ラトルのベートーヴェン第2交響曲を聴いて思ふ

beethoven_2_5_rattle_vpo「ソドレミ」という音形は、ビゼーの歌劇「カルメン」の有名な「ハバネラ」での「あたしに好かれたらあぶないよ」という台詞の旋律で有名だが、ショスタコーヴィチは第5交響曲フィナーレの主題にこの部分をパロディで引用した。こちらも有名な話。「ソドレミ」音形は古今の数々の名曲に多くみられる。

薄灰色の雲間から顔を出すまあるい輝くお月様を愛で、ベートーヴェンを思う。
ワーグナーをして、ベートーヴェン以降音楽にアニマ(動物的精気)が宿ったといわしめた音楽芸術の真骨頂を想うのだ。とはいえ、そのことはおそらく「エロイカ」を発端とするいわゆる傑作の森より後に顕著。すなわち「ハイリゲンシュタットの遺書」直後のニ長調交響曲などは、どちらかというとまだまだハイドンやモーツァルトの影響下にあり、その上で彼の個性が羽ばたくものの、音楽の質は植物界の域を脱しない。しかしながら、それゆえにこそモーツァルトの哀感を伴った天衣無縫にも通じる美があることも確か。モーツァルトについて考え、モーツァルトについて語り、そしてモーツァルトが天から直接にインスピレーションを得ていたであろうことにイマジネーションを膨らませ、やはりベートーヴェンの源泉も同じところにあるのではと考えた。やっぱり宇宙と人間とを統合しようとしたということだ。音楽というものに初めて人間の性(さが)というものを反映させようとしたと言っても過言でなかろう。

澄んだ空気と清い水。山々に囲まれた日本の臍の地で自然の美しさを堪能しながら「遺書」前後のベートーヴェンに思いを馳せる。

ベートーヴェン:
・交響曲第2番ニ長調作品36
・交響曲第5番ハ短調作品67
サー・サイモン・ラトル指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

ベートーヴェンの第2交響曲第2楽章ラルゲットの冒頭主題も「ソドレミ」音形。何という瑞々しさ!!ここに在るのは苦悩を苦ともせず、自然とひとつになろうとするベートーヴェンの安寧だ。モーツァルトやハイドンのような愉悦でもなければ、彼自身の後の作品に多くみられるような歓喜でもない。まさにその真ん中を突いて存在する「中庸の美」。

ラトルのベートーヴェンを久しぶりに耳にして感じたこと。
何と中性的な表現であることか・・・。よく言えば音楽そのものしか感じさせない見事な演奏。悪く言うとまるでベートーヴェンを感じさせない薄っぺらな演奏。でも、それで良いのだ。少なくともベートーヴェンが楽聖ベートーヴェンとして生まれ変わるきっかけの第2交響曲においては。

 


人気ブログランキングに参加しています。クリックのご協力よろしくお願いします。
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む