東京に戻った。
わずか数日だけれど仕事を離れているとメールやら何やら事務処理の雑多さに目が回る。
明日のコンサートのための準備を少しばかりしてようやく落ち着く。基本的にはその場で対処するというのが僕の方法なので前日に慌てて用意することはほとんど何もない。今はショパンでも聴きながら成功を祈るのみ。
それにしてもルイサダの「マズルカ集」(新盤)は出色!!今日のところは思考がまとまらないので記事にすることは止めておくが、とにかくギリギリのところまで崩し、しかもその方法がこれまたセンス満点で(装飾も見事!)、この音楽がポーランドの農民のための舞曲だったことを再確認させてくれる。その分、いわゆる哀愁感が減退し、愉悦感が前面に押し出される傾向にあるが、ルービンシュタイン盤が随一の名演奏だと信じ込んできた僕にほんの少しだけれど考えを改めさせる、そういう機会を与えてくれるとてもインパクトのある音楽が終始一貫する。
ショパンの自作自演を聴けたらば、都度違っておそらくこんな演奏を聴かされるんじゃなかろうか、そんなことを感じさせる、実に自由奔放で、気力に満ちて。
やっぱり「マズルカ」はショパンの最高傑作揃いだと確信する。これらの小さな作品の中に、心血が注がれ、彼の生涯のすべてが反映する。そこには悲しみあり、喜びもあり、ポーランド人としての祖国への思いあり、プライドもあり。
うーん、うまい言葉がなかなか見つからない。まあ良い。ルイサダのショパンについてはいずれまた書くことにしよう。
ブログ「アレグロ・コン・ブリオ」の記念すべき初記事がホロヴィッツのヒストリック・リターンの未編集CDだった。あれから5年と3ヶ月超。この間悲喜交々いろいろあったが、音楽鑑賞趣味については相当な拡がりがあり、一貫してとても充実していた。結果的にこういう積み重ねが明日のコンサート・ナビゲーターという仕事につながっているんだと考えると何とも感慨深い(当時は予想だにしなかった)。
ところで、ホロヴィッツの1965年の復帰コンサートのプログラムを眺めていて、特に後半にスクリャービンのソナタやショパンが配置され、しかもアンコールがショパンに影響を受けた同時代及び後世の作曲家たちの名品たちであることに興味深さを感じる。この一連の音楽の流れにピアノ芸術の粋がある。
こんばんは。
土曜日に珍しく公休、しかもまだチケットに余裕がある…
これで行かないという選択はありませんね!
コンサート、楽しみにしております。
つい最近35年ぶりにオルガンの先生に再会したのですが
師は元々超絶技巧のジャズピアニスト。
ピアノは弾けないという話になった時
「譜面見て指動くでしょ?だったら弾けるよ」
「いえ、指10本で足りるっていう感覚が私にはわからない」
「だからオルガンよりピアノの方が難しいと僕は思う」
「音楽はね死ぬまでできるんだよ。
ワインでも飲みながらいじってみるくらいのつもりで戻ればいい。
死ぬまでには弾けるようになる」
死ぬまでか…音楽というのは深くて遠いものですね。
>みどり様
おはようございます。
コンサートにご来場いただけるとのこと、ありがとうございます。
終了後、機会ありましたらぜひお声掛けください。
師とのやり取り、素敵ですね。
素晴らしい先生だと思います。
>音楽というのは深くて遠いものですね。
おっしゃるとおりです。
[…] ずっと書こうと思って機会なく数ヶ月が過ぎたが、いよいよあらためてルイサダの新しい方の「マズルカ集」を聴いた。外に出られないことをいいことに何度も繰り返し。 以前も書いた […]