フルトヴェングラーのモーツァルトK.466

「傑作の森」といわれる時期を締めくくる1809年頃というのはウィーンがフランス軍の占領下にあったわけだが、この年にはいわゆる「皇帝」と呼ばれるマスターピースをベートーヴェンは書いている。耳の疾患もいよいよ重篤になりつつあり、自らがピアニストを務めて初演することがもはやできないところまできていたようだ。それまでの協奏曲では即興の名手でもあった自身がピアノ・パートを受け持つのが通例だったが、ここからは他人にその座を譲らざるを得なかったわけで、その代り常套のカデンツァ・パートを敢えて無くし、冒頭部にヴィルトゥオーゾ的カデンツァ・パッセージを持ってくるという斬新な手法をとった。ちょうど同じ頃、自分のそれ以外の協奏曲のためのカデンツァ集も作曲しており、いかに「自分がピアノを弾くこと」に拘っていたかがこういうところからも想像でき、興味深い。

ちなみに、この時期の作品、例えば弦楽四重奏曲第10番作品74、ピアノ・ソナタ第26番「告別」作品81aなどはすべて「魔笛」や「エロイカ」と同じ変ホ長調で書かれており、一般的には恋愛が彼に「明快な明るさ」をもってこれらの作品を書かせたといわれるが、勝手ながら僕はどうしても「フリーメイスン」との関わりを想像してしまう。同じくフリーメイスンだったハイドンも同年5月31日に77年の生涯を閉じており、すべてにフリーメイスン的追悼の意味もあったのではないかと妄想したりするのである。
「皇帝」協奏曲はどういうわけかすぐには初演されず、1811年11月28日にライプツィヒ・ゲヴァントハウスにてJ.F.シュナイダーの独奏によって行われた。

ところで、ベートーヴェンが自作のコンチェルトのカデンツァをいくつか創作した際、高く評価していたモーツァルトのK.466のためのカデンツァも書いている。このカデンツァ、とても有名でグルダアルゲリッチ、あるいは内田光子など現代でも多くのピアニストが採用するほど。さしづめ、モーツァルトとベートーヴェンの共演というところ。

モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466
シューベルト:舞踊組曲「ロザムンデ」D.797~間奏曲第3番、バレエ組曲第2番
ヨハン・シュトラウスⅡ:皇帝円舞曲作品437
ヨハン・シュトラウスⅡ&ヨーゼフ・シュトラウス:ピツィカート・ポルカ
イヴォンヌ・ルフェビュール(ピアノ)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

フルトヴェングラーのK.466のカデンツァはベートーヴェン作のものではない。この演奏はひょっとするとピアニストがイニシアティブをとっているのだろうか?そんなはずはないと思うのだけれど、巨匠ならば楽聖のものを使ったはず・・・。
しかしながら、演奏そのものは極めて悪魔的。フルトヴェングラーの独壇場。
実はシューベルトやヨハン・シュトラウスⅡにいかれた。「皇帝円舞曲」など、いかにも巨匠風に料理されており、少々典雅なウィンナ・ワルツとはかけ離れるが、堂々たる風貌が堪らない(コーダのアッチェレランドとか)。
さらには、祈りの「ロザムンデ」間奏曲!!

だいぶ酔った。目出度いから良しとする(意味不明?)。


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