2009年4月アーカイブ

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昨晩のミーティングはとても有意義だった。必要な時に必要な人が集まり、必要な時間をかけてブレーン・ストーミングすることで多くの「智慧」が拝借できる。不況の影響もあるだろうし、自己投資とはいえ目に見えないものに相応のお金をかけるには勇気もいるだろうから、金銭的なハードルを下げてのショート・プログラム(3時間)を試験的にやってみようと思った(ちなみに、今週末5月2日(土)と3日(日)に実施予定、費用はonly¥3,000!)。
ちなみに、新規の方はもちろん既に受講いただいた方のフォロー的な意味合いも兼ねたコースなので、ご興味ある方はぜひご連絡ください。この1年の経験からの「人間の本質は結局変らない!変るのはホニャララだ!」という大発見をお伝えしたいと思います。

そう、ある意味「自己変革」そのものがナンセンスなのである。自分を改革しようと「自分だけに意識を向けて」トレーニングしたところで意味はない。
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「社会起業家ネットワークの会」主催のワークショップに参加した。既に何かを始められている方、あるいは将来的に何かを始めたいと思っている方など様々な業界業種、立場の方が参加されていた。「社会貢献とは?」「地球環境を大切にするには?」など、旬なテーマを題材に何回かのディスカッションが繰り広げられる。
50名以上の方々が参加されていたのだろうか。少なくともこれだけの人が「社会貢献」、「社会起業」に意識をもっているという証であり、何からどう始めればいいのかわからないが、何かをやらなければいけないと思っている人たちが実に多いということだ。

「では、あなたは何をするの?どういう社会貢献をしたいの?」

就職活動中の学生に「どんな仕事をしたいの?」、「何がしたいの?」と聞くのと同じように、そう質問をされても納得のゆく答を持っている人は以外に少ないかもしれない。結局、ひとりひとり「自分に何ができるのか?」を自問自答して、出てきた答に対して地道に行動を起こしていくということしかないのである。さらには、自分の「想い」に共感してくれる仲間、すなわちネットワークがどれだけあるかが物事を実現させるポイントになるのだろう。
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2ヶ月前にスピーカーやアンプなどの高級オーディオ装置一式をいただいたO氏ご夫妻が来宅。2時間ほど美味しいお茶とお土産にいただいたシフォンケーキを食しながら歓談。せっかくなので音を聴いていただこうと「何か見繕いましょうか?」と尋ねたところ、氏が徐にジャケットのポケットから一本のカセット・テープを取り出された。何と30数年前にNHK-FMでエアチェックしたというカール・ベーム指揮ウィーン・フィルの来日公演の実況録音とのこと。さすがに75年当時はまだまだ音楽に目覚めていなかったが、70年代終わり頃から僕自身も毎日のようにせっせとエアチェックをしていたものだからとても懐かしかった。久しぶりにカセット・テープを見たが、さてどんな音が出るのやら興味津々。いわゆる編集が施されていない生中継そのままの録音テープ。時間の関係でその全てを拝聴するのは適わなかったが、出てきた音を聴いてぶっ飛んだ。ともかく弦の音、管の音全てが鮮明に、かつ信じられないようなダイナミクスで勢い良くスピーカーから飛び出してくる。

ベートーヴェン:交響曲第4番変ロ長調作品60&第7番イ長調作品92
カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1975.3.16NHKホール生中継)
解説:大木正興、大町陽一郎
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ショスタコーヴィチが突然舞い降りてきた。一応昨日でブルックナーに一区切りつけ、しばらくまた棚の奥にしまおうと思った矢先にである。そういえば、ショスタコーヴィチもブルックナーに負けず劣らず「孤高の存在」であった。ソビエトという特殊な環境に生まれ育ち、しかもスターリニズムの洗礼を受けながらも世界的に通用するどころか、20世紀の生んだ最高の芸術家とまでいえる存在になり得たのにはそれなりのわけがあるだろう。もちろん持って生まれた「天才性」はモーツァルトやブルックナーのそれと同様。一方で、生き難い「社会主義国家」の中で「相応に」生き延びた「生命力」の凄さよ・・・。結局彼の場合も、「生きる術」、「生き永らえる術」を持っていたということなのだろう。それにしても、ショスタコーヴィチも他の天才同様、人間的にはどうだったのだろうか?その生涯についてはさほど詳しくないので多少の伝聞しか知らないのだが、ひょっとすると人間性は随分低かったのかもしれない。あくまで僕の勝手な見解だが。

ブル7聴き納め・・・

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最近の情勢はよくわからないが、ブルックナーは女性にあまり人気がなかった。今日の「早わかりクラシック音楽講座」のテーマはブルックナーの交響曲第7番で、朝比奈先生の聖フローリアン・ライブを中心にじっくりと聴きながら講義を進めた。それでなくとも長大な交響曲なのに、残響効果抜群のマルモア・ザールでの演奏は一層「間延び」した印象を与える。「間延び」といっても決してマイナスの意味ではない。ふくよかな響きと楽器と楽器が溶け合うまさにハーモニーは涙が出るほど美しい(相方に言わせれば大フィルのホルンの拙さが気になってしょうがなかったと・・・。まぁそのあたりは大目に見ましょ・・・)。
僕などは高校生時分からのめり込んで聴いている口だから、否定的見解、斜に構えた見解など持ちようがないのだが、女性に聞いてみると「ならでは」の意見が聞かれるところが面白い。
例えば、「それにしてもしつこいほど繰り返すよね・・・」
うーん、男は「しつこさ」が命みたいなところがあるね。ブルックナーもご多聞に漏れず、私生活では一生若い女の子のお尻を追いかけまくったし・・・(いつも気味悪がられ拒絶されてたけど)。名声や地位にも死ぬまでこだわったし・・・。
女性はそういう意味では「淡白」なのだろう。女性にあまり人気がないのは外見の野暮ったさだけでなく、くどいほどの「執着心」も大いに影響しているのだろう。

スーザン・ボイル

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bach_goldberg_leonhardt.jpg人は見かけによらない。どこにどういう才能が埋もれているか、どういう逸材が隠れているか誰も見当がつかない。多くの場合、とっつきなどの外面的な要素で判断されてしまうことが多い。
彼女の場合もそうだったようだ。12歳の頃から歌が好きでいつも歌っていた。英国の片田舎で生まれ育った彼女には楽しみといえばそれくらいしかなかったのかもしれない。47歳の今も独身だという。キスされたことすらない「箱入り」だとも。容姿は決して端麗ではない。美人でもない。それなのに最初の一声から観衆は釘付けにされた。登場してすぐ審査員が怪訝な顔で尋ねたのは「これまでどうして表舞台に出られなかったのか?」という質問(おそらくその外見だけで判断してみくびっていたのだろう)。それに対し彼女は、今まで単に「チャンス」がなかったのだと。

彼女の名前はSusan Boyle。つい先日来全世界のマスコミで取り上げられ、評判になった彼女の「信じられない」歌声。言葉にすると陳腐になるのでとにかく見てほしい。
http://www.youtube.com/watch?v=1t8m7CkpIK0

バランス

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ブルックナーの交響曲は奥深い。作曲当時一般聴衆によりわかりやすくという配慮から弟子のヨーゼフ・シャルクやフェルディナント・レーヴェの助言により、いわゆる「改訂版」というバージョンが作られた。そして、20世紀後半以降、「作曲者が本来意図した形での演奏を」という声の高まりと同時にこの版は「改悪版」、あるいは「改竄版」との異名をとり、コンサート会場で聴く機会をもてることはほとんどなくなった。しかし、昨日の雅之さんからいただいたコメントを読み、なるほど確かにその時代の背景、状況、あるいはニーズなど様々な角度、視点から物事を考え、捉えないと「理解」を誤ってしまうのでないかと思ったので、今日もそのことについて少々考えた。

なぜ師匠を尊敬していた弟子が「改訂」という行為を行ったのか?その真意、理由をしっかり理解することが肝心である。ブルックナーは敬虔なカトリック信者であり、それはその作品を聴いてみると「信仰心」の反映が具にみてとれるのだが、一方で人間としては「俗物」的な性格をもっており、その生活だけを見ても、大酒のみで大食漢、さらには強い結婚願望と同時に社会的地位と名声を終生追い求め、いくつもの肩書きや「証明書」に拘った。そういう師匠を見て「大衆の人気を得なければ話にならない」とおそらく弟子が好意でアレンジしたのだろうこと。そして、ブルックナーの創作物そのものが時代の先を行き過ぎ、日常的に繰り返し反復して作品に親しむことができなかった当時としては、より「わかりやすい」刺激的な味付けをした方が受け容れられやすいと判断しただろうことは雅之さんの指摘通り。
文献をいくつか復習的に読んでみて僕が思うに、ブルックナーは「心と身体のバランス」、「右脳と左脳のバランス」が極めて悪かったのだろう。神懸り的なインスピレーションで作品を創造したにも関わらず、あまりに社会から酷評を受け続けたことが自信喪失の原因になり、「ではどうすれば一般に認知され、受け容れられるのか」を彼は考え続けたのだろう。結局、「改訂版」は弟子が勝手にやった横暴でも何でもなく、少なくとも作曲者自身が実際にその出版を受け容れているわけだから、現代においてそれらがブルックナーの本質からかけ離れているといったところで、議論の余地なしとも思えるのだ。

ブル7三昧

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僕の場合、何か(あるいは誰か)に乗っかって「やるべきこと」を進めるのではなく、自力で「事」を推し進めた方が圧倒的に良いらしい。つい先日から同じようなことを考えていた。人間はついつい楽をするために安易な方法を模索することがあるが、結局「自分がやりたいこと」をやり遂げるには、人を頼ることなく単身でやれということだ。もちろん協力を仰ぐのはいい。自分が中心にいることが大事だということだ。

過去のこだわりは捨てること。古びた鎧を着たままで開放はできぬ。全く無意識なのだが、頭にこびりついた癖はなかなかそう簡単には抜けないもの。決して変らなくてもよい。「気づく」だけでいいのだ。

朝早くに起き、資料作り。なるほど早朝の陽光を浴びながらの仕事は効率が良い。都立大学にトリートメントに出掛けたついでに原宿で散髪。帰宅したのは夕方近く。そして週末の講座に向け音盤の最終チェック。ブルックナーの第7交響曲を何枚か部分聴きした。煩雑な版の問題を抱えている作曲家だけあり、いろいろな意味で聴き応え十分。初演当初から圧倒的な成功を治めた第7交響曲に限っていうならそれほど複雑な相違は見られないゆえ、いくつかのポイントを絞りながら聴き比べると面白い。
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すみだトリフォニーホールで開催されたマリア・ジョアン・ピリスのコンサートに行く。1800人収容というホールがほぼ満席の盛況ぶり。開演前の聴衆の期待感に溢れた空気がこれまた刺激を誘う。そして何より晩年のショパンの傑作群を中心にしたプログラム構成と演出がとにかく有無を言わせぬ素晴らしさであった。まずは事前のアナウンスで、アーティストの希望により曲間の拍手はしないよう要請される(何と!)。よってチェリスト、パヴェル・ゴムツィアコフが出番でない時に着席するための椅子と譜めくり者用の椅子の2脚が舞台上手に最初から置かれていた。

客席の照明が落とされると、万雷の拍手喝采の中、ピリスとゴムツィアコフが登場。1曲目のグラズノフ編曲による「練習曲第19番ホ短調作品25-7」からチェロのため息が出るほど美しい調べに恍惚となる。ショパンの原曲以上の説得力を持つ音楽。これによって会場がまずは浄化される。静寂の中、チェリストが上手に移動し、着席するや間髪入れずピアノ・ソナタ第3番ロ短調作品58の例の美しい第1主題がピリスの両手からおもむろに紡ぎ出される。僕はこれまでポリーニ、ポゴレリッチなどの実演を聴いているが、最も安定し、最も安心して聴けたのが今日の演奏。ショパンしか感じさせない理想的なテンポとディナーミク。決して解りやすい初心者向けの曲とはいえないが、これほど「行き先」が明確に見える演奏は極めて稀なんじゃなかろうか。フィナーレの後半部で、ゴムツィアコフが静かに移動、所定の位置に着くなり、今度はリスト作曲の「悲しみのゴンドラS.134」(何と二重奏版!)。ワーグナーの死を予感して生み出されたこの傑作の二重奏版は初めて耳にしたが、「トリスタンとイゾルデ」が木霊する世にも悲しげな旋律はチェロの音色をもってこそ相応しいように思えるのだ。慟哭の調べが心に奥底に染み渡る。
休憩後には、ショパンの「マズルカト短調作品67-2」と「イ短調作品67-4」。哀愁のマズルカ。純白のショパン。そこにはもはや演奏者ピリスの影はない。

奇人変人ブルックナー

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頑なに「殻に閉じこもってきた人」は直截的な交流を嫌う傾向があるのだろうか。そういう人に対しては、傷つきやすい子どもを相手に言葉の遣い方ひとつひとつに集中しながら、なるべく「もちあげるような」言い回しをしないと、突然ちゃぶ台をひっくり返すような行為に出たり、悪態をついたり、正常な思考では考え付かないような、あるいは思いもよらないような反応が返ってくることが多い。ある意味「自意識過剰」であり、「被害者意識」の塊。
それでも「愛情を求めているのだ」ということはよくわかる。ただ無尽蔵に「愛」を与えられる人間ならそういう人と「うまくやっていくこと」はおそらくできるだろう。ただし、そこには対等のエネルギー循環はない。Give and Giveであり、Take and Takeなのである。

子どもの頃に、しっかりと躾をしながらも、一方で「愛情」を十分に与えることは親の責務である。そのバランスが難しいといえば難しいが、基本はしっかりコミュニケーションをとる時間をもち、考えていること感じていることをお互いにじっくり話し合うことだ。そして、悪い時は悪いと叱り、良かった時は良かった時でしっかり褒めるという何でもないことがすべての基本なのだと僕は思う。

イザイ、自然治癒

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クラシカル・ホメオパシー・センター主催のイントロダクションセミナーに参加した。去年の11月にコンサルテーションを受けたドクター・ロバート・ハシンガー氏が講師。質疑応答を含め2時間超のお話は、ホメオパシーの基本概念を理解する上でとても解りやすく、良かったと思う。いわゆる現代の西洋医学、つまりアロパシーが「対症療法」であるのに対し、ホメオパシーはそもそもの原因を究明し、根本的自己治癒を目指すというもの。とはいえ、日常に溢れるストレスをいかに軽減するか、そして食べ物や飲み物など摂取する者を日々いかにコントロールするかが大事な鍵でもあり、結局は「生活」そのものの意識改革が絶対的に重要な要素となる。

先日「エミング」の講演でも、中嶋裕氏が口を酸っぱくしておっしゃっていたのは「腹八分目」と「半断食」の効用について。「入れること」より「出すこと」を第一義に考えるべきだと。「休肝日」同様、時には胃腸を休めてデトックスすることがいかに大切か・・・。病気の原因が「腸内異常発酵」にあるといわれるゆえ、なるべく「胃」の中に物を残さないようにした方が良いということだ。
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子どもは正直で皆かわいい。渋谷のTEPCOホールにて「愛知とし子ファミリーコンサート」。客席はほぼ8割埋まり、お陰さまで盛況のうちに終了。100名規模のホールでの未就学児童OKのリサイタルは初めての試みだったが、多くの気づきがあった。
ピアニスト本人に言わせるとピアノの調整は完璧で、さすがに1週間に4回もの公演をもたせていただくとテクニック的にも随分安定するようで演奏そのものはほぼ完璧な出来とのこと。あとは演奏以外の仕切りやトークについて今後研究の余地ありだろうか・・・。
何ぶんまだ子持ちじゃないゆえ、子どもの扱いがいまひとつ。こればっかりは人様から教えてもらうことではなく自ら経験せねばならないことだ(苦笑)。

それにしても「親の姿勢」は「子どもの姿勢」なり。良くも悪くも親の「心の状態」が子どもの「心の状態」に反映される。子どものためのコンサートとはいえ、何だかお父さんお母さんのためのコンサートであったともいえる。うん、すべてが勉強です。
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1892年4月15日、聖フローリアンで、ベルンハルト・ドイブラーの指揮によりブルックナー最後の教会典礼用作品である「王の御旗は翻る」が初演された。この曲は、マルティン・フレーミヒ指揮するドレスデン十字架合唱団による「モテット集」に収録されているが、作曲者最晩年の崇高な精神が反映されており、聴くたびに心が洗われ、清清しい気持ちになる。根岸一美氏著の「作曲家○人と作品・ブルックナー」(音楽之友社)によると、初演の同年同月日にハンブルクではグスタフ・マーラーの指揮により「テ・デウム」とモーツァルトの「レクイエム」が演奏され、大成功になったことが具にレポートされている。しかも、その翌日マーラーは師であるブルックナーに次のような手紙を送り報告さえしているとのこと。
「昨日(聖金曜日)私はあなたの素晴らしい、そして力強い『テ・デウム』を指揮しました。一緒に演奏した人たちもすべての聴衆も、力強い構成と真に崇高な楽想に深い感動を与えられました。そして演奏の最後には、私が作品の最大の勝利と考えているものを体験しました。聴衆は黙って座り続け、身動きすることもなく、指揮者である私と演奏者たちが席を離れてから、はじめて喝采の嵐が巻き上がったのです・・・。『ブルックナー』は、今やハンブルクへの勝利に満ちた入場を成し遂げたのです」

風雅

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夕べ、少しばかりジャン・ユボーが弾くフォーレのピアノ曲を聴いていて、フォーレもやっぱりJ.S.バッハの影響を受けてるんだとふと感じた瞬間があった。ピアノ小品集作品84。よくよく内容を見てみると、第3番と第6番はフーガ。道理で・・・。これは別々の時期に作曲された小品を1902年にまとめて出版したものらしいが、こういう何でもない音楽をじっくりゆっくりと堪能してみると意外な発見がある。

クラシック音楽絡みの講演をさせていただく時にお話しするのは、クラシック音楽は決して高尚でも難解でもないということ。眠くなれば寝ればいいし、何気なく聴き流すというのでもいい。何となく耳にしていても、ついつい「気に留まる」旋律が出てくるものだ。「いいな!」と思えた瞬間、音楽があなたの心を捕らえた瞬間なのである。そして、「いい」と感じた音楽を繰り返し聴くこと。反復することで必ず新たな発見がある。物事は何でもそうやって習得、自分のものにしていけば自ずと楽しくなる。

チベット体操

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もうかれこれ6年近く毎朝チベット体操をやっている。30分ほど時間をかけて5つの体操をする。ここ数年ブームのようで一般に認知され出したように思うが、数年前は「何それ?」と必ず聞かれたものだ。チベットのラマ僧に端を発する一種の儀式だが、これが極めて気持ちが良い。これだけ継続しているにはそれなりのわけがあるからで、目覚めもそうだが、体操中に降って湧いてくる閃きやアイデアが結構「使えるもの」が多く、止めるに止められないのである。元々「継続は力なり」をモットーにする性質だから、そう簡単に止められないのだが、この充実感や楽しみは本当に「続けた者」にしかわからない醍醐味である。

こうだ、ああだというメッセージが突然降りてくる。いついつまでにこうなりなさいという指令も降ってくる(笑)。それをきっちりと行動に移し、結果に導いていくのがこれまた難しいのだが、都度しっかりメモをし、その日のうちにやるべきことはやる癖をつけている。今日は「そろそろ本を書け!」-そんなことを言われた気がする。考えていることを文章化してまとまった書籍にするには相応の努力と時間を要するが、いよいよやってみるかという気になっている(実際どうなるかはわからないけど・・・)。

Boston最高!

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人は誰でも「表現したい」と思っているのだろう。何らかの要因で子どもの頃から抑圧傾向にあるだろう人は一層そういう「表現意欲」が強くなる。そして「表現」という行為の先には「ひとつになりたい」という欲求が隠されているように思う。「関係性」に着眼しながらセミナーを運営していると、そのあたりが「結果」としてより明確になる。

人の話をよく聴くこと。これはコミュニケーションの原点だといわれる。7割を相手にしゃべらせ熱心に聴くとコミュニケーション上手だという。それは確かである。ついでに加えるなら、一方でしっかりと「伝えられる」発信能力も身につけること。それこそまさに「表現」のための決定的ツール。聴き上手、話し上手、いずれも大切なスキルである。人と直接に出会うという腹を割ったコミュニケーション(受容し、かつ伝えること)ができることは十分な「癒し」効果である。
ところで、昨日の講演でもお話しさせていただいたが、例えば仕事などで問題を抱えることが多い人は、得てして「家庭でのコミュニケーション」に問題がある場合が多いように経験上思う。家庭という土台があっての「人間力」だから。わずかな時間でいい、親子なり夫婦なり家庭でのコミュニケーションを大切に・・・。

雨の御堂筋

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生憎の天気。大阪の街を訪れたのはいつ以来だろう?おそらく2002年2月7日、その日ザ・シンフォニー・ホールにて営まれた「故朝比奈隆お別れの会」にはるばる東京から参列し、先生の遺影を前にベートーヴェンの第7交響曲第2楽章などを涙しながら聴いて以来のことと記憶する。確かその日以降大阪には足を踏み入れていない・・・。
19歳まで関西圏に育ったにもかかわらず、僕は大阪のことはよく知らない。今や26年という年月を共にした東京という都市のほうにむしろ詳しい。滋賀の山奥育ちの若者の行動範囲は極めて狭く、せいぜい京極辺りを闊歩する程度。もちろん奥手の高校生だったゆえ、友人らと少々ゲームセンターに浸ったことは数度あるものの、基本的にはいわゆる音盤屋巡りを繰り返すのみ・・・。嗚呼懐かしや。

大阪「輝き塾」での講演会が無事終了した。前半1時間が「人間力」をテーマにした僕の講演、後半30分が愛知とし子ピアノコンサート。20名ほどのお客様、それも大方が僕より年配の、人生という意味でも仕事という意味でもはるかに経験の豊富な方々を前にしてのお話はいさかか緊張した。それでも時間を経るにつれいつもの本領発揮で、自分的には納得の時間であった。そう、思う存分勝手気ままに語らせていただいたということだ。感謝。

モーツァルト・オペラ

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モーツァルトの真髄はオペラとピアノ音楽にあるといわれる。僕がクラシック音楽を聴き始めた10代の頃、確かにモーツァルトのピアノ・ソナタやピアノ協奏曲の魅力にとりつかれ、毎日のように反復して聴いていたことを思い出す。さすがに今の歳になってしょっちゅう聴くということはなくなったものの、それでも時折僕のモーツァルト体験の原点であるバックハウスの弾くソナタなどを聴くと心洗われるような気持ちになるのだから、その力たるや凄いものだと思うのだ。
オペラはどうか?前にも書いたが、特に若い頃は「歌モノ」が苦手であった。対訳を読みながら音楽を聴くという行為に慣れないという理由(たとえ字幕付の映像であろうとその違和感は同じ)。そして、どうしても母国語でないと微妙なニュアンスまでが掴みきれないというもどかしさがあるという理由。そういったことから余程音楽や作曲家そのものに興味を持たない限り、随分オペラの世界は避けてきた。それでも音楽そのものを聴き込み、楽しむということを続けていくうちに、ワーグナーやR.シュトラウスなどのドイツ・オペラの奥深さにはまり、そうなるとヴェルディやプッチーニも押さえなくてはという考えからイタリア物も少しずつ聴くようになり、結果古今東西有名といわれる歌劇については一通り把握はしてきた。―それに1990年頃から休暇を取って頻繁に欧州を訪れるようになってからは本場のオペラハウス(ウィーン国立歌劇場やベルリン・ドイツ歌劇場、あるいはジュネーブ歌劇場などなど)でいくつもオペラを体験するようになり、その真髄に触れることで、ほんの少しずつだが理解できるようになったともいえる。

mozart_don_giovanni_krips.jpgさて、モーツァルトのオペラ。オペラを徹底的に聴かずしてモーツァルトは絶対に語れないと最近ようやく「解る」ようになってきた。30年以上聴き続けて来て「今頃か!?」と言われかねないが、そうなのだからしょうがない。それでも、まだまだ彼の有名なオペラしか聴いてこなかったゆえ、昨今は隠れた名作をじっくりと聴いてみたいと思いつつあるところ・・・。

さすがに昨日一日「愛知とし子ピアノリサイタル」の仕切りで疲れたようで(もちろんピアニスト本人ほどの疲れではないが)、それと明日の講演会のための英気を養うという意味も兼ねて今日はのんびりと過ごした。
で、今日はとりあえず有名どころの「魔笛」と「ドン・ジョヴァンニ」。
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やなか音楽ホールでの「愛知とし子ピアノリサイタル・スプリングコンサート2009~翔~」が無事終わった。100名ほどの小さなホールだが、オーナーが音楽好きで半分道楽のために(笑)造ったということもあり、音響効果も抜群でお客様の反応も良く、とても感動的なコンサートだったと思う。
1曲目のラヴェルからショパンを経て、今回のコンサートの目玉である創作音楽物語「子どもの情景」(シューマン作)までテンポ良く観客を「その気」にさせる腕前は今まで以上に上がっている。特に「子どもの情景」は、眼前にはっきりとイメージが膨らみ、とても心地よい瞬間を過ごさせていただいた。それにしても読み聞かせをしていらしゃるやさかのっきぃさんの朗読はさすがで、先月信楽町でのリサイタルの際、僕が代役として舞台に出させていただいたものとは雲泥の差(苦笑)。やはり餅は餅屋である。
とはいえ、僕としては今回のリサイタルの白眉は休憩後のチャイコフスキーであり、ブラームスであり、あるいはガーシュウィンであったと思う。特に、ブラームスの間奏曲作品118-2は作曲者晩年の「侘び寂」とクララへの切ない想いを適確に表現した名演奏だった(もちろんラストの「ラプソディ・イン・ブルー」も大熱演だったが・・・)。
なお、アンコールには「愛と知と・・・」より、パッヘルベルのカノンとマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲の2曲が披露され、さすがに本人の編曲版だけあり、こちらも堂に入った「優しさ」溢れる音楽であったことを付け加えておく。一体感のある会場で、こういった名演奏に触れることができた本日のご来場者は本当に幸せであると思う。決して身内贔屓の大袈裟な話ではなく・・・。
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春というより初夏の陽気である。昨日と今日2日間例によって富士山の麓にある「フェザント山中湖」にて「新人合同合宿研修」。基本は「人間力」、コミュニケーションについて。そして「関係の質」の変革、つまり「自分以外の他者に意識を向ける」よう口角泡にして語らせていただいた。今回の新人のみんなは自己表現が極めて苦手なようで、何を考えているのか、何を感じているのか今一つつかめない。それでも最終的にはひとりひとり「良い顔」をしていたので、何やかんや言いつつも心にはズシンと届けられたのではないかと自負している。
十人十色。そして類は友を呼ぶ。こういう研修をしていると当たり前なのだが、毎回反応が違うのが面白い。「なるほど、そうくるか!」という反応を示してくれる輩がいる。あるいは「ほー、そういう風に感じるのね!」と感心するほど斬新な視点でモノを見ている若者もいる。いずれにせよ、相手にしているのは「人間」。結局は「受け容れて、認めてあげた時」にその人は力を発揮する。いろいろと不甲斐ない側面をもちつつも、それぞれが良いところを有している。各々の潜在的な能力を引き出してあげることが、われわれ「モノを教えることに従事する」人々が為さねばならない仕事なのだろう。あらためていろいろと考えさせられた2日間であった。
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とても当たり前のことだが、物事は単独では存在し得ない。全てが「関係」の中で成り立っている。問題も「関係」の中で起こる。よって、問題を解決する術は「個」に意識を向けるのではなく、全体で捉えること、すなわち「関係性」の分析から始めることがポイントである。これは間違いない。
心に余裕がなくなると、ついつい「思い込み」が生じる。「思い込み」はコミュニケーション障害のひとつの形のようなもので、それをきっかけに時に大きな問題に発展することがある。こういう問題も「関係性」というものを常に意識することで回避することができよう。「木を見て森を見ず」ではなく「木と森とを両方の観点からしっかり見る」のである。この視点から徹底的に人を見、セミナーにて提示すれば絶対に良いものになると確信する。

明日から2日間、また山中湖での「新人合同合宿研修」。今回はまたどんな若者と出会えるのだろうか・・・。楽しみだ。
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人間は結局は変らない。長い間、セミナーを通して人に接していく中で、僕の中で自ずと生まれ出た解答である。それは決してネガティブな意味ではない。むしろポジティブで前向きな意味において「変化しない」といえるのである。
そもそも人は変わらずとも潜在的に各々が「脳力」を秘めている。誰一人として無駄な存在はなく、ひとりひとりがやらねばならない使命を持っている。それが例えば教育の中で「ひとつのものさし」で計られることにより優劣を決められ、結果的に自信を喪失することで本来の力を十分に発揮できなくなるのである。
ちなみに「ひとつのものさしで計られる」という事実が「関係性」を軸にしていることがわかっていただけるだろうか?他者との相対評価、それも「勉強」や「スポーツ」という一定のルールの中で評価の優劣が決まってしまうこと自体、個々の絶対性を大事にしていないということにつながるのではないのか。
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ベンチャー企業の新人研修を請負っていると、ときに新人の「離職率」に話が及ぶ。A社はこの1年で全員が辞めた。B社は半分だ。それに比べC社は全員がお互い励まし合いながら頑張っている、など。確かに世の中全般やその業界の景況感そのものが働く環境にマイナス要因として作用することで、人はやる気を失くし、結果辞めてしまうことになると思うのだが、それって「景気」のせいだけなのだろうか?
従業員が明るく元気よく働く会社、離職率の極めて低い会社を注意深く観察してみると、明らかな点が浮かんでくる。
まず第一に、会社のトップに「愛」があるということ。人の言うことを素直に聞いてくれる。そして、怒る時はしっかり「愛」をもって怒ってくれる。だから、仕事上どんなに厳しくても、最後は受け容れてもらっているという「安心感」が常にある。
「つながっている」ことを実感する時、人は自分に対しても他人に対しても「優しく」なれる。会社のトップが率先して従業員との絆を深める態度と行動を忘れなければ、人が離れることは絶対にない。誰しもそういう社長、上司についていきたいと思うはずだから。言うは易し、行うは難しだが、組織を活性化するための最大の策は「関係の質」をいかに改善、向上させるかである。ポイントはそこに尽きる。

懐かしきThriller

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ワークショップZEROは人間力向上セミナーと銘打っているが、その裏に隠されたメッセージとして「ひとつになる」ということを掲げている。10年前は、世の中でナンバー1になるべくスキルアップが必要だということで学生に対して「土台」のブラッシュアップを提示していたが、今となっては、「癒し」がテーマであり、誰もが「一体化」を求めているのではないかと考えるからである。今日も電話で、あるいは打合せで何人かの方々と話をさせていただいたが、最終的に行き着くところがその「ひとつになる」ということであった。きちんとロジカルにお話をさせていただくと大抵人は皆理解してくれる。右肩上がりの経済成長も重要だが、それ以上に大切なのが「ひとりでも多くの人が他者に意識を向け、自ずと他人のために動ける社会を創生すること」だと思うのである。

諸行無常

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目黒川沿いの夜桜を堪能した。それにしても人、人、人・・・。中目黒の駅前から吃驚するような混雑ぶり。見知らぬ人と酒を酌み交わし、今宵も楽しいひと時を過ごさせていただいた。

人生は山あり谷あり。右肩上がりに順調に成長をし続けることはない。諸行無常である。

ワークショップZEROの無料体験セミナーをやってみた。とても前向きな方々にご参加いただいた。その際、色々な話をさせていただいたが、結局は「身の周りに起こる全てを受容する」ということに行き着いた。そう、やっぱり「ひとつになる」ということがテーマであり、ポイントなのである。

酔っ払ってついつい隣の駅まで寝過ごした。副都心線の場合、隣の駅といっても歩いて10数分ゆえ特に苦にはならない。むしろ酔い覚ましにちょうど良い。身の周りに起こるあらゆる事象を受け容れよう。

0歳の記憶

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僕には0歳の鮮明な記憶がいくつかある。それがいつの時期だったのかは親に確認して初めてわかったことなのだが、ひとつは生まれて間もない、まだ新生児の頃の思い出。新生児とはいえ「光景」をまざまざと覚えているわけだから目は見えていたことになる。とすると3ヶ月頃くらいの記憶なのだろうか・・・。それは曾祖母と母の妹(つまり叔母ということになる)に入浴させてもらった時に誤って湯船に落とされ、お湯の中に沈んでいったというもの。そんなことを明確にはっきりと覚えているのである。さらに、6ヶ月健診(だったかの)の際、母に負ぶわれてバイクで病院に向かう途中、運転する母が水溜りでハンドルを取られバイクごとこけてしまったという光景。これ以外にもいわゆる「はいはい」をしている時の記憶など、いくつも忘れられない思い出がある。
みんな信じられないと言う。信じようが信じなかろうが、僕の記憶の隅っこにそれらのことがれっきとしてあることは間違いない。残念ながら過去世や前世までの記憶はないが、ひょっとすると記憶のスイッチなるものを押せばそのうち思い出してしまうのではないか。最近ではそんな淡い期待を密かに抱いている・・・。
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サーバーを「さくらインターネット」に移行したらお陰さまで随分快適になった。ITについてはとんと疎いが、独立してから友人の協力を得ながらサーバーの登録や管理、ホームページやブログのセットアップをまがりなりにも自力でやってきて、少しずつ「しくみ」がわかってきたように思う。まさに「習うより慣れろ」である。それにしても、ほとんど同額の料金を支払いながら、これほどまでに「違い」があるというのは逆に面白い。これも「個性」といえば「個性」なのか。

昨年に引き続き、明日から2日間、「フェザント山中湖」でのベンチャー企業新入社員合同合宿研修の講師を務める。今年のポイントは「社会の厳しさ」を教え、「達成感」を実感させるということ。確かに、今のような景況感の中で社会に出て行く若者のために「世の中甘くない」ということを体感的に知らしめることは大事だと思うが、一方で(会社を含めた)人のために「働くこと」の喜びを教えることが重要ではないか。だから、僕の中での裏テーマは「ひとつになる」というもの。複数の人間が集合し、各々が「他」のために動き、働き、助けることで成果は2倍にも3倍にもなる。人と人が織り成すシナジーというのは無限大であるということを最終的に感じてもらいたいと考えているのだ。
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「こんなチェロ協奏曲が人間の手で書けるということを、私はどうして気がつかなかったのだろう?もし気がついていたら、とっくに私自身が書いていただろうに!」(~作曲家別名曲解説ライブラリー6-ドヴォルザーク)
ブラームスをしてそう言わしめた稀代の名チェロ協奏曲。メロディストの面目躍如たる名旋律の宝庫、第1楽章からフィナーレまで一部の隙もない完璧な音楽が奏でられる。初めて聴いたのはデュプレとバレンボイムによるLPレコードで。もう30年前になる。繰り返し擦り切れるほど聴いた。そのうちドヴォルザークの音楽そのものに多少の飽きを感じ、ほとんど耳にしない時期が続いたが・・・。

決して得意な作曲家とは言えないが、時にドヴォルザークの音楽を聴くと、妙に心躍る。それにしても前述のブラームスの言葉。気がついたら書けるものなんだろうか?(笑)少なくとも旋律を創造するという行為においてはドヴォルザークに一目置いていたブラームスだけに、ひょっとすると嫉妬半分の自己卑下的コメントなのかも・・・。世間が認める大作曲家といえども時には負け惜しみを言いたくなることもあるだろう。

2010年1月

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