「父・バルトーク」を読み、アシュケナージ&ショルティの第3協奏曲を聴いて思ふ

bartok_concerto_ashkenazy_sorti死の床にあるバルトークの、病との壮絶な闘い、そして不条理な世間への憤りを訴える姿を具に記した息子ペーテルの著した伝記を読んでいると本当に胸が痛む。資本主義というものがある面いかに無慈悲であるか、最晩年の最悪の時期に、それでも自身のかき立てられる創造意欲を駆使して生み出した彼の傑作を聴きながら思った。芸術のあまりの美しさと、それを嘲笑うかのように「お金」というシステムに埋もれ行く矛盾。現代社会の諸問題の原型のよう。

1945年9月初旬、私たちはサラナクレイクからニューヨークに戻った。父が高熱を出し始め、医師の近くを望んだため、予定より時期を早めていた。・・・9月中旬、賃貸契約は更新しないので、月末までに部屋を明け渡すようにという通知が届いた。・・・家主が立ち退きを求めたのは次の借主に高く貸すことが法的に可能だったからで、私たちが居続けるとそれができないのだそうだ。家主にとってはこれが最も大事で、私たちのことなどに関心はなかった。
P172-173

バルトークが亡くなる直前2,3週間の出来事。その時彼は次のように嘆いたらしい。

このベッドから起き上がることもできんというのに、どうやって引っ越すんだ?できたとして、どうすればそんなすぐに物件を見つけられるんだ?
P173

何とも言葉を失う・・・。そして、ペーテルは当時を振り返り、言う。

世の中は、生きている芸術家に温かくない。父は世の中に素晴らしい贈物を与えた。父に必要なものは最小限で、住まいと食事、静かさ、ピアノ、紙とペンさえあれば進んで創作を行った。プロの音楽家が作品を評価してくれれば幸せだった。大衆は後でわかる。父は見返りの有無にかかわらず、新しい宝石を次々に作り出した。だが、そんな父が生きていくための最低条件はどうだったか?
父は生きている間、自分の作品のレコーディングを禁じられた。必要なリサイタルを開く体力がないためピアノを所有できなかった。父の収入の一部は世界の文明国同士の争いによってどこかに消え、また一部は2つの国の税務署に奪われた。そして重病の床にありながら、家主の私欲のため立ち退き要求に従わなければならなかった。
P174

血のつながった家族のいまだ癒えない恨みつらみも多分にあるだろうが、哀しい気持ちになる。さらに、いよいよ最期となるその時までの状況が克明に語られる。
突然熱が下がったある日、主治医が即刻入院を告げた時、バルトークは次のように言ったそう。

いや、ここにいる。ディッタもペーテルもそばにいる。病院で知らない連中に囲まれる必要はない。余計なお世話だ!ここでやりたいことがあるんだ。もう一日だけ待ってくれんか。
P174

結局、本人の意思は聞き入られず、入院ということになったらしいが、バルトークはもはや治る見込みのない病気に対して、医者の忠告が単なる延命治療のためのものに過ぎないことがわかっていたことを後にペーテルは悟る。ここでバルトークがもう一日待ってほしいと懇願したのは、妻ディッタに捧げた「ピアノ協奏曲第3番」の最後の2ページ、わずか17小節のオーケストレーションを完成させるためだったらしい(結局ティボール・シェルイによって補完)。

彼がまだ会話ができた頃、最後の見舞客であった内科医ヘンリー・ラックスに語った言葉にバルトークという音楽家のすべてがあるように思う。彼は無償で世の中に尽くした。

いちばん悔しいのは、トランクが詰まったまま、去らねばならないことだ。
P181

バルトークが若い頃に掲げた人生の目標とあわせるとその真意がよく理解できる。

私はこの世に無で生まれた。そして無で去りたい。
P181

人間はやらねばならないことがあって生を受け、しかし、それが叶えられぬまま死を迎えなければならない時の無念さと言ったら・・・。
こういう事実を知った上で聴く未完の協奏曲の何という儚さ。

バルトーク:
・ピアノ協奏曲第2番Sz.95(1979.3録音)
・ピアノ協奏曲第3番Sz.119(1978.2録音)
ウラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)
サー・ゲオルク・ショルティ指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

第3協奏曲第2楽章アダージョ・レリジオーソの静かな純白の美しさ。作曲を始めた時点の本人には死の意識はなかったろうが、時に苦悩の様相を浮かべる管弦楽に対してすべてが浄化され、すべてが「空(くう)」に還るようなピアノの調べ。アシュケナージのピアノは実に見事。

 


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2 COMMENTS

うらやのぬきち

むかし、モーツァルトの伝記を読んで、衝撃を受けたときのことを思い出します。
人間離れした至高の芸術が、泥まみれの世俗の欲求の中で生み出されていた歴史的事実を知ったときに。
それはまた、いつも時代も変わらずに、今日の我々の現代と重なってきます。
生活の営為と芸術の崇高さの狭間に、生きることの意味を痛々しくも、教えられる気がいたします。

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岡本 浩和

>うらやのぬきち様
モーツァルトの場合もそうですよね。
天才の作品というのは生きているうちには花咲かないもので、何とも不条理さに胸が痛みます。
凡人には縁のないことですが・・・(笑)

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