自然の力、水の力というのは尊い。昨日の雨で世間はすっきり。
今日のような気候の日に遠出は何より。房総の九十九里方面まで往復。車中で本を読みながら思う。
音楽には物事、事象をZERO(ゼロ)に導く効果があるのか。
これまでどれほど音楽に癒されたか、あるいは慰められたか。特に、普遍性を持つ旧い音楽作品はジャンルを問わず高い波動を持つ。例えば、メンデルスゾーンのホ短調の協奏曲。数多くの名作を残したこの作曲家の作品にあって、ドイツ第三帝国時代に上演禁止の憂き目にあうことを逃れた唯一の作品(ユダヤ人であったフェリックス・メンデルスゾーンの一切の作品は基本的に演奏を禁止された)。ヒトラーは、ゲッペルスは、どうしてこの協奏曲の上演には目を瞑ったのか・・・。
おそらくこの曲のもつ一聴忘れられない美しいメロディに負うところが大きいのでは。全曲がほぼアタッカで奏され、しかもその連続の流れが楽想的にも真にスムーズでありながら様々なニュアンスに富むところが天才的。この美しさ、そして調和にこそ、人々の内側にある闘争心や醜悪な部分、そして表面化する諍いや争いを中和する効果があるのではと。これほど人口に膾炙した通俗曲であるにもかかわらず、耳にするその瞬間は間違いなく惹き込まれるのだから。
それともうひとつ。速筆のメンデルスゾーンに珍しく、このヴァイオリン協奏曲は6年という長い年月を費やして書かれているということ(29歳~35歳。しかもこの間、ライプツィヒ・ゲヴァントハウスの指揮者就任、ベルリン宮廷礼拝堂学長就任、あるいはライプツィヒ音楽院の院長に就任と社会的には非常に多忙で売れっ子だった)。ベートーヴェンの場合(第9やフィデリオの場合)もそうだが、推敲に推敲を重ね、または様々な事情から繰り返し改訂をせざるを得ない状況に陥った作品というのは凡人の想像もつかないような「意味」が秘められているのか?(もちろん例外もあろうけれど)
わかりやすく言うと、それだけ「想い」がこもっていたということだ。いや、単に多忙で一向に筆が進まなかっただけかも(笑)。いずれにせよ、音楽の神はフェリックスのアンテナに時間をかけ意味深い霊感(インスピレーション)を降り注いだということ。
1980年、17歳のムターがカラヤンとともに録音した旧盤は長らく僕の座右の音盤だった。ゆったり堂々としたテンポは間違いなくカラヤンの指示によるものだろうが、その悠揚とした音楽運びと豊潤な響きに当時僕は圧倒されっ放しだった。あれから28年、45歳になったムターはどんな音楽家に変貌、成長したのか・・・。
真面目に比較試聴してみた。なるほど、新しい方は完全にヴァイオリニストが音楽作りのイニシアティブをとり、旧盤が基本的にインテンポであったのに対し、テンポの揺れが絶妙に取り入れられている。しかし、その解釈が真に必然的なもので、聴いていて全く違和感なくこの協奏曲のもつ主体的なエネルギーがとても間近に感じられ、同時にとても安定している(並べて聴いてみるとムターの音色そのものは30年でほとんど変わっていないことがよくわかる)。
念のため、単純にタイミング比較。全曲で実に4分半の差!!
*****旧盤*** 新盤**
第1楽章 13:55 12:19
第2楽章 09:28 07:15
第3楽章 07:05 06:15
合計 30:28 25:49
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ところで、付録の第1番トリオ。僕はこの作品を愛好しており、チョン、トルトゥリエ&プレヴィン盤を第1に推してきたが、本盤も人後に落ちない名演奏。傑作なり。(ヴァイオリン・ソナタの方は聴き込みが足りず言及不能。いずれまた。)
ちなみに、週末の墨田区の講座はテーマがメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。本盤に収められるDVDを中心に鑑賞いただく予定。
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