込んだシューマン夫妻の結婚の顛末は、当時の二人の熱烈なラブレターを読むにつけとても興味深い。少なくとも恋愛がスタートした当初、片時も離れられないほどの絆が二人の間にはあった。ひょっとすると、「精神病院に入る」ということが「収監」同様、一般的には忌み嫌うべき対象として認識されていたということも考えられる。当時のヨーロッパ音楽界において飛ぶ鳥を落とす勢いの人気ピアニストであったクララ・シューマンがまさかそういう場所に関わるということは想像を絶することだったのかもしれないし・・・。
いずれにせよ真相はわからない。ロベルトが愛するクララに贈った名曲の数々を聴きながら、勝手な想像を働かせよう。
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小沼純一編「武満徹エッセイ選~言葉の海へ」は滅法面白い。僕は武満徹の音楽自体について語れるほど詳しくない。それでも、彼が一介の作曲家ではなく日本が誇る世界のタケミツになったにはそれなりのわけがあり、西欧と東洋を融合した音楽作りもさることながら、物書きとしての能力-びっくりするほど博学なんだということを初めて知った(失礼な話だが)。音楽についてだけでなく、自然や宇宙というところまで見据えたその考え方は、読んでいてなるほどと頷かせられることがとても多く、今まで武満徹の書いた文章をおざなりにしていたことを少々恥じた。

「音楽は祈りの形式である、とひとりの友は言う。たぶん、私自身の音楽行為も、それを言葉にして整え表すなら、その行為を支えている多層な感情は、祈りという一語に集約されるかもしれない。むしろ他の言葉によっては説明し得ぬものである、と言って差し支えない。だが、祈りはここでは既に言葉では無いなにものかである。・・・・バッハがそのマニフィカートで描いたひとすじの旋律の線は、個人の感情の諸要素と全く一致しており、たんに音の機能の帰結としてのみそれをみることは不可能である。・・・バッハは、かれを内から突動かす不分明の力にたいして敬虔であり、その深さにおいて天才であったと言えよう。そして、その力が向かうところには神があった。しかも、その個人の天才は、時代と地域社会の土壌に根ざしたものであり、たやすくは抽象しえないものであった。
だが、近代的な自我を獲得した後の文明社会は、個人の存在をできるだけ遠くへ拡散させる方向に進み、テレ・コミュニケーションは地域社会を都市化へ向かわせ、多量な情報のなかで、ひとは一様に虚しさに囚われている。それを癒すために執られる手段は、またそれ自体が自立して人間ばなれしたものになる。人間の個性は極めてエキセントリックになり、社会的な繋がりは次第に失われて行く。人間は各個にはばらばらでありながら、個人の営みはかならずしも充実しない。そこではむしろほんとうの個人を保つことは難しい。」

気持ちいいー♪

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4ヶ月ぶりのトリートメント。いよいよ「こと」が始まる。世の中の混迷はますます複雑化するだろうが、長期的に捉えれば決して悲観的になることもない。以前からセミナーの中ではお伝えしていることだが、自然や宇宙、そして人間はそもそもつながっている。「一つ」なのだ。「ワークショップZERO」は、その「つながり」というものを実際に体感していただくことを趣旨としており、ご参加いただいた方に「他者を受け容れること」、そして何よりも「自分自身を受け容れること」の大切さに気づいていただけるようにプログラムを組んでいる。わずか2日間でその人に見違えるように変化が訪れるわけはその辺りにある。

「ポットが渡され、蓋を開けたら汚れた古い水がいっぱいだったので思い切って捨てた。そして、新しい水をゆっくりと注ぐ。」
眼を閉じていてそんなイメージがふっと湧いてきた。

雑感

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早朝の寒空の中、20分ほど並んだ。短い時間とはいえ、東京のビルの谷間に吹き降ろす風は半端ではない。夕方くらいから喉がイガイガし、どうやら風邪の初期症状。僕は基本的に病院へは行かない。特に薬を飲むこともない。数年前からチベット体操を始め、毎日継続している。同じ頃から食事は基本的に菜食(外食の場合、魚貝は食べるが)。それによってどうやら体質が変化したようで滅多なことでは病気にならなくなった。とはいえ、身体を暖めることは大事なので、先日matsuricaで購入したジンジャーはちみつ入りのロイヤル豆乳ティーを飲んだ。ほのかな甘みと適度な生姜の刺激。美味い・・・。

花粉症の方々には憂鬱な季節の到来だ。夕方、ニュースを見ていると今年のスギ花粉の量は去年の2倍だとか。そして例年より2週間近く飛来が早まるとのこと。
そういえば、花粉症も完治した。そんな馬鹿なことあるものかと思う御仁もいることだろう。花粉症とは結局アレルギーなのだから、体質改善してしまえば治ってしまうということなのだろう。薬で抑えたところで毎年同じことの繰り返し。元から正してしまえばこれほど楽なことはない。毎日の「食」とは人間の身体を作る根源なのだから、腹八分目、できるだけ添加物の入っていない自然のものを摂取していればそれだけで健康は保てるはず。

2010年1月

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