昨日、突然の雷雨はあっという間に過ぎ去っていった。
時間にして30分ほど。ちょうど駅にいたときで稲妻の閃光を鑑賞しながらしばし待機。ようやく晴れ上がった時の虹がとても清々しくきれいだった。ヴァルハラ城に架かった虹の橋のことを思い出した。
どうしてもワーグナーを聴かねばという欲求に駆られる(笑)。ここには大いなるヒントが詰まっているようで、これまで聴き逃していた「何か」、見逃していた「何か」が発見できそうで必死に耳を傾ける。
言行の不一致とはまさにワーグナーのためにある言葉だろうか。彼は宇宙のしくみが潜在的にはわかっていたけれど、いや最後には介在的にも間違いなくわかったのだが、あまりにエゴ(仮我)が強過ぎた。借金など踏み倒すことは当り前で、現世において借りを作り過ぎたということだ。その意味では極めて業が深い。しかし、一方でバイエルン王ルートヴィヒ2世の、凡人には想像を絶する援助があり、特に晩年は難なく生きることができた。おそらく天の配剤のようでもあるが、そんな不思議な生き方ゆえ、やっぱり彼の創造した芸術作品に特別の「何か」が絶対に在ると思わざるを得ない。
ワーグナーが目指したものは多分「知行合一」。そして、後世にはその影響を受けたものも多い。マーラーなどはワーグナーの「宗教と芸術」に感銘を受け、菜食主義になったというし。
ただね、机に向かって楽譜を広げての勉強は大学出て以来やったことがないのでつらいものでしたよ。(笑)骨身にこたえました・・・。(笑)
一度健康上のことで降ろしてもらおうと思った時期があったけど、どうやらみんなに引っ張られて終わりまでやることができたということですね。・・・(中略)・・・それが若い楽員達がやりましょう、やりましょうと言いまして。私が体の具合が悪い時に、「先生任せてください、私たちがやりますから・・・」と。これはね、指揮者にとって大変勇気づけられました。
(付録の解説書より引用)
朝比奈先生と高辻知義氏、そして松原千代繁氏による鼎談(1987.12.16)をみると、この演奏に朝比奈先生の力量がどれだけ反映されているのかはわからないけれど(笑)、それでも巨匠朝比奈でなければ出てこない重心の低い、悠揚としたテンポの壮大な音絵巻が繰り広げられており、これはやっぱり実演で触れてみたかったと後悔・・・。
「ラインの黄金」はとっつきやすい。有名なライトモチーフもそこかしこに散りばめられ、上演時間は2時間ほど。「指環」の序夜にあたるこの物語はアルベリヒによる黄金の略奪から始まるが、ある意味作曲者自身のユダヤや資本家への憎悪であると同時に、自身への不信(戒めも含め)も投影されていそうで興味深い。「再生論」の根幹となる思想の兆しはすでにここにもあるということだ。
この後、新日フィルは朝比奈先生と「トリスタンとイゾルデ」、さらに「パルジファル」と駒を進めていく予定であったらしい。実現されなかったことが真に残念。
ちなみに、このセットには下記ボーナスCD(1983.6.23新日本フィル第111回定期)が付けられている。これまた懐の深い名演奏。
ワーグナー:
・歌劇「リエンツィ」序曲
・楽劇「神々の黄昏」~「夜明けとジークフリートのラインへの旅」
・楽劇「神々の黄昏」~「ジークフリートの葬送行進曲」
・ジークフリート牧歌
朝比奈隆指揮新日本フィルハーモニー交響楽団
本日、朝比奈先生の105回目の生誕日。
亡くなって早12年。月日の経過はやっぱり早い。
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