フルトヴェングラーの「魔弾の射手」(1954Live)を聴いて思ふ

weber_freischutz_furtwangler「魔弾の射手」第2幕最後の「狼谷の場」。1821年6月18日の初演の際、オーケストラの演奏に聴衆は異常な興奮を示したそう。確かに、第2幕後半から第3幕にかけてはこの歌劇の聴かせどころ満載で、舞台でなく音楽にのみ触れただけでも聴く者の心を捉えて離さない。

それがフルトヴェングラーの演奏ともなるとなおさら。当時の記録としては決して音質万全とはいえないものの、使い古した言い方が許されるなら「あまりにデモーニッシュな『魔弾』」で、音の悪さを飛び越えて数々の息詰まるシーンが眼前に現れるかのように示される。もはやこの呪縛からは逃れられない。とても死の4ヶ月前の老人(?)の棒とは思えない激しさと深刻さ、あるいはおどろおどろしさ。実際にザルツブルク音楽祭のその場で目の当たりにしたならばあまりの生々しさと悪魔的響きに卒倒したことだろう。聴衆の拍手喝采がそのことを見事に物語る。

吉田秀和氏はこの舞台を観ていらしたそう。

ただし、同じところで接したヴェーバーの「魔弾の射手」のほうなら、序曲や、そのあとのいろいろなシーンの音楽を、まだよく覚えている。ことに、まだ昨日きいたみたいにはっきり想い出すのは、例の「花環の歌」と、それからグリュンマーの歌ったアガーテのあの長大なレチタティーヴォとアリアである。一体に終始おそめのテンポがとられていた中でも、前者の「花環の歌」は、単におそいだけでなく、全体としてピアノから、ピアニッシモの間ぐらいの声しか出させない、それ自体で、すでに、もう想い出のようなヴェールのかかった夢想的な演奏だった。あんなにきれいな「花環の歌」は以来二度ときいたことがない。それに「狩人の合唱」だとか、この「花環の歌」だとか、ひいては「魔弾の射手」の全体が、ドイツ人にとっては、子供のときから耳にたこの出来るほど、きかされ、唱わされてきたものが多いのだろうから、今さら、それを舞台の上でやられても、よほどセンチメンタルな人間でない限り、やりきれない思いがするものらしい。
「吉田秀和全集5指揮者について」P211

残念ながら音盤はダイナミクス含め吉田さんが体験したものをそのまま記録し得ていない。しかし、僕たちにはイマジネーションがある。目を閉じ、祝祭大劇場の内側に在る自分を想像するのだ。

ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」
エリーザベト・グリュンマー(アガーテ、ソプラノ)
リタ・シュトライヒ(エンヒェン、ソプラノ)
ハンス・ホップ(マックス、テノール)
アルフレート・ペル(オットカール侯爵、バリトン)
オスカー・チェルヴェンカ(クーノー、バス)
クルト・ベーメ(カスパール、バス)
カール・デンハ(キリアン、バリトン)
クラウス・クラウゼン(ザミエル、台詞)
オットー・エーデルマン(隠者、バス)
ウィーン国立歌劇場合唱団
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1954.7.26Live)

深遠なる森の闇夜からかすかに放射されるような序曲冒頭のエネルギーは尋常でない。この最初の音だけで僕たちはフルトヴェングラー・マジックの虜だ。続くホルンのテーマは多少のひっくり返りはあるものの、そんなものはライブならではの瑕。主部に入って以降の、物語の展開を仄めかす数々のテーマが繰り広げられるシーンでは、地に足のついた晩年のフルトヴェングラーならではの「うねり」が聴ける。そして、パウゼのあとのコーダの弾ける愉悦!さぞかし感動的だったことだろう。聴衆の、すでに感極まる拍手が鳴り響く。

第1幕に入ると、音楽も舞台も一層リアル感を増す。この時のパフォーマンスに魂までもが引きこまれ、気がつくと歌手たちのやり取りをイメージし音楽に没頭している自分に気づくのだ。

農民たちのワルツもエネルギーと迫力に富む。続く、ハンス・ホップ演じるマックスの堂々たるアリアは、ザミエルの主題を用いたクライマックスにおいて火を噴くように歌われる。

第3幕の有名な狩人の合唱「この世で狩ほどの楽しみがあろうか?」はここでもフルトヴェングラーの棒が光る。全編の白眉のひとつだ。さらに、ここから終盤に向けてのフルトヴェングラーの音楽の作り、勢い、集中力が並大抵でなくなる。打楽器は轟き、金管は咆え、弦楽器は唸る。歌手も合唱も一丸となってフィナーレの喜びに向けて突き進むのだ。

 


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2 COMMENTS

デラ・カーザ ゼーフリート ギューデン ショック シェフラー ベーム指揮ウィーン・フィル R.シュトラウス 歌劇「ナクソス島のアリアドネ」(1954.8.7Live) | アレグロ・コン・ブリ

[…] エーブルの証言は、このオペラにおける管弦楽パートの素晴らしさを示す。そして、1954年ザルツブルク音楽祭でのベーム指揮ウィーン・フィルの演奏は、オペラの最後に向け熱く、またうねる。そういえば、このザルツブルク音楽祭の期間中、吉田秀和さんが訪れ、フルトヴェングラー指揮の「ドン・ジョヴァンニ」や「魔弾の射手」、あるいはクナッパーツブッシュ指揮によるブルックナーの第7交響曲を聴かれていたのだった。それならばベームの指揮する「アリアドネ」も聴く機会はあったのだろうと想像したが、ちょうど翌日にバイロイトに向けて発たれていたのだった(バイロイトではフルトヴェングラーの例の「第九」を聴いた後、その年に上演されたワーグナーの楽劇をすべて聴かれたのだという)。リヒャルト・ワーグナーの楽劇にぶちのめされた吉田さんは次のように書いている。 […]

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