クレンペラーの「フィガロの結婚」

歌劇「フィガロの結婚」を観た。古今東西のオペラの中ではおそらく最も有名なもので、最も舞台にかけられる数の多いもののひとつだろうということで、本日の講座で採り上げた。残念ながら2時間の枠で「最低限の解説を交えて」という制限の中なのですべてをご覧いただくことが叶わなかったが、十分ご堪能いただけたようだ。
久しぶりに観て思ったこと。
それは現代でも変わらないだろうけれど、日常というのはある意味「茶番」だということ。そして結局は「真実」が勝つということ。どんなに企んだところで、それがどれほど複雑に入り組んでいたところで、最終的には「あるがまま」に勝てない。

もちろん、ボーマルシェの原作、ダ・ポンテの脚本そのものはそもそも作り物。しかしながら、当時の貴族社会を揶揄せんと表に出されたことは間違いないわけで、フランス革命前夜のヨーロッパ社会の当座の「問題」が世に出るべくして出たものなんだと考えて良しとする。

いつの時代も、どこの地域においても同じ。システム、しくみそのものが変わらない限り、どんなに改革を叫んだところで意味を為さない。とはいえ、希望は捨ててはならない。最後に笑うのは誰なのか?正しいことは何なのか?自身の内奥にある思いに従って、つまり「良心」に従って生きてゆくことが一番。

講座後、ある後輩の相談を受けた。日本でも有数の有名企業に勤める若者だが、仕事上悩みがあるのだと。つまりは世の中のシステムの問題点を寛容に受け入れられないと。しかしながら、それも務めのうち。なぜならこの世界はすべて「幻想」だから。流れに任せれば良い。最後は「正しいもの」が生き残るのだから。

モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」K.492
ガブリエル・バキエ(アルマヴィーア伯爵)
エリーザベト・ゼーターシュトレーム(伯爵夫人)
ジェレイント・エヴァンス(フィガロ)
レリ・グリスト(スザンナ)
テレサ・ベルガンサ(ケルビーノ)
アンネリース・ブルマイスター(マルチェリーナ)
ヴェルナー・ホルヴェーク(ドン・バジリオ)
ヴィリー・ブロックマイアー(ドン・クルツィオ)
マイケル・ラングドン(バルトロ)
マーガレット・プライス(バルバリーナ)
クリフォード・グラント(アントニオ)
テレサ・カーヒル、キリ・テ・カナワ(2人の少女)
ヘンリー・スミス(チェンバロ)
ジョン・オールディス合唱団
オットー・クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1970.1録音)

クレンペラー最晩年の至芸。このあまりにスローテンポの「フィガロ」に初めて出逢った時は卒倒した。音楽の細かいところ、内声部までくっきり見渡せる解釈に感激したのである。そして、グリストのスザンナの可憐な歌に感動。
あ、何とキリ・テ・カナワが端役・・・。
これまた驚きだった。

最終幕を繰り返し聴いた・・・。最後に「真実」が暴かれる。

 

 


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