カペー四重奏団のベートーヴェンを聴いて思ふ

beethoven_capet_string_quartetわたくしの主張を吟味するために、どうか、音楽自体が雄弁に物語るものを参考にしてくださるようお願いいたします。どうかベートーヴェンのアダージオに傾聴してください。そして、わたくしの申しあげたことが間違っていないかどうか、このような音楽がわれわれの道徳的本質に対して指令する方向がわれわれの良心の方向と一致しないかどうか、音楽が神的なるものに相違するところのその力をもってわれわれの倫理的天質を確証し、そして祝福してくれないかどうかを自問してくださるよう、お願いしたいのであります。
「音楽の道徳的ちからについて」P123-124

1935年、ウィーンの文化協会で行われたブルーノ・ワルターの講演の最後の言葉である。この手のものは大体の場合翻訳がいまひとつで(小難しくて)すっと頭に入って来ないが、要は、ベートーヴェンの緩徐楽章こそが、人間の道徳心、もっと言うならば良心を開き、僕たちを神々とひとつにする力を秘めているんだよとワルターは説いているのである。

楽聖という異名をとったベートーヴェンこそ真に悟った音楽家であると信ずる僕からしてみれば、ブルーノ・ワルターともあろう人が何も反語的に述べる必要などなく、もっと断定的に言い切ってしまえば良かったのにと考えてしまう。
「ベートーヴェンのアダージオを聴きなさい」
同じく僕も口角泡にして皆に訴えかけたい。

カペー弦楽四重奏団の古いSP復刻盤。音は貧しい。でも、ここに聴かれる、柔らかく不安定な音楽は、確かに僕たちの脳みそに刺激を与える。いや、感性に大いなる方向性を約束する。カペーの録音は12曲しかなく、しかも1928年の6月と10月のみで、同年12月18日には第1ヴァイオリンのリュシアン・カペーが急逝したことにより以降の音盤的発展は閉ざされたらしい。それに、録音のほとんどが1テイクか2テイクでとられているそうで、聴衆のいないライブ演奏といっても良いということだ。それゆえに瑕はある。しかし、それもまた良し。

ベートーヴェン:
・弦楽四重奏曲第10番変ホ長調作品74「ハープ」(1928.6.21-22録音)
・弦楽四重奏曲第15番イ短調作品132(1928.10.8-10録音)
カペー弦楽四重奏団

いずれのアダージオ楽章も、カペーの右に出るものはいないのではと、この音に埋没している瞬間思わせる演奏は他にはないのでは?85年も前の録音が何ゆえこうも心を捕え、動かすのか?ワルターがこの録音を聴いていたのかどうか定かでないが、彼の言葉の多くがこれらの演奏のことを指しているように思えてならない。

作品132のアダージオ。あの、「病癒えた者の神に対する聖なる感謝の歌」という名の安寧の音楽。そして、ニ長調に転じアンダンテによる「新しき力を感じつつ」と題されたパートの喜びに満ちた響きはまさに良心から発せられたもの。嗚呼、繰り返し何度でもこの響きのうちに浸っていたい。

そして、「皇帝」や「告別」ソナタと同時期に生み出された作品74の第2楽章アダージョ・マ・ノン・トロッポも古の不思議に香しい音に包まれる。もちろんこの録音当時僕はこの世に存在しなかったのだけれど何だかあまりに懐かしいポルタメント!!
ベートーヴェンの慈悲深い心が宿る。彼は単なる闘争の士ではなかった。第九交響曲に託したように「いつの日か世界がひとつになる」ことをすでにこの時代から念頭に置いていたんだ。そんな思いが直接に感じとれる演奏。

 


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