ルチア・ポップ「モーツァルト・オペラ・アリア集」を聴いて思ふ

mozart_opera_arias_lucia_popp勝手な私見、極論だが・・・。
ヘンデルやバッハの音楽にあって、モーツァルトの音楽にないもの。いわば四角四面的な厳格さ。逆に、モーツァルトにあってバッハやヘンデルにないもの。自由に飛翔する愉悦。
言い方を変えると、ヘンデルやバッハは例えば「宗教」という枠の中のもので、「閉じられている」印象があるのに対し、モーツァルトは(人間を含めた)自然や宇宙という、より根源的なものを希求しており、「開かれた感」があるということだ。

さらに、誤解を恐れずに言うと、ヘンデルやバッハは聴く者をひれ伏せさせる、説教のような、どうにも上から目線の音楽であるのに対し、モーツァルトは僕たちを内側に取り込んでしまう、あくまで平等であり、ひとつであるという「大風呂敷」のような音楽なんだ。

モーツァルトの35年という短い生涯は奇跡。若年の頃から音楽に内在するパッションやエネルギーに一切変化がない。すなわち、彼は生まれながらにすでに老練であり、決して歳をとらなかった。

ルチア・ポップのヘンデル・アリア集とモーツァルト・アリア集を聴きながら、そんなことを考えた。

ルチア・ポップ モーツァルト・オペラ・アリア集
・歌劇「羊飼いの王様」K.208
~第2幕「あの人を僕は愛そう、心変わりはすまい」(アミンタ)
・歌劇「イドメネオ」K.366
~第3幕「そよ吹く風」(イリア)
レナード・スラットキン指揮ミュンヘン放送管弦楽団(1983.6.15-19録音)
・歌劇「後宮からの誘拐」K.384
~第2幕「優しさにお世辞をまぜて」(ブロンデ)
~第2幕「大きな喜びに」(ブロンデ)
ヨーゼフ・クリップス指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1966.2.7-15録音)
~第2幕「わが幸福の消えた日から~あなたから引き離され」(コンスタンツェ)
・歌劇「フィガロの結婚」K.492
~第2幕「愛の神よ照覧あれ」(伯爵夫人)
~第2幕「恋とはどんなものかしら」(ケルビーノ)
~第4幕「さぁ、早く来て、喜びのとき」(スザンナ)
・歌劇「ドン・ジョヴァンニ」K.527
~第2幕「何というひどいことを」(ドンナ・エルヴィラ)
~第2幕「恋人よ、私を不親切な女と思わないで」(ドンナ・アンナ)
・歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」K.588
~第1幕「岩のように動かずに」(フィオルディリージ)
レナード・スラットキン指揮ミュンヘン放送管弦楽団(1983.6.15-19録音)
~第2幕「女が15になったら」(デスピーナ)
オットー・クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1971.1.25-2.18録音)
・歌劇「魔笛」K.620
~第1幕「慄えないで、私のかわいい若者よ」(夜の女王)
~第1幕「復讐の心は地獄のようにわが胸に燃え」(夜の女王)
オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団(1964.3.24,26,31&4.1-4, 6-8, 10録音)
~第2幕「ああ、愛の喜びは露と消え」(パミーナ)
ベルナルト・ハイティンク指揮バイエルン放送交響楽団(1981.4.1-13録音)
・歌劇「皇帝ティートの慈悲」K.621
~第2幕「夢に見し花嫁姿」(ヴィテッリア)
レナード・スラットキン指揮ミュンヘン放送管弦楽団(1983.6.15-19録音)

80年代全盛期のポップの歌唱は堂に入る。実に安定感があり、モーツァルトの音楽を自家薬籠中のものとして表現する。しかし、クリップスやクレンペラーが伴奏(?)を務めた若き日のアリアの何と可憐で伸びのあること!!まさに青春のモーツァルト!!
「魔笛」の録音は僕が生れた2日後からスタートしているのがミソ(笑)。
実に1週間後に僕は生誕50周年を迎える。早半世紀ということだ。

モーツァルトにはすべてが含まれる。ありがとう・・・。

 


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2 COMMENTS

畑山千恵子

ポップが54歳で亡くなったことは残念です。バイエルン州立歌劇場の来日公演では素晴しい歌と演技を見せてくれましたね。「フィガロの結婚」伯爵夫人など、思い出しますね。

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