ショルティの「エレクトラ」を聴いて思ふ

strauss_elektra_solti一度持った怨念というのはたとえ身体が消え去ってもなくなることはないのか・・・。人間の業というのは真に深い。現世においても親から子へ、そして子からまたその子へとDNAに刻み込まれた因子は引き継がれてゆく。命は輪廻を繰り返し、何千年と続いてゆくものといわれるが、どこかで「それ」を断ち切らないことには・・・。

エレクトラの物語は暗示する。フーゴー・フォン・ホーフマンスタールはギリシャの悲劇を見事な一幕物のドラマに仕上げた。幕を切らずに一気に物語を進めようとしたことに先見がある。

エレクトラとクリソテミスは、いわば人間の内なる2つの側面だ。この物語では怨恨激しいエレクトラの面が勝ち上がり、人がそのカルマから抜けられない様、永遠に愚行を繰り返す様が語られる。

そして、その愚行の根底にあるのは異性の親に対する異常な愛。狂気の沙汰でもあり、究極の依存心の発露がここにはある。愛されなかったことへの異様な反抗心が裏側に潜み、その反動として人は異性親に憧れるのか・・・。

エレクトラの異常な気質は不快な、時に轟音を伴った不協和音で呈される。一方、クリソテミスのそれは極めて柔和、全音階的メロディを主体にした音楽で、争いを避け、調和的解決を志そうとする。

興味深いのは、物語の終盤、エギストの死の後のエレクトラとクリソテミスの二重唱にワーグナーの「パルジファル」聖金曜日の奇蹟が木魂するところ。2人は神々を讃え、歌う。

エレクトラ:わたしは生者の中でひとり黒い身体をしていた。
クリソテミス:これが始まりなのです、あなたにもわたしにも、そしてすべての人たちにも。

クリソテミス:誰がこれほどにわたしたちを愛してくれたでしょう。
エレクトラ:わたしを見る者は、死にいだかれるか、歓喜のなかで滅び行くであろう。

愛と憎悪とは表裏一体・・・。何という・・・。
オペラ冒頭同様、「亡き父アガメムノンの動機」の強烈な響きとともに幕が下りる。そしてまたこの主題は「はじめ」に還るのだ。

リヒャルト・シュトラウス:楽劇「エレクトラ」作品58
レジーナ・レズニック(クリテムネストラ、メゾソプラノ)
ビルギット・ニルソン(エレクトラ、ソプラノ)
マリー・コリアー(クリソテミス、ソプラノ)
ゲルハルト・シュトルツェ(エギスト、テノール)
トム・クラウゼ(オレスト、バリトン)
トゥゴミール・フランク(オレストの扶養者、バス)ほか
ウィーン国立歌劇場合唱団
サー・ゲオルク・ショルティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1966.6&9, 1967.2録音)

衝撃の「エレクトラ」。ニルソンは当然素晴らしい。コリアーも巧い。硬質でメリハリのあるショルティの音楽作りも最高だ。しかし何と言ってもこの録音の立役者はプロデューサーのジョン・カルショウだろう。
今年はリヒャルト・シュトラウス生誕150年の年、そして僕も生誕50年・・・(笑)。

※歌詞対訳は「オペラ対訳プロジェクト」(楠山正雄訳)より拝借しました。

 


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