ファニー・メンデルスゾーン:12の性格的小品「1年」

ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼルという人は相当直情的で嫉妬深い人だったのだろうか。ピアノ連作集「1年」を聴きながら、憧れの彼の地に対する「あまりに強い思い」、それもほとんど「後ろ髪をひかれる、恋愛感情にも似た思い」が見事に音化され、聴いていて瞬間しんどくなる(笑)。なんだかその想いが重く逆流するようで、ファニーの現実から逃げ出したいという心の叫びが重なる。

私はどんな時間によっても色褪せることのない、永遠の、移り行かない映像を魂に刻み込んだ。おお神よ、あなたに感謝します。(1840年6月1日付日記)

1839年秋から1840年9月というほぼ1年にも及ぶイタリア大旅行。
当時の市民にとって憧れの地であったイタリア。イギリスやドイツでも次々と鉄道が開通したとはいえ、イタリア旅行には不測の事態や命の危険がまだまだつきものだった、そんな時代。その経験がヘンゼル一家、とりわけファニーに与えたインスピレーションは大変に大きかったよう。

このような変化がありいろいろな体験をしたというのに、私はここに来てから年を取った気持ちがしない。むしろ若返ったように感じる。このような旅行からは永遠の宝物が手に入るのだ。(1840年5月の日記)

そして、ベルリンにある自宅に戻ってすぐの日記には、「現実」に直面しての閉塞感というものが正直に、そして真正面から綴られている。

何もかもが暗く、陰鬱で、不愉快に見える。それに外は嵐で、雨と風がひどく、寒くて指がかじかむ。芸術に関しても王には何も期待できないようだ。これらすべてとそしてとりわけ私たちがみな戻ってきたことが私に与えた印象については、現在が過去となり、どしゃ降りが次第に上がるか、徹底的に降り尽くしたときに、後で詳しく述べることにしよう。

この年、彼女はイタリア、とりわけ感動を与えてくれたローマ滞在の思い出を作品化する。チャイコフスキーの「四季」の「種」になるかのような・・・、1月から12月までの印象(後奏付)を音楽にしたピアノ連作集「1年」。

ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル:
・アンダンテ・カンタービレ変ニ長調(1846)
・アレグロ・モルトハ短調(1841)
・フォルテピアノのための12の性格的小品「1年」(1841)
・4つの歌作品6~第4番「ローマのサルタレロ(アレグロ・モルト)」イ短調(1841)
・ローマへの別れ(1840)
エルス・ビーセマンス(1851年製プレイエル社フォルテピアノ)

1846年、亡くなる前年作の「アンダンテ・カンタービレ」はどこかクララ・シューマンとの共通性を感じさせる。その年は、ようやくファニーの作品の出版が(弟フェリックスから)認められ、作曲作品も激増、しかもシューマン夫妻との交流が始まった年でもある。

ヘンゼル夫人を私はほんとうに大好きになった。・・・そして私は特に音楽の点で彼女に惹きつけられるのを感じる。私たちはほとんどいつも互いに意見が一致し、彼女の話はいつも興味深いものだ。(1847年3月15日付クララ・シューマンの日記)

わずか数ヶ月後の予期せぬ死など全く想像のつかない「希望」と「挑戦」に満ちた素敵な音楽。

それと、イタリア旅行の体験を綴ったその他の作品。ちなみに、「1年」の『6月(セレナード)』では決定稿と初稿の2つが収録されているというのがミソ(僕にはより繊細で楽想に溢れた初稿の方が魅力的に感じられる)。『10月』においてはフェリックスの「イタリア」交響曲の木魂すら聴こえる・・・。

※太字部分は「もう一人のメンデルスゾーン」(山下剛著)から引用


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