徳川眞弓ピアノ・リサイタル ぞうのババール

「真実」というものが言葉で簡単に表現できないように、その昔、創造者が生み出した「音楽」というものを「正しく」表すことは難しい。いや、そもそも楽譜というものをどれだけ信じて良いのか?作曲家は自身の頭の中に在る音の連なりを後世に伝えるために五線譜というものに記号化して認めた。でも、おそらくそれは8割か、あるいは半分か、それ以下のものしか表されていないのかも、ある日突然僕はそう考えた。そして、そのことに気づいてからは誰のどんな音楽も素晴らしいと思えるようになった。間口が確実に広がった、あるいは器に深さが整った。
先日、アナログ盤でカラヤンの「エロイカ」を聴いて考えたこと。この独特のレガート奏法に辟易としていたのはいつの頃か・・・、人間の感覚というのは随分と変化するものだ。経験が増えると「理解力」が増すもの。今やこれはこれで面白いという僕がいる。

1年ほど前に初めてその音に触れた德川眞弓のリサイタルに行った。
真紅のドレスに身を包んだ德川さんの清楚な趣は以前と変わらず。「亡き王女のパヴァーヌ」の最初の音が鳴り響いた瞬間に、自然の中に溢れる「緑」を感じた。何だ、これはまるでクリスマスのようではないか・・・、そうか、今日は初夏の「聖夜」なんだ、そんな感覚が僕の中を過った。流れる水のような、透明なラヴェル。落ち着いた表情。まずは浄化ということなのだろうか。

フランシス・プーランク没後50年記念
德川眞弓ピアノ・リサイタル
2013年6月3日(月)19:00開演
東京文化会館小ホール
・ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ
・ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」(ホロヴィッツ編曲版)
休憩
・伊藤康英:歌曲「あんこまパン」(林望作詞)
・プーランク:15の即興曲~第15番ハ短調「エディット・ピアフへのオマージュ」
・プーランク:15の即興曲~第12番変ホ長調「シューベルトへのオマージュ」
・プーランク:音楽物語「子象のババールの物語」(ブリュノフ台本、林望新訳)
~アンコール
・グルダ:アリア
德川眞弓(ピアノ)
林望(歌、語り)

ホロヴィッツ編曲による「展覧会の絵」の実演は初めて聴いた。ムソルグスキーの音楽自体がそもそも19世紀後半の荒涼とした、そして混乱したロシアの風景を見事に表したものだと思うが、ホロヴィッツ編曲版はそれに輪をかけて一層デモーニッシュでパッショネートな音楽なんだとこれまで僕は思っていた。これほど俗的な音楽があるのか、そんなことまで考えていた。そして、それを德川真弓がどのように斬り込むのか、そこに興味があった。
なるほど、そうか。吃驚した。何と女性的なムソルグスキー=ホロヴィッツであることか。いや、この言い方は少し違う。最初のプロムナードから驚くほど「平和な」ムソルグスキーを感じたのだ。各曲も間合いを十分にとりながら、丁寧に紡がれてゆく。少々「音楽に負けた」と思われた箇所もなくもないが、そんなことは大きな問題ではなかった。なぜなら、この「悪魔的」な作品がとても中庸の、調和的な音楽と化していたから。

この音楽を聴きながら、僕の頭の中を駆け巡ったのはほぼ同時期に亡くなったドストエフスキーのこと、そして最後の大作「カラマーゾフの兄弟」のこと。
この小説こそは作家本人が意図してか無意識なのか、「真実」においては善も悪もなく、すべてはひとつだということをテーマにしようとした真の「ミステリー」。主人公のアリョーシャは一見聖人として描かれるが、内面は腹黒で、色情の気を持つ。つまり、黒いキリストと準えられる。一方の、フョードル殺しの張本人スメルジャコフ。臭い女から生まれ出た、私生児であるこの男こそが実は白いキリストだとドストエフスキーは想定する。どんな人間の場合でも内側には神も悪魔も在るということだ。
かたや音楽家、かたや文学者。この2人は19世紀中葉のあの腐ったロシア世界で、実に同じような感性で同じようなことを感じ考え、同じようなものを創造していたということか・・・。

休憩後のプーランクが白眉。
德川さんの個性がプーランクの個性と見事にリンクし、飛翔する。そこには遊び心があり、喜びがある。もちろん哀しみだって・・・。生真面目で厳格過ぎるロシア音楽とは違うのだ。
「ババール」実演も初めて聴いたけれど、リンボウ先生の朗読は実に想いがこもっていて良かった。特に、後半の、ババールが王様になって以降の語り・・・(ようやくこの辺りで緊張が解けてきたということなのかしら)。
2つの即興曲も素晴らしい。「シャンソン(歌)」に溢れたプーランクの真骨頂。

あ、「あんこまパン」については・・・、特に言うことなし(ちなみに、終演後の懇親会で出された「あんこまパン」は本当に美味しかった・・・笑)。
(アンコール最後は観客でいらしていたC.W.ニコルさんが登壇してのイギリスの古い歌・・・、タイトルは忘れた)

※あんこまパンとは、サンドイッチの具があんことマヨネーズというゲテモノですが(笑)、これが意外や意外、美味しいのです。

 


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