バルシャイ&ケルン放送響の「バビ・ヤール」を聴いて思ふ

shostakovich_babi_yar_barshai_wdrアドルフ・ヒトラーの深層に根付く「不安」が引き金となり、ナチスの台頭を呼び、当時の大衆に内在する不満に結びつき、結果、大戦争につながった。ヒトラーの「不安」は並大抵でなかったということ。人間のもつ「マイナスの感情」が最悪の状態に転げた時にとんでもないことになるという実証でもある。

毒殺されることに強い不安を抱いていたヒトラーの食事の支度がどれだけ大変だったか、執事のカンネンベルクは語る。

私どもがどれほど気をつけなければならないのか、きっと誰も信じませんよ。妻が総統の食事を作っている時は、誰も鍋から10メートル以内に近づいてはいけないんです。・・・まるで誰かがこんなまずいものを、食べたがっているみたいにね。
「ヒトラーとバイロイト音楽祭―ヴィニフレート・ワーグナーの生涯」P386

権力と引き換えに一層の「不安」を買ったようなものだ。ホロコーストに至る根源は、案外政を司る一個人の小さな感情から生み出されたものなのかも。ユダヤ人虐殺のピークあるいは象徴ともいえる、1941年9月のバビ・ヤールでの惨事。ウクライナの首都キエフにある峡谷だが、キエフでの反政府抗議行動は耳に新しい。

いわゆる「雪解け」後に、真の意味での「雪解け」を扱ったショスタコーヴィチの問題作、「バビ・ヤール」。これほど真に迫る作品があるだろうか。冒頭から実に映画音楽様(よう)で、どの瞬間もまるで映像が目の前に突き付けられるかのような錯覚に陥るほど生々しい。これぞショスタコーヴィチの標題音楽、「田園」交響曲と言っても言い過ぎでなかろう。その証拠に、5楽章構成で、最後の3つの楽章はアタッカで結ばれているのだ。ベートーヴェンが宇宙、大自然を描いたのに対し、ショスタコーヴィチは人間世界の「二元」を見事に描く。しかも、ショスタコーヴィチならではのユーモアに満ちた手法が光るのだ。

ショスタコーヴィチ:交響曲第13番変ロ短調作品113「バビ・ヤール」
セルゲイ・アレクサシュキン(バス)
モスクワ・コーラル・アカデミー
ルドルフ・バルシャイ指揮ケルン放送交響楽団(2000.9録音)

ソビエト連邦という「枠」に閉じ込められざるを得なかったゆえの輝きとでも表現しようか。憤懣と驚愕、そして爆発が入り乱れ、どの瞬間も人間社会の様々な欲望を音化する。
第1楽章「バビ・ヤール」の第2主題の何という傲慢かつ嘲弄的な響き!!ここはファシストの放埓な音楽であると森田稔氏は論ずるが、何ともこの旋律が耳について離れない。

血が流れ、床に広がり、
酒場の顔役どもが暴れ回り
ウォッカとねぎがまじってにおう
(歌詞訳:ウサミナオキ)

第3楽章「商店にて」は真に懐の深い音楽だ。女性賛辞の歌詞だが、実際は人々を欺く国家への狼煙のようなもの。楽章後半に聴こえるチェレスタの響きが何とも虚ろ。その後のオーケストラによる怒り!ここはバルシャイの独壇場。
続く第4楽章「恐怖」。この音楽はベートーヴェンでいうところの「雷雨と嵐」だが、内実は「嵐の前の静けさ」。おどろおどろしさにかけては天下一品。そして、いよいよ終楽章「出世」が鳴り響く。何と素晴らしい「真理」であることか。

私は彼らの神聖な信念を信ずる
彼らの信念は私の勇気だ
私は出世しないことを
自分の出世とするのだ
(歌詞訳:ウサミナオキ)

ルドルフ・バルシャイのこの全集は一世を風靡したものだが、とにかく録音が素晴らしい。真に有機的で生々しいショスタコーヴィチに触れられるのだ。

 


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