ポリーニのシューベルト後期三大ソナタ他を聴いて思ふ

schubert_d958_959_pollini亡くなる2ヶ月前の産物。
人は自身の死期を直感的に悟るものなのか?いや、大往生ならまだしも、30歳をようやく越えたばかりの青年にそういう認識はたとえ数日前だろうとないはず。しかし、これらの作品はいずれも神々しい。モーツァルト同様、わずか1ヶ月ほどの間に3つも性格の異なる超絶的な作品を書き上げるのだからこの人も選ばれし人だ。
フランツ・シューベルト。
1828年11月19日逝去。享年31。あまりに早い。そして、3つのピアノ・ソナタは同じ年の9月に生み出された。
「シューベルトを大事に!そこにはかけがえのない音楽があるのだから」と指揮者のヴォルフガング・サヴァリッシュは言った。まさしく・・・。
この、いつ果てるともない旋律と呼吸の長い楽想に飽き飽きした時期もあったが、今再び耳にして思うのは、ここには間違いなく「永遠」が閉じ込められているということ。悲しみも喜びも・・・、あらゆる人間感情を超えたゼロの世界。無色透明の世界が現れる。

1978年のザルツブルク音楽祭でのフィッシャー=ディースカウとポリーニによる「冬の旅」がついに正規リリースされた。大事に、とにかくじっくりと傾聴するのだ。しかし、その前に、ポリーニがこの数年後に録音した最後のソナタ集を。

シューベルト:
・ピアノ・ソナタ第19番ハ短調D958(1985.6録音)
・ピアノ・ソナタ第20番イ長調D959(1983.12録音)
・ピアノ・ソナタ第21番変ロ長調D960(1987.6録音)
・アレグレットハ短調D915(1985.9録音)
・3つのピアノ小品D946(1985.6録音)
マウリツィオ・ポリーニ(ピアノ)

例えば、D959の終楽章ロンド。まるで「即興曲」のような美しく洒落た旋律が躍る。しかも、ベートーヴェンの作品110の「幻影」が見えるんだ。この結論を耳にするだけで、やっぱり彼は死ぬ予定ではなかったことがわかる。こんなにも生に萌える音楽が死を意識した人に書けるはずがない。

schubert_d960_pollini僕はこれまでポリーニのシューベルトに「明快過ぎる」という印象を持っていた。でも、少し変わった。この明快さが余命わずかなシューベルトの内側に在る希望や安寧の表れだとするならポリーニの解釈というのはまったく正当なもので、しかも実に理にかなった演奏であると気がついた。一番は「脱力」。このところ僕は思う、音楽を表現する上で最も大切なものは「脱力」だろうと。もちろん相応のテクニックに裏打ちされるということはある。それにしても、彼のこのシューベルトはまさに無色透明なんだ。こういう音楽性でもしも「冬の旅」を伴奏しているのだとしたら・・・、大変な世界が開けているはず。
手元にある、いまだ封の切られていない「冬の旅」ザルツブルク・ライブを手に取りながら想像する。

リートの伴奏は若い頃から大好きで何でも奏いたけれど、本当の意味が分かったのはフィッシャー=ディースカウ氏を伴奏してからだった。15年も前か、ミラノのスカラ座での「冬の旅」。最後の「ライアーマン」が終わった時、私は我を忘れていた。あの、徐々に思考が凍結してゆくような、驚くべき時間―満場の聴衆も凍ったように沈黙し、拍手が始まるまでの時間はとても長かった。きっと30秒以上・・・いや、ああいう時間を、そう測ることはできない。
ヴォルフガング・サヴァリッシュ(新潮文庫「シューベルト」前田昭雄著P179)

サヴァリッシュのこの言はシューベルトを理解する上で大きい。
ところで、今更ながらD946の素晴らしさに気づいた。死の年に生み出されたものの長く埃を被っていた代物。ブラームスがその偉大さを発見し、1868年に出版する。いかにもブラームスらしい選曲といえるが、シューベルトのこの音楽はブラームス晩年のピアノ小品の世界観に見事に通ずる。第1曲の活達でありながらどこか物憂げな表情。そして、シューベルトのメロディ・メイカーとしての面目躍如たる第2曲の美しさ(中間部との対比の妙味!)。頭から離れない・・・。

 


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