歌劇「レオノーレ」(1806年版)を聴いて思ふ

beethoven_leonore_1806_soustrot古来、芸術というものは男性によって牽引されてきた。どうしてなのだろう?昔から大いに疑問だった。

元型の担い手は最初は個人的な母親である。なぜなら子供ははじめはもっぱら母親とのみ融即し合って、つまり母親と無意識のうちに同一化して生きているからである。母親は子供の身体にとってばかりか、心にとっても前提条件である。
C.G.ユング著・林道義訳「元型論」P129

なるほどユングのこの論にはっとした。

女性にとっては母は自分と同じ女性であり、自分が意識的に生きている生と同じパターンである。しかし男性にとっては母はこれから体験すべき未知の対立者のタイプであり、それがはらんでいるイメージ世界は隠れた無意識に属している。この理由だけからも、男性の母親コンプレックスは女性のそれとは原理的に異なっている。そのため、母は男性にとって、いわばはじめから、はっきりとシンボルの性格をもっており、母を理想化する傾向もじつはそこから生まれているのである。理想化はひそかな祓いの性質をもっている。理想化は、恐怖を封じ込めなければならないときに、なされるものである。
P133

音楽というものの源泉は、まさに理想化であり、祓いではないのか?歴史を鑑みた時にそのことは明らか。ということは、男性が無意識に「母なるもの」を追求した形のひとつとしてそれができ上がったのだともいえる。

とはいえ、アウトプットの仕方は様々だ。ワーグナーは「女性の純愛による救済」を永遠のテーマとした。これこそ理想化であり、祓いの権化のようなもの。ショスタコーヴィチの「カテリーナ(マクベス夫人)」におけるヒロインの恐るべき行状は「未知の対立者」の象徴であると同時に同じく理想化であるとも考えられる。
ところで、ワーグナーの物語の、あるいはショスタコーヴィチの物語の源はベートーヴェンにあるのでは?それも「レオノーレ」にあると僕は考える。さらに「レオノーレ」の元はモーツァルトの「魔笛」なんだ(「魔笛」の宇宙合一世界を人間界の物語に移し替えたのが「レオノーレ」)。

そもそも神は、大いなる母は、世界に男と女を創られた。常に二元的に考えさせられる環境がここにある。とはいえそれらを対立的に見ては本質を見失う。鏡として考えるのだ。

「魔笛」の物語は2幕が対立的に語られることで意味不明になった。実は2つをひとつのものとして捉えた時にすべてが理解できる。ベートーヴェンが「レオノーレ」第1稿の3幕を、翌年の第2稿で2幕ものにあらためたのはそのことに気づいたことによるのかもしれないと。

ベートーヴェン:歌劇「レオノーレ」(1806年版)
パメラ・コバーン(レオノーレ、ソプラノ)
マーク・ベーカー(フロレスタン、テノール)
ジャン=フィリップ・ラフォン(ドン・ピツァロ、バリトン)
ヴィクトル・フォン・ハーレム(ロッコ、バス)
ベネディクト・コベル(ヤキーノ、テノール)
クリスティーネ・ナイトハルト=バルボー(マルツェリーネ、ソプラノ)
エリック・マルティン=ボネット(ドン・フェルナンド、バリトン)
ケルン放送合唱団
マルク・サウストロット指揮ボン・ベートーヴェンハレ管弦楽団(1997.9.14-21録音)

オペラの素材を駆使した「レオノーレ」序曲はやはり序曲となってはじめて座りが良くなり、機能する。一般的に「フィデリオ」では第2幕フィナーレ前に置かれ、それは確かにフルトヴェングラーが言うように過去の追憶、賞讃としての役割を果たしているものの、物語の流れをせき止めるシーンであることに違いはない。
それにしてもこの無名の(?)指揮者はこのオペラを自分のものにしているようで、流れが非常にスムーズで、オペラに内側に在る「希望」までを見据えて冒頭から実に丁寧な音楽作りをする。とても良い仕事。

ちなみに、先日ポゴレリッチが弾いたヘ長調ソナタ作品54も2楽章構成。あのソナタと前後してこのオペラの筆が進められていることは間違いなく、遺書以降のベートーヴェンの思考の源が垣間見られるようで真に興味深い。ベートーヴェンは男と女(人間)を超え、大いなる母とつながったのだろうか。

 


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2 COMMENTS

畑山千恵子

私は、新国立劇場の公演で「フィデリオ」を見ました。最後では、合唱団がウェディングドレス、タキシード姿で出てきて、フロレスタンとレオノーレの勝利を歌い上げる演出でした。これは夫婦愛の象徴でしたね。
しかし、ベートーフェンの女性観は偏っていました。貴族、富豪の女性たちの身持ちがいいとはいっても、平民の女性をバカにしていました。甥のカールを引き取ったとはいえ、母親で義理の妹ヨハンナを嫌い、悪者呼ばわりしていました。カールへの愛情も自分勝手で押し付けがましいものだったため、カールの心の自立を妨げた結果、自殺に追いやってしまいました。幸い一命はとりとめ、カールは軍人になって自立していきました。
その直後、ベートーフェンはこの世を去っていきました。カールは訃報を聞いて、葬儀に間に合うように急いでも間に合わず、残念がっていたそうです。

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岡本 浩和

>畑山千恵子様
「フィデリオ」の演出というのは難しそうですね。なかなか納得のゆくものに出会えないような気もしますが・・・。
ベートーヴェンの性格についてのエピソード、ありがとうございます。

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