2009年3月アーカイブ

beethoven_arrau_davis_4.jpg
音楽というものは、必ずしもそこに意味を求めて聴く必要ないのではないか。僕は昔からオペラや歌曲が苦手だった。特に、ストーリーや歌詞の内容が重要になるジャンルの音楽は、その内容をしっかり把握した上で聴くことが大事だとわかっているくせに、ついつい音楽だけを聴くという行為を長い間続けてきた。その習慣は今もほとんど変わらない。だからオペラのストーリー詳細などは一部の余程特別に愛着のある作品でない限り、まったく知らないといっても言い過ぎではない。

最近はライナーノーツさえまともに読まなくなっている。本当は解説をじっくりと読んで聴くことでより一層理解が深まるはずなのだが、余計な脳みそを使わずともかく「感じたい」のである(それの是非は別として・・・)。音の流れに身を委ねていると、いろんなことを想像する。突然ある場面を思い出したり、ふと「考え」が閃いたり・・・。右脳を刺激するのにやっぱりクラシック音楽は良い。

真っ白・・・

| コメント(6) | トラックバック(0)
beethoven_backhaus_13.jpg
頭の中が真っ白で何も思い浮かばないときには何を書けばいいのだろう?(笑)
どうも最近お酒を一定量以上身体に入れると調子が悪くなる。昨日もワインをそれほど大量に摂取したわけではないが、今朝の起きがけにアルコール分が多少残っていた。数日前のような最悪の状態には陥らないものの、もう少し「良い(酔い)もの」を健全に飲みたいものである。確実に一層「弱く」なっているみたい・・・。

今週末はベンチャー企業合同新人合宿研修。まる2日間山中湖に缶詰になり、30人を相手に「人間力向上」に焦点を当てつつ、僕なりの観点で研修を進めていく予定。楽しみだ。

世の中ではいろいろなことが起こっている。もちろん日々自分にも様々なことが起こる。「何もない」日などありえない。それでもアンテナが立たない日というのがある。そういうときは人は人によって生かされているということを痛感する。人とのふれあいを通じて「感じる心」が磨かれるものなんだということがよくわかるのだ。

逃げるって・・・

| コメント(4) | トラックバック(0)
mozart_horn_civil.jpg
ふと高校生の頃を思い出す。もう30年も前の話だ。先のことなど全く考えず、他人のことも知らぬ存ぜぬで、ひたすら自己中心的に「現実逃避」していた時代。今でもそうだが、新しい知識を導入することに貪欲で、そういう意味では「勉強好き」だったのだが、ともかく「勉強」を言い訳に自分のことしか考えていなかった「恥ずべき」時期である。人より明らかに成長が遅いのか、それとも日々目の前に起こることに鈍感なのか、最近になってようやく物の「本質」に気づけるようになってきた。

壁にぶつかった時、誰しもその壁を乗り越えるべく七転八倒し、乗り越えた時に安堵感と達成感を体感する。要は、乗り越えるか逃げるかしかないのだが、「逃げること」に対してマイナス感を持っていた。「逃げること」って悪いことか?どうやらそうでないことに気づいたのである。ひょっとして「ぶつかる」ということは方向ややり方が間違っているということではないのか?一旦そこでリセットし、考え直せという思し召しなのではないか?そう考えると全てが楽になる。

灯台下暗し

| コメント(4) | トラックバック(0)
rigoretto_giulini.JPG
問題は個々にあるのではなく、関係性に潜んでいるんだということをあらためて意識した。昨日の渋谷でのミーティングの際も、話をしている途中からそういう「考え」がふと降りてきて、「関係性」に焦点を絞って人間教育をやってみろという天の声が聴こえてきたような気がした。十数年来の知己が伴侶のことで問題を抱えているようで相談を受けた。今に始まったことではないゆえ、いつものことかと楽観的に考えればそれはそれで済むことなのだが、それにしても同じことを何度も繰り返すというのは根底には必ず何か「問題」が潜んでいるからなのだろう。これまでも時に相談を受けてきたが、個々の問題だと考えていたゆえその本人のカウンセリングをして問題を解決しようと躍起になっていたが、それもどうやら「関係性」に問題があることがようやく明らかになったように思う。そう、むしろ相談をしてきた友人のほうに問題が潜んでいるのではないかと。

実際に目に見えて問題を抱えているのは相手のほうだが、それが夫婦の場合問題の原因を作っているのは自分かもしれないと思うことって大事だろう。灯台下暗し。「関係構築力」を確認し、自分の言動を振り返り、反省、少なくともコミュニケーションの深度を高くすれば自ずと解決の方向に向かうように思うのだが、どうだろう・・・。こういう場合、得てして相談者の方にこそ問題があるのではないかと思うのだ。

新しい出会いに感謝

| コメント(2) | トラックバック(0)
strauss_abbado_argerich.jpg
知己の友人との2時間ほどの会話。そして、新しく知り合った方との2時間ほどのミーティング。いろんなヒントがいただけて、そして新たな突破口が見つかる。すべて人と人が生み出すシナジー。感謝。

新月。例によって一日断食。お茶と水だけで過ごすのだが、結構気持ちが良いもの。人は「食べること」に大変な時間とエネルギーを費やしていることがよくわかる。ふと「食べること」を考えてしまうことが一日に何度かある。そのたびに「自分に意識が向いている」ということが実感でき、良いとか悪いという意味ではなく、食べることを忘れるほど何かに没頭しているときは本当に意識が外に向かっているんだということが身に染みる。休肝日という言葉があるように、時には胃腸を休める日があってもいいんじゃないかとつくづく思う。

コレステロールいっぱいのリヒャルト・シュトラウスの音楽がこういうときにはぴったりかも・・・。一夜にしてR.シュトラウスの音楽漬けというコンサートは経験したことがないが、いかにも満腹になりそうなプログラムの実況録音盤を久しぶりに聴く。

朝比奈のモツレク

| コメント(9) | トラックバック(0)
mozart_requiem_asahina.jpg
かつての「朝比奈会」、そう、先生が亡くなった後「朝比奈協会」として再発足し、初期の頃はそこそこ活発に活動していた彼の協会は今どうなっているのだろう?年会費は確か¥1,000で、年に数回の会報も送られてきていたし、時にはプライベート盤の頒布などもあり、それが結構な名演奏揃いで、一般には手に入れられない音源などが多々あったものだから実は大いに楽しみにしていた。協会員だった方ならご存知だと思うが、ある日突然1枚のCDが送られてきて、これでしばらく協会の活動は休止するというような旨の連絡書が同封されており、後味の悪い終わり方だった。とはいえ、十分楽しませていただいたのでガタガタ騒がず、それはそれで良しとしたが・・・。

「終わり良ければすべて良し」というが、世の中最後の詰めの甘い輩が多い。あまり傲慢になってもいけないし、かといって遠慮がちで腰引けるのもよくない。何事も謙虚にほどほどなのが一番良い。今日も打合せで、結局人生というのはゼロサム・ゲームで、利得の総和は最後はゼロになるものゆえ、慌てず騒がずゆるりと人様のために一生懸命頑張れば必要な分のお金は後ろからついてくるものだよという話になった。お金をもってあの世には行けないし、遺産相続の問題などで骨肉の争いをしている家族などを見たりすると、持ち過ぎてなくて良かったなどと本当に思う。過ぎたるは及ばざるが如しだ。
mahler_barshai_10.jpg
発泡酒とビールは明らかに別の飲み物なのだが、発泡酒ってどうやって造られているんだろう?・・・というより、何が入っているのだろう?加算される税金の率も大幅に低いのだろうが、それにしてもジュース並みに安いとなると「当然何か人工的なものがはいっているんだろう」とついつい疑ってしまう。
僕はアルコールなら圧倒的にビール党である(といっても元々酒に強い方ではないからロング缶を2本も飲めば相当酔える体質なのだが)。外で飲む生ビールなどは本当に美味しいと思う。ただ、最近はいわゆる晩酌というものをしなくなった。家で飲むときは誰かが訪ねて来たときやパーティーの時などに限られる。先日の会社設立&誕生パーティーではたくさんの方からお土産にお酒をいただいたので、昨日の食事会では、いただいた中から発泡酒とワインを開けた。しこたま飲んだわけではない。発泡酒はレギュラー缶をたかだか4本。ワインは2本である(それも4人で)。なのに、翌朝(つまり本日)の体調は絶不調。夕方近くまで胃の辺りがムカムカして気持ちが悪い。「あぁ、こういうの二日酔いって言ったなぁ」と久しぶりに思い出した。
haydn_muti_bpo.jpg
あっという間に3月も終わる。本当に月日の経過は早い。とにかく急がねば・・・。

渋谷のP社での打ち合わせのあと、桜丘町の「なぎ食堂」にてひとりランチ。マクロビ系の玄米菜食はどうも味が薄くてあまり僕の好みではなかったのだが、ここのは美味しくいただけた。といっても決して味が濃いわけではないので、ひょっとすると僕の味覚も随分変ったのかもしれない。次の銀座でのアポイントまで少々時間があったのでブック・ファーストの店内散策(それにしても渋谷のブック・ファーストが小さくなったのは痛い)。ふと見つけた松岡正剛氏の新刊が面白そうだったので購入、移動の車内でざっと目を通した。

「連塾・・方法日本・・Ⅰ『神仏たちの秘密~日本の面影の源流を解く』」
brahms_heidsieck.jpg
人は1回きりのお話や講座ではそのほとんどを吸収できない。そりゃそうだ。小学生が九九を記憶するのだって何十回も反復して頭に叩き込むのだし、大人になって悪い癖を修正するのにも大変な労力をかけるわけだから、そんなに簡単なものじゃないことは明らか。それでも何とか「スイッチのあり場所を示し、そのスイッチを入れるお手伝いをする」ことでその人の成長と変革を醸成しようと試みてきたが、なかなか難しい。よくよく周りを見渡してみると、成長し、確実に変化を体感している人たちはいろんな形で継続的に「関わり」をもっている人たちである。「早わかりクラシック音楽講座」を通して、あるいは一対一でカウンセリングをしたり、一緒に雑談をしながら食事をする機会をもつなど、何気ない会話の中で「人間力」について語ったり、「親和」をしたりしてきた経験がともかく大きい。
そんな中、4月から継続学習のためのプログラムを開発し、最低でも月に1回は実施できるよう動こうと考える。それと、友人・知人に「人間力向上セミナー」をおススメしたいが、どう話していいかわからないという方たちのために簡単な「説明会」なるものを開催するのも良かろう。ともかく「発信」することだ。

45回目の誕生日

| コメント(6) | トラックバック(0)
backhaus_mozartwoche_1956.jpg
45回目の誕生日。久しぶりに大勢の仲間たちが集まって宴を開いた。入れ代わり立ち代り20人くらいが狭い部屋にひしめいたことになる。18:00にスタートし、終わったのは23:30過ぎ。明日は皆さん仕事だというのに最後までいらしていただいて本当に感謝である。

E夫妻がプロジェクターを使って、僕のみんなへの「想い」をスライドショーで表現してくれた。せっかくなのでその想いを今日のブログにて表明する。

『今日、僕は45歳を迎えました。
先日、滋賀県での講演会のため帰郷した際、僕と同じだけ歳を重ねた両親がいつもどおりに尽くしてくれる姿を見て、父母をはじめとてもたくさんの方々の助けがあって今の自分があるんだということをあらためて実感しました。

20年という長い年月の中ででセミナーを通じて出逢った多くの人たち。
毎年誕生日には大勢の人たちに祝ってもらった記憶がまざまざと蘇ります。

ふたご座

| コメント(2) | トラックバック(0)
cannonball_adderley_sextett_in_newyork.jpg
2001年3月19日。その日は朝比奈隆が人生最後のブラームス・ツィクルスの最後のプログラムをサントリーホールにて披露した日であった。二重協奏曲と第4交響曲。早8年の月日が流れる。まさかその年のうちに先生が天に召されるとはその時は思ってもみなかった。ただ、その直前までニューヨークに所用で出掛けており、ひょっとすると19日当日にフライトが間に合わない可能性があることを友人から示唆された時、「次が聴ける保証はないから絶対帰りたい」旨を伝え、辛うじて前日の帰国で間に合ったことを思い出す。虫の知らせというほどのものでもないが、1回たりとも先生の舞台を見逃しては後悔するという念が先に立ち、ほとんど強引に予定を繰り上げたというのが実情である。執念というか執着というか・・・、でも今から考えると聴いておいて良かったとつくづく思う。

ニューヨークでは例によってVillage VanguardでLiveに触れたと記憶する。同時テロが起こる半年前のニューヨーク。世界貿易センターも訪れた。地下のカフェで食事もした。まさかああいう惨事が起こるとはその時は想像だにしていなかった。何の変哲もない、慌しさの中にも普通に日常がいつものように流れる景色。かのライブハウスで何を聴いたのかは全く覚えていない。それでも何度か行ったその地の記憶だけが走馬灯のように蘇り、いまだにジャズ魂が沸き立つニューヨークのことを昨日のように思い出す。灼熱のバンドのうねりと響き。鳥肌が立つほどの刺激と興奮。
beethoven_8_weingartner.jpg
今日のセミナーの中でも受講いただいた方に話をしたのだが、人は誰しも「他人の評価」が気になるもの。他人の下す相対評価で自己を判断したところで正確な結論は導けない。あくまで自分自身が自己に対して下す「自己評価」が大事なのである。
とはいえ、口で言うは簡単、実際にそういう状況に出くわすとついつい悪い癖が出てしまう。そういうことを紛いなりにも伝授している僕自身すら時折「他者評価」を気にするあまり軸がぐらついてしまうことがある。

ビジネスの世界においては相手に過剰に期待せず、ともかくベストを尽くすことを教えられた。先日の滋賀ダイハツ販売株式会社での講演会では多分に反応を意識しすぎたきらいがある。通常個人向けのセミナーを開催している限りにおいては、お金も時間も費やして自己投資として参加する方が多いこともあり、想像以上の反響がある。それが思ったほどの反応がないと「不安」になるのだ。人間の闘いというのは、いつも「不安」との闘いなのだろう。・・・・自分を信じて、そして勇気をもって。

| コメント(2) | トラックバック(0)
bowie_ziggy_stardust.jpg
外気20度。これはもう「春」である。3月中旬ともなれば間違いなく「春」だが、それにしても暖かい。いや、暑いくらいだ。
春になったらなぜか思い出す音楽。
何だろう・・・。不思議なオーラが出ていて、わずか40分にも満たない音の連なりの中に夥しいほどのドラマが浮き彫りにされるグラム・ロックの名盤。身体中に降り注ぐエネルギーとメッセージ。一度スターダムに伸し上がったお陰で傲慢になり、自らを「神」だと勘違いするロック・スターが主人公。彼のその傲慢さによって人は去り、最終的には自らを葬り去らざるをえなくなるという悲劇。

人は誰しも、その人そのものに魅力を感じるのではなく、その人の中に秘められたエネルギーに魅力を感じるのである。世の中を心から良くしようと動く人には必ず多くのバックアップがあり、目に見えない力までもが味方する。一方、些細な我欲が心の奥底に見え隠れした瞬間人は去り、物事は滞ってしまう。結局人は人のために生きるよう生かされているってことか・・・。
shostakovich_stern_ma.jpg
5泊6日の滋賀の旅を終え、本日午後帰京。癒されました。
今回の催しでは今後の展開に役に立つようないろいろな気づきをいただけたことが何よりも収穫。例えばコンサートの集客について。15日の信楽町文化協会主催のコンサートは無料であったが、次回からは有料にしたほうが良いのではないか。たとえ数百円でも料金をいただくことでお客様も必ずいらしてくださるだろうし、演奏する側も一層本気モードになれる。それと、今回は第2部の初めに童謡や唱歌を会場の皆様と歌うコーナーを設けた際、友人らに舞台上で一緒に歌っていただくよう段取りをとったが、子どものことには親御さんも一生懸命になるだろうから、ひょっとすると地元の小学校や中学校の協力を得て、子どもたちに舞台上に上がっていただけるよう手配することで、より集客が見込めるのではないかということ。

昨日は滋賀ダイハツ販売株式会社の「エクセレント後継者育成塾」にお招きいただき、1時間の講演(第2部は愛知とし子リサイタル)。19時からの開演だったゆえ、さすがにご参加いただいた70名ほどの幹部社員の方々もお疲れのようだったが、若輩者の拙い話を一生懸命傾聴いただき感謝の念でいっぱいである。ともかく「人間力」の重要性について僕なりの観点で多少の実習を織り込みながらお話できたことはとても良い経験だった。ありがとうございます。

朗読・・・

| コメント(6) | トラックバック(0)

090315_02.JPGおはようございます。信楽町文化協会主催「早春おしゃべりクラシックコンサート」は100名ほどのお客様にご来場いただき、昨日無事終了しました。自身初の試みである朗読は練習の成果もあり(笑)、意外に反応も上々、お蔭様でとても好評いただけたことをまずは報告いたします。クラシック音楽の裾野を拡げるという目的で、2年前から開催している「早わかりクラシック音楽講座」の経験が少しずつ生かされてきているようで、こういう形で地方に巡業に馳せるというのも乙なものだとつくづく感じます。今後、いろいろな場所でこういう活動ができるようがんばっていこうと考えています。

特に、クラシック音楽に馴染みのない方々にとっても、創作物語を付随することでそれぞれがそれぞれに想像力を膨らませ、難しい、固いというイメージを与えるクラシック音楽がより身近になるという感想をいただけたことは収穫でした。なるほど何十年も音楽を聴き続けてきた僕の視点からでは得られない貴重な意見で、納得させられました。これも、たった一晩でシューマンの音楽に物語をつけてくださったやさかのっきさんの類稀なる才能の為せる技。本当に見事なお話です。4月の「愛知とし子リサイタル」ではやさかのっきさんご本人に舞台上で、朗読をしていただく予定ですので、ご興味ある方はお見逃しなく。とても素晴らしいパフォーマンスになること間違いなしです。

世紀の邂逅

| コメント(2) | トラックバック(0)
gershwin_bernstein.jpg
ピアニスト、バーンスタインは自由闊達でノリがよく、洒落た演奏を聴かせてくれる。さすがに一世を風靡したミュージカル「ウェストサイド・ストーリー」の作曲家らしく、聴かせどころを押さえており、大衆へのサービス精神を忘れない心構えがかっこいい。
そういえば、若い頃の彼の指揮は映像でも残っているが、台上で飛び跳ねたり、お尻を振ったり、最近流行のグスターヴォ・ドゥダメルがまだまだ「ひよっこ」に思えるほどそのパフォーマンスが堂に入って、まさに生まれながらのエンターテイナーなんだということがよくわかって面白い。ただし、ドゥダメルに関しては、評判のCDをきちんと聴いたこともなく、先日NHKで放映された来日公演の、それもアンコールで「のだめ」のSオケさながらのアクロバティック・パフォーマンスを観たに過ぎないからこれ以上の言及はできないけど。そういえば、「のだめ」のアニメやドラマでSオケが学園祭で仮装コンサートをやったシーンがあったのを思い出した。ピアニカ入りの特別編成版での「ラプソディ・イン・ブルー」。なかなか刺激的で面白かった・・・。
strauss2_alban_berg.JPG
良い天気。少しずつ「春」に近づきつつあることがよくわかる。
こんな日に相応しいのがウィンナ・ワルツ。毎年正月に催されるウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートはつとに有名だが、僕自身は特にワルツ好きとはいえず、それほどあの演奏会が面白いものだと思えないので、ほとんど観ないし、音盤を買って聴くこともない。いつか本場のムジークフェラインで聴く機会があったら、一度実演では聴いてみたいが、それでも指揮者がズービン・メータやリッカルド・ムーティだったら行く気は失せてしまう。聴かずもがな、だから。とはいえ、カルロス・クライバーが2度だけ出演した回の映像はLD時代から愛聴しており、こういう音楽を振らせてもやっぱりカルロスはカルロスで天才なんだということがよくわかり、今でもたまに映像を観て悦に入ることがある。

夜、恵比寿の韓国料理屋でEと会う。サシで食事をするのは初めて。人間って誰もがそれぞれに悩みを抱えていて、それを聴いてくれる、あるいはわかってくれる仲間を求めている。家族のこと、仕事のこと、人生のこと。それでも人はそれぞれ役目を担って「今を生かされている」わけだから、めげずに自身を振り返り、ともかく全うすることが大切だと僕は思う。それにしても、10年以上続けている「趣味」がないというのは寂しいことだ。継続は力なり、塵も積もれば山となる。どんなことでもやり続ければそれが生業と化していくのだから、趣味を侮るべからず。

心身が歓ぶ一日断食

| コメント(2) | トラックバック(0)
bach_szeryng_walcha.jpg
数年前、山田鷹夫氏が著した「不食~人は食べなくても生きられる」という本を読み、当時ちょうど菜食に切り替えた頃で、動物性のものを摂るのを止めることは簡単にできても、さすがに食べないというのは無理だろう・・・、凄い人がいるもんだと感心したことを思い出す。氏は書の中で、「不食」により病気や不調が消える、疲れにくくなる、あるいは若返るなどの効能を説いているが、確かにそれはそうなのかもしれないと思った。例えば、今、世の中に溢れかえっているコンビニの弁当などの出来合いの食事などを考えてみると、保存料や着色料がどれほど使用されているかや、あるいはそれが本当に安全なのかどうかもわからないわけだから、それらを平気で口に入れることの恐ろしさを考えると怖くなる。一説によると、「食」が原因でアレルギーやアトピーなどの病気が増えているといわれており、そういう意味では「食べない」でいることが一番健康でいられる秘訣なのかもしれない。まぁ、「不食」というのは極論ゆえ、日頃から暴飲暴食せず、なるべく外食は避け、加工製品に頼るのではなく、できるだけ自分で一から作るという食生活をしていけば、心身ともに健やかで楽しく生活できるのだろう。

神とひとつになる

| コメント(6) | トラックバック(0)
bruckner_7_wand.jpg
部屋という部屋の窓を開放し、空気の通り道を作ってやる。まだまだ風は冷たいものの少しだけ春らしさを感じる陽気の中、気持ちの良い午前中が始まる。

僕は「人間力向上」についてのヒントを教示するセミナーを生業としている。ありふれた日常の中で、自己変革できる術を「脳力」という観点から体感的、理論的にわかりやすく教えるのである。そんな僕が、「自分で教えてはいるものの、僕自身はまだまだできていないです」と謙遜なのか遠慮なのか、あるいは本音なのか人前ではついそのように言ってしまうことがある。たとえそれが謙遜であろうと、自己を貶めるような言葉は吐かないほうが良い。20年もそういう仕事に携わってきて、僕自身が日常で実践できていなければ、教えていることは嘘になってしまう。まさにこれほど説得力に欠けることはないということだ。自らを認めるべし。

お互い深く受け容れ合いたいと誰もが望んでいる。他人も自然ももとは「一つ」でつながっているんだという実感を持った時、人は真に他者と自分自身を受け容れることができる。少なくとも「受容する」という感覚をたとえ一瞬だろうと体感することができる。わずか1時間に満たない時間の中で、人と人が対峙し、目を通して、手の感触を通して、そして想いのある言葉を通して自らを開放し、そして他を感じることで、場の空気は一変する。それまで乱れていた雰囲気があっという間に安定した状態に落ち着く。「開放」って重要。「受け容れ」もだ。

自省

| コメント(2) | トラックバック(0)
brahms_knappertsbusch_3.jpg
愛知とし子ピアノリサイタルが1ヶ月後に迫っている。忙しさにかまけてインフォメーションが遅々として進まなかったが、少々焦りを覚えてここ2、3日集中して友人たちに情報を流そうと頑張り始めた(苦笑)。今回のリサイタルの特長は2点。まず第一に、未就学児童も参加可能なコンサートを設けたこと。一般のコンサートなどでは、なかなか子どもは会場に入れてもらえないが、一方で子どもに良い音楽を聴かせたいという親御さんからの要望は前々から多数あり、ようやく今回そのご期待に応えようと渋谷のTEPCOホールでのリサイタルをファミリー向けに設定したのである(もちろん大人だけでも入場できます)。そして第二に、既存のクラシック音楽に物語を創作し、ナレーション付で披露するという試み。いわば子どもへの読み聞かせというイメージ。やさか のっきぃさんがこの日のためにシューマンの「子どもの情景」全13曲にとても感動的で素晴らしい物語をつけてくれました。とにかくひとりでも多くの方に聴いていただきたいと思う内容です。

毎日ブログを書いていて今日は何を書こうかと一瞬悩む(ただし、ひとたび書き出すとものの数分で書き上がってしまう)。その日一日に起きたこと、そして感じたこと、考えたことをまずは整理する。実は、この作業、つまり「振り返り」が大切なのだ。日々の仕事や雑事に追われているとなかなか「自分自身」を省みることを忘れてしまう。というよりそういう時間が持てない。しかしながら、身の周りで起こることは全て自分に原因があるのだということを前提とすると、「答え」が自分の中に必ず存在するわけだから、反省するという作業を自分に課すことは大切なことだ。
beethoven_emperor_heidsieck.jpg
昨日、第24回「早わかりクラシック音楽講座」が終わった後、最後は新宿のゴールデン街に何人かで繰り出したことは書いた。今日も朝から一仕事終えた後、近くのカレー屋で友人カップルと食事をし、そのまま築地の聖路加国際病院のギャラリーで開催されている「近藤恵三子日本画展」を観に行った。近藤さんはつい数ヶ月前に瑞浪市で知り合った女性で、先日も「ワークショップZERO」を受講していただいて、ますます制作力に磨きがかかったようである。何とか「日本画」で一本立ちできるよう頑張るのだと。意識を少し切り替えるだけで、人の進化・進歩は計りしれない。とにかく彼女は素直なところがよい。人間「素直、前向き」が一番。

人にモノを売るときには細心の注意が必要である。血眼になって「その物」を探している人が、実際に手に入れたときの期待やら感動やらは想像に難くないわけで、買う側の立場に立ってみると、自分の勝手な「ものさし」や思い込みで処理するのは極めて危険だと思うのである。コミュニケーションでもそう。僕は人間関係で何かトラブルが起こったときに、基本的に双方の意見を聞かないまま云々することはしないことをモットーにしている。その人の意見はあくまで主観的なもので、もう一方の話を別の視点でじっくり聞いてから客観的な判断をしないと間違った結果を導いてしまうからである。そういう僕でも「甘さ」はある。「まぁ、それくらい良いじゃないか」などとついついアバウトに流してしまうことも多い。悪く言えば「いい加減」、よく言えば「大らか」といったところか・・・。ともかく「他人に喜んでいただく」ことを軸に、仕事でもプライベートでも抜かりなくお努めしなけりゃとあらためて思った次第。

出逢いって素晴らしい

| コメント(3) | トラックバック(0)
brahms_munch_1.jpg
いやぁ、盛り上がりました。第24回早わかりクラシック音楽講座。ちょうど10名の方にご参加いただき、ネクラのブラームス(笑)を採り上げました。本当にクラシック音楽愛好者の裾野を拡げるような活動になってきて、我ながら「良いこと」やってるなぁという気分に浸らせていただいております。

ただ、ブラームスの音楽は入門者にはとっつきにくいようで、作曲者渾身の第1交響曲もいまひとつピンと来なかった方が多かったのは「やっぱり」という感じだった。そういう僕自身も、高校生の時に初めてこの音楽に触れたときは、第1楽章の序奏のとっ係りから何がなんだかよくわからないという雰囲気で、本当にしばらく「お蔵入り」してしまったことを懐かしく思い出す。ブラームスという作曲家は、一般的には保守的で堅牢な音楽を書いたように思われているが、実は後のシェーンベルクなどに通じる「斬新さ」をもっていたようで、彼の音楽が100数十年を経た今でも、人口に膾炙し愛好する輩が多いことも今となってはすこぶる頷ける。今日の講座でも皆さんにお伝えしたが、ともかくめげずに聴き続けてくださいと思う気持ちでいっぱいである。まさに「スルメ」のような作曲家で、聴けば聴くほど味わいが出て来るのだから・・・。

品川にて・・・

| コメント(2) | トラックバック(0)
brahms_abq.jpg
いつも拙ブログにコメントをいただいている雅之さんが久しぶりに来京されるというので、サシのオフ会と称して品川のとある寿司屋で酒を酌み交わした。
それにしても話が尽きることはない。何よりも同好の好みで、異論反論はごくたまにありはするものの、お互い思いの丈を包み隠さず率直に語れるところが素晴らしい。
特にクラシック音楽の場合、ただ同じ趣味を追求しているというだけではかえって喧嘩になる。例えば、カラヤン命という輩に対して、カラヤンの悪口はもってのほか。少しでも否定的見解を述べると、もう口を挟む隙もなく反撃されてしまうのがオチ。逆に、僕が愛好する(例えば)朝比奈先生の演奏などを糞みそにやられると当然ながらむかっ腹が立つ。人は皆感性が違うのだから十人十色、それぞれに主張があり、どれが正しいということはないゆえ、適当に受け流せば何の問題もないのだが、そこは「好き」という事実が災いし、ついつい熱くなってしまう。いずれにせよ「答え」はひとつではない。少なくとも自身の「感性」をたよりに死ぬまでこの世界を全うしようと今は考えている。

パンドラの箱?!

| コメント(2) | トラックバック(0)
mozart_gould_11.jpg
いつぞやブログに、グールドが演奏するモーツァルトのソナタ集を初めて聴いたとき、テンポが異常に速かったり、逆に遅かったり、あるいはまるでおもちゃの鍵盤で遊ぶかのようなスタッカートの効き過ぎた弾き方に抵抗を覚え、亡くなった直後の追悼盤として発売されたLPのボックスセットであったにもかかわらず、以降二度と聴くことなく棚の奥にしまってしまっていたことは書いた。聴かないのなら中古レコード屋に売り飛ばすか、好事家に差し上げたりするなどすればいいのに、なぜか手放す気にもなれず、ずーっとラックの最下段に鎮座させたまま放置してあった。もう20年以上も・・・。

しばらくアナログ・レコードを聴く装置を持っていなかったので(プレーヤーはあったが、Phonoイコライザーがなく聴くことができなかった)何年もLPは聴いていなかったが、つい先日譲っていただいたオーディオ装置ではアナログを最高の音質で聴くことができ、その音の良さに惚れ惚れするあまり、ついに前述のグールドのモーツァルトを聴いてみようと中から1枚を取り出し、そのA面だけを聴いてみた。何だか「パンドラの箱」を開けるかのような心境(笑)。
keith_jarrett_vienna_concert.jpg
ウィーンにはもう何回行ったことだろう。初めて訪れたときは感動で卒倒しそうなくらいだった。市立公園を散策し、それまでは写真でしか見たことのなかったブルックナー像やシューベルト像、ヨハン・シュトラウス2世像などを拝み、リンク・シュトラーセを回遊。途中、憧れの楽友協会ホールに立ち寄り、さらに国立歌劇場をバックに写真を撮る。1989年の夏のことゆえ、残念ながらシーズン・オフでコンサートは聴けなかったが、どういうわけかオペラは観た記憶がある(それが確かかどうかも定かでない。何のオペラだったかも思い出せない。ただ、国立歌劇場ではムーティの指揮する「フィガロの結婚」を観た記憶だけが残る・・・。ムーティとはいえ、初めて観る本場のオペラ体験は格別なものだった。今は懐かしい思い出)。
それに、シュテファン寺院の近くのカフェで休憩をとった時、メニューを見て美味しそうなデザートを発見し、それを注文した。アーモンド・ハニー。てっきり杏仁豆腐のようなお菓子が来るのかと期待していたら、出てきたのは何と「アーモンドに蜂蜜がただかけてある一品」。同行した友人と目を合わせ「そのままじゃん!」と思わず爆笑したことがまた懐かしい。

平成21年3月3日

| コメント(2) | トラックバック(0)
brahms_doppelkonzert_bernstein.jpg
音程の違う2つの弦楽器、ヴァイオリンとチェロが織り成す調べはどうしてこうも美しく魅力的なのだろう。片や女性的な包容力と創造力豊かな天国的な音色を紡ぎ出し、片や男性的な重厚さと地に足の着いた響きを生み出す。おそらく人間が作り出した楽器の中で、1、2を争う「高次のエネルギー」を創出する器械なのだろうと思うのだが、その2つの楽器が一緒に音を奏でるとき途轍もない調和を生む様は見事である。
友人同士でも夫婦でも、相手にない部分を互いに補完し合うことでシナジーを生む。1+1は2ではなく、4にでも10にでもなるのである。

先日、とある経営者の会で知遇を得た株式会社リトル・ママの森社長とお会いした。愛知とし子の今年のテーマが「赤ちゃんとお母さんのための癒しのコンサー ト」であるため、彼女を引き合わせるためにアポイントをとったのである。1時間半近くにわたってリトル・ママのことを伺い、我々は我々が目指すビジネスについて語り、相応の収穫があった。細々と個人向けにサロンを開催する分には口コミで十分だが、やはりビジネス展開するとなるとそれなりの宣伝を考えないといけないし、それにはこのサイトを活用させていただくことが近道になるのではないかと思った次第である。

春の息吹

| コメント(2) | トラックバック(0)
Dvorak_Requiem_Kertesz.jpg
少しずつだが、確実に事が動き出しているように感じる。3月は新規でプレゼンテーションをする機会をいただいたり、新たな場で講演の予定があったりと、緊張感に溢れる意義深い一月になりそうだ。ただし、その一方で、確定申告や会社設立のための準備、あるいは講座のための資料作りなど瑣末な雑務も多い。片手落ちにならないよう要領よく時間をうまく使ってひとつひとつこなしていかなければ・・・。
誕生月である3月を迎え、全ては種まきであり、近い将来必ず「花開く」ことを信じて、日々一生懸命に生きようと気持ちを新たにする。

今週末、早くも「早わかりクラシック音楽講座」(本当に時の経過は早い)。採り上げる楽曲や内容についてはしっかりとイメージはできているのだが、いかんせん雑事が多く、準備が思うように進まない。今回採り上げるブラームスに関しては若い頃から文献を読み漁り、様々な音盤を聴いてきたので、簡単に資料作りができそうだと高を括っていたのだが、それにしても楽しみにご来宅いただける何人かの方々のことを考えると、さすがにいい加減なものはご提示できない。かつて電車通勤をしている頃は、その時間を必ず読書の時間にあてていたので、結構な量が読めたものだが、「通勤」から解放された今は、移動するときも徒歩だったり、電車に乗っても行き先に近場が多いということもあり、読書量がめっきり減った。やっぱり早朝なり余裕のある時間帯にある程度読書の時間は確保すべきなのかな・・・などと考える。

アナログ盤

| コメント(4) | トラックバック(0)
Miles_Kind_of_blue.jpg
どういうわけか夕べは寝つきが悪かった。身体は疲れているのに頭が妙にさえ、ほとんど浅い眠りにしかつけなかったので、何だか今日は一日眠い。

IKEA港北店にお出かけ。日曜の夕方ともなると、人、人、人・・・。自宅で本格的に乳児向け音楽サロンを展開するにあたり、部屋の雰囲気を一新しようと策を練り、必要最小限の家具を買い揃えようと久しぶりに訪れたのだが、本当に人疲れした(とはいえ、そこそこお洒落な家具が格安で手に入るのだから、これだけの人が押し寄せてくるのも頷ける)。

帰宅後、ちっきー君が来宅。不要のオーディオ機器をYahooオークションに出品してもらうためわざわざ来ていただいた。彼も最近JBLの中古スピーカー(Horizon L-116)を格安で手に入れたので、以前その音を聴かせていただくために笹塚のお宅まで伺ったが、かのJBL以上に柔らかくかつハリのある鮮明な音にちっきー君も度肝を抜かれたようだ。しかも、TANNOY・Mayfairを2つ目のスピーカーとしてつなぎ、2台を同時に鳴らせるようセッティングしたものだから、ほとんどサラウンド的な効果が獲得されて、奏者が目の前で音を出しているのではないかと錯覚してしまうほど。せっかくなので、久しぶりにアナログ・ディスクを堪能した。

2010年9月

      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

最近のコメント