不毛の時期というのも必要なんだ~ホグウッドの「エロイカ」

山あり谷あり、気分の浮き沈み、長期で見ても1日という短い単位でみてみても、人間というものアップダウンは必ずある。特に鬱陶しい雨が降り、しかもじめじめと蒸し暑い今の時節は心が滅入って自暴自棄になる人も多いみたい。
以前読んだ福島章氏の「ベートーヴェンの精神分析」によると、57年の生涯だったベートーヴェンにも人生で4度ほど不毛の時期があったそう。
最初が1787年~89年というボン時代の後期。17歳~19歳という多感な時期だということもあるが、この頃ベートーヴェンは父親のアルコール漬けにいよいよ堪忍袋の緒が切れ、選帝侯に「父親の身柄を田舎に移して周囲に迷惑をかけないようにしてくれ」という趣旨の嘆願書まで書いているほど。若い頃から随分苦労しているんだ・・・。
2度目が有名なハイリゲンシュタットの遺書が書かれた頃、すなわち1802年前後。そして3度目が1814年~16年頃までの停滞期。これらの時期はどうやら軽い鬱状態が続いたようなのだが、確かに大きな作品は生み出されていない(一方、1811年夏~12年夏頃は軽い躁状態だったと推測されている。この時期も不毛期)。

しかしながら、上記の停滞期のそれぞれ後に創造された数々のマスターピースの完成度を鑑みると、「落ち込む時期(不毛の時期)」というのは必要なんだという結論に達する。1805年頃~08年頃の、ロマン・ロランをして「傑作の森」と言わしめた時期の名作たちがそのことを物語るし、3度目の停滞期を越えた後にくる晩年の極めて深い様式の哲学的作品群を思い起こすだけでそのことは明らか。

どうしてそんなことを思ったか。
ここのところ、ブログを書こうとしても頭が真っ白になってなかなか言葉が出て来ないことが多い。一昨日の記事でちょうど1800を数えるのだが、以前なら毎日すらすらと何かしら書く話題が思い浮かんだのに、どうもここ何週間かは思うようにいかないと感じていた。その矢先、例のドメインの期限切れ問題でしばらく更新が滞ることが判明し、もちろん残念な気持ちでありながら、どちらかというと少し頭を冷やす良い機会になりそうだという嬉しい気持ちが先行していたというのが実際で、それも束の間、あっという間に復活したことで(笑)、結局また同じようなスランプ的スパイラルにはまり込みそうでどうしたものかと・・・。

悩むのは止そう。書けない時は書けない。所詮ベートーヴェンと比べるまでもなく天才でも何でもないのだから、あえて「継続」にこだわり過ぎるのは止める。よって、しばらくは書けるときに書きたいように、感じた時に感じたままを書いてみようということにする(そう決めただけで何だかすごく楽になる・・・根が真面目すぎるみたい・・・笑)。

ということで、ベートーヴェンが「ハイリゲンシュタットの遺書」を乗り越えたあの時期のエポック・メイキング的マスターピースを。

ベートーヴェン:
・交響曲第1番ハ長調作品21
・交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
クリストファー・ホグウッド指揮アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック

元来古楽器演奏に僕は否定的だったけれど(特にベートーヴェンについては)、ここのところホグウッドのベートーヴェンが沁みる。ようやく心に届き始めたという感じ。「エロイカ」も素晴らしいが、第1交響曲の澄んだ音色と、あの時代にとって実に革新的だったであろうことが明らかな(第1楽章と終楽章の)最初の一音の衝撃。


5 COMMENTS

雅之

おはようございます。

ベートーヴェンの「英雄」の第1楽章
http://www.youtube.com/watch?v=3v94hhvYnAk
が、
モーツァルトが12歳(牛田智大ど同年齢!)で書いたジングシュピール「バスティアンとバスティエンヌ」 (Bastien und Bastienne) K.50(46b)(コルシカ島が舞台!)の序曲
http://www.youtube.com/watch?v=reEdfrWZxVY&feature=related
のパクリであることは前に話題にしましたが、
小谷野敦氏は〈『こころは本当に名作か 正直者の名作案内』新潮新書〉の中で、こんなことを書いておられます。

・・・・・・シェイクスピアが「盗作家」だというのも、一部ではよく知られている。私は『リチャード三世は悪人か』(NTT出版)で書いたが、『マクベス』で、マルカムがバンクォーの忠誠心を試すために、自分が悪人であると言ってみせるところなど、ネタ本をそのまま使っているし、歴史劇では、ホリンシェッド、トマス・モアなどが描いたものを流用している。当時は著作権などというものはないから、そういうことがあった。だが、それなら他の作者にもできたはずだ。司馬遼太郎の描く歴史小説は、もちろん史料や、それまでに他の作家が描いたようなことも取り入れて書かれているが、だからといって価値が下がるわけではない。既にあった材料をいかに巧みに取捨選択し、ブランク・ヴァースと呼ばれるリズムをもった台詞にして、全五幕の劇に仕立てたか、そこにシェイクスピアの天才があるのである。
 
 ところで、『ハムレット』をシェイクスピアの代表作とする人は多いが、ほかにも言っている人がいるけれど、十八歳か二十歳くらいで初めてこの戯曲を読んだ時、私は、なんだかめちゃくちゃだ、と思った。ところが、それから僅かな期間で、生きていると、ああ、これがハムレットの悩みだ、と思うようなことに次々とぶつかるのだ。恐らくこれは、二十歳前後にいちばん多いのではないかと思う。ハムレットは、仇討ちの劇なのに、その中で主人公は、世界が中心軸を失っていることに気づく。人は、大人になる時、たいていはこの問題にぶつかる。それまでは、両親や教師の言うことを正しいと思ったり、反撥したりしながら生きている。けれど、大人になったら自己責任である。右か左か、自分で決めなければならない。その時、人は何を信じればいいのか。私などは、大学を出て大学院に入った時、そういう中心軸の不在を(具体的には単純な将来への不安などなのだが)感じてノイローゼになり、ハムレットの苦しみが実によく分かった。ただ、そういうことをシェイクスピア本人がどの程度意識していたかは、分からない。それは十八世紀後半以来のロマン主義的な解釈だとも言える。・・・・・・56〜57頁より

「ぶれない自分軸」などというものは、最初から幻想なのです。なぜなら、人は、ほとんどの場合、他人や社会との関係性の中でしか、自分の行動を決められないのですから・・・。
漱石『草枕』冒頭のように、「ぶれない自分軸」と「バランス」との対立関係や矛盾に気づいた時、人は芸術を求めるのでしょう。吉田秀和さんは、人間の矛盾こそが芸術が生まれる源だと捉え、深く追究していったのでしょう。

今朝はそんなことを考えました。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
ほんとですね。すべてが幻想だとようやくわかりつつあります。(頭では理解していたつもりでしたが、本当にはわかっていなかった)
雅之さんの本日のコメントで少し楽になりました。
枝葉ではなくもっと本質のところを追究して仕事をしようと思います。
ありがとうございます。

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岡本 浩和

>雅之様
ところで、ご紹介の宇野さんの「エロイカ」。、一般的には賛否両論、というより否定見解の方が多いように思われますが、僕は「あり」だと思います。ベートーヴェンを冒とくしているとか、スコアを完全無視した暴挙だとかいわれますが、200年前の大らかな時代でしたら、ああいう風にいじくっても誰も何も文句言わなかったんじゃなかろうかと思うのです。そもそも音楽芸術というものが目に見えない、形のないものですからね。
人間の頭が現代になるにつれどんどん固くなっていることがこういうところからも明らかです。

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雅之

今日は、宇野氏の話には、あまり振りたくなかったのですが・・・(苦笑)。

>200年前の大らかな時代でしたら、ああいう風にいじくっても誰も何も文句言わなかったんじゃなかろうか

同感です。そもそも録音というものが無かった時代には、一回の実演にいかに強烈な印象を残せるかが勝負になるわけですからね・・・。現在一般的に良いとされているクラシック演奏の価値観とはまったく異なっていたと考えるのが、むしろ自然でしょう。

宇野氏指揮「エロイカ」は、youtubeで視聴した印象だけですと、名演と紙一重であると個人的には感じました。紙一重の差で、あとひとつ何か説得力と魅力に磨きがかかれば、先日聴いたポゴレリッチによる、今作曲されたばかりであるかのような新鮮で超弩級で超個性的なリスト:ピアノ・ソナタの超名演と同格以上になれたはずなのに・・・、という感じです(笑)。実際に会場で聴いたら、どうなのでしょうね?

でも、谷川俊太郎氏の、あの有名な詩を思い浮かべて微笑んでしまいましたよ(笑)。

ベートーベン

ちびだった
金はなかった
かっこわるかった
つんぼになった
女にふられた
かっこわるかった
遺書を書いた
死ななかった
かっこわるかった
さんざんだった
ひどいもんだった
なんともかっこわるい運命だった

かっこよすぎるカラヤン

《谷川俊太郎詩集》(角川文庫)より

やっぱ、宇野氏のドンキ・ホーテ的とも形容したくなるカッコ悪い解釈は、ベートーヴェンその人の指揮ぶりに肉薄している可能性が大いにあるかも、ですね(笑)。

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岡本 浩和

>雅之様

>宇野氏の話には、あまり振りたくなかったのですが

そうは言いながら、あの映像を投稿されたのは雅之さんでして(笑)。冒頭のアインザッツのズレからいかにも恣意的ですが、実演を聴くとなるほどと納得させられる部分もありますので、機会あれば(もうないかなぁ)お聴きください。ポゴレリッチ同様素晴らしいと僕は思います。

ちなみに、谷川氏の例の詩、いいですよね。思わずほくそ笑みます。

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