ムター&小澤のバルトーク第2協奏曲を聴いて思ふ

bartok_violin_concerto_2_mutter_ozawa1982年の大阪国際フェスティバルでのアンネ=ゾフィー・ムターの演奏に僕はしびれた。
以来、幾度か彼女の舞台に接するが、残念ながら良い思い出はない。それぞれの会場のせいであったのか、本人の調子もあったのか、あるいは僕に聴く耳がなかったのか、それはわからない。ただひとつ言えるのは、その後の彼女に一度も感動したことがないということ。
とはいえ、音盤においては座右の盤になるもの多々。例えば、小澤征爾と共演したバルトークもそのひとつ。20年前、初めて耳にした時、冒頭のハープの伴奏と絡む何とも豊饒なヴァイオリンの響きに即座に僕は釘付けになった。わかりやすいようで難解なこの音楽を作曲家の最高峰のひとつだと僕は考えるが、この作品の設計図、すなわち黄金比や構造そのものを専門的に分析して云々することは僕にはできないにせよ、少なくともあらゆる音楽語法が駆使された音楽にいつどんな時も僕はひれ伏してきた。

1934年9月以降、ハンガリーの科学アカデミーにおいて民俗音楽研究に専念したバルトークの人となりを示す、助手のラーツ・イロナの回想記からの一節。

バルトークのそばで働いて、私は彼の性格に見られる2つの特長に気付きました。信じられないほど仕事を続ける能力と正確さへの非常なこだわりです。この正確さへのこだわりはきわめて些細なことにも及びました。バルトークの仕事のスケジュールは次のようなものでした。2時から7時までが、アカデミーでの仕事。そのうち4時まで彼はフォノグラフの蝋管を聴きながら、ルーマニアのコレクションの見直しをしました。4時になると休みをとり、立ち上がって、コートのポケットからミルク・コーヒーが入った小さなボトルを取り出し、少々のパンと一緒にとりました。これが彼流のアフタヌーン・ティーだったのです。彼は決して他のものを口にしようとはしませんでした。・・・(中略)・・・こんな風に私たちは仕事に没頭し、時が経つのも忘れて8時過ぎになることも稀ではありませんでした。
伊藤信宏著バルトーク―民謡を「発見」した辺境の作曲家P163-164

ほとんど作曲の時間を犠牲にして民俗音楽研究に没頭したというのだからその集中力たるや・・・。しかも「正確に」と来る・・・。

・バルトーク:ヴァイオリン協奏曲第2番Sz.112
・モレ:ヴァイオリンと室内オーケストラのための協奏曲「夢に」(1988年)
アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
小澤征爾指揮ボストン交響楽団(1991.2録音)

ゾルタン・セーケイからの依頼を受け、バルトークが最初に構想したのは変奏曲形式の単一楽章だったという。しかし、従来形式にこだわったこのヴァイオリニストの意見を取り入れ、折衷案としたものの、さすがにそこはバルトーク。実に主題がどの楽章にもうまく連関しており、すべてが融合した「ひとつの」音楽世界が浮かび上がる。普通なら計算してはできないことをバルトークは計算づくでやる。全脳志向の極致ともいえる音楽なんだ。第2楽章は第1楽章の木霊。そして、第2楽章を鏡にして最初の楽章と終楽章が対になる(ここにはマーラーが交響曲で試行した方法が巧く取り入れられている。彼が第5交響曲などで示した方法)。この絶妙なバランスこそバルトークの粋であり天才。

この手のサポートをやらせれば小澤征爾の右に出るものはいまい。それほどに小澤&ボストン・シンフォニーの伴奏は完璧。

 


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