ブレンデル&ABQのモーツァルトを聴いて思ふ

mozart_brendl_abq1869年3月12日にリヒャルト・ワーグナーはコジマに次のように語っている。

音楽はモーツァルトまでは植物界の領域にとどまっていたが、モーツァルト以降、とりわけベートーヴェンからそれに「アニマ(動物的な精気)」がつけ加わった。バッハのフーガは大きな樹木のようなもの、まことに雄大で人の心を打つが、曲の運び具合は人間の心情とはかけ離れている。

音楽の発展というのは、別の観点から見ると退化しているのだという証がここにもある。植物には精霊が宿り、動物には霊性が在る。もちろんそこに優劣はない。しかし、ベートーヴェンにある動物的精気は以降のロマン派と呼ばれる作曲家のそれとは性格を異にすると僕は思う。正確にワーグナーの言は正しい。ただし、ひとつ言えるのは、モーツァルトにもベートーヴェンにも共通するもの、それは人間の悟性に訴えかける音楽(ロマン派以降、感性に訴えかける音楽は数多あるが、悟性にまで響く作品は極めて少ない)を書く能力を持っていたということである。

モーツァルトもベートーヴェンも、性格の異なる2つの作品を同時に書く習慣があった。闘争があるかと思えば安寧があり、光があるかと思えば翳がある。例えば、ベートーヴェンの第5交響曲と第6交響曲、あるいは第7交響曲と第8交響曲の対比。また、モーツァルトに関しては第39番交響曲と第40番交響曲のそれ。この世に存在するすべてがバランスの上に成り立っていることを彼らは自ずと知っていた。

モーツァルト:
・ピアノ協奏曲第12番イ長調K.385p(作曲者自身によるピアノ五重奏版)
・ピアノ四重奏曲第2番変ホ長調K.493
アルフレート・ブレンデル(ピアノ)
アルバン・ベルク四重奏団(1999.3Live)

「フィガロの結婚」を挟んで相次いで作曲された2つのピアノ四重奏曲も強いて言うなら同様の関係をもつ。1785年10月16日に完成したト短調の第1番と1786年6月3日に完成した変ホ長調の第2番。もちろんここにもフリーメイスンの影響はあると思うが、森羅万象宇宙の法則に則り、おそらく無意識的に書かされているのであろう大いなる力が漲る。
ブレンデルのピアノもアルバン・ベルク四重奏団の演奏も実に自然体で無理がない。これこそ至高のモーツァルト表現。第1楽章冒頭から4つの楽器が協調するのだからこれほどの愉悦はないのだ。ラルゲット楽章の明るく情緒ある中にふと感じさせる寂しさもモーツァルトならでは。終楽章アレグレットの軽快な足取りには、少しずつ困窮してゆく自らの悲哀を何とか覆そうという意志が垣間見える。
ピアノ五重奏版によるK.385pも素敵。
何て優しさに包まれたモーツァルトなのだろう・・・。

バッハが大きな樹木だとするならモーツァルトは水であり大地であり、そして空気だ。生きとし生けるものを支える根幹となる気。なくてはならぬもの。

 


人気ブログランキングに参加しています。クリックのご協力よろしくお願いします。
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村


1 COMMENT

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む