カルロス・クライバーの「リンツ」交響曲を観て思ふ

carlos_kleiber_mozart_36_vpoある妊娠中の女性から、どうしてモーツァルトが胎教に良いのか聞かれた。モーツァルトに限ったことではない(バッハなども?)と思うのだが、果たしてどうしてなのか?一般的には、人間がリラックス時に出す脳波である「1/fゆらぎ」がモーツァルトの音楽には多く含まれているなどといわれるが、残念ながら音楽の専門家でない僕は正当な、あるいは納得のゆく答を持ち合せない。

モーツァルトのわずか35年という短くも濃い人生について考えてみる。
人生のほぼ3分の1が「旅」であったというモーツァルト。人間の脳は活発な刺激を受けると、記憶力も情報処理能力も上がるそう。ならば「旅」により日々何か新しいものに出会う可能性のあったその生き様が、創造能力に与えた影響というのはどれほどだったか・・・。
そして、人生の酸いも甘いも知り、宇宙が(世の中が)陰陽のバランスの上で成立していることを悟っていて、しかもその上で「自分の才能は努力の賜物だ」と謙虚に言える姿勢(そのことはバッハについても同様)こそがそういう音楽を生み出す大きな要因だったのではないのか・・・。

残された手紙からいくつかをひもとく。

私どもがこの世に生きるのは、常に勤勉に学び、意見を交わして互いに啓蒙し、学問と芸術を常に前進させるよう努力するためです。
1776年9月4日付 ザルツブルクにて、マルティーニ神父宛

今日まで、ぼくらはこの通り、幸福でもなければ不幸でもありませんでした。・・・何事が起ころうとも、健康であればいいのです。というのは至福は―ただ想像のなかにのみ存在するからです。
1777年11月29日付 マンハイムにて、父宛

ぼくは断言しますが、旅をしない者は(少なくとも芸術や学問に携わっている人たちなら)実に哀れな存在に過ぎません!凡庸な人間は、旅をしようとしまいと、常に凡庸なままです。しかし、優れた才能の持ち主は(ぼくがそれを自分自身に認められなかったら、神をないがしろにしたことになります)いつも同じところに留まっていると、だめになります。
1778年9月11日付 パリにて、父宛

そりゃぼくだって努力しなくてはなりませんでしたよ。それで今ではもう努力しないですむようになったんです。
1784年4月26日付 ウィーンにて、父宛

人間モーツァルトの器が彼の音楽そのものであることが垣間見える。

時折、無性にモーツァルトが恋しくなる。
久しぶりにカルロス・クライバーの「リンツ」交響曲を観た。
何という指揮姿!何という変幻自在さ!ここにはモーツァルトの天才に火をつけるカルロスの天才が飛翔する。もはや言葉で語る術なし。

・モーツァルト:交響曲第36番ハ長調K.425「リンツ」
・ブラームス:交響曲第2番ニ長調作品73
カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1991.10.6&7Live)

ハ長調という、安定した、そして開放的な調性が一層音楽に調和をもたらす。しかも、カルロスは音楽の流れに沿って、そこに乗りかかるように指揮するゆえまるで音楽がいまここで生まれたばかりであるかのような印象を僕たちに与える。

特に晩年のモーツァルトは、あくまで自身のセンスだけを頼りに自身の信じるものを創造し、聴衆に売り込んだ(例えば三大交響曲)。しかし、残念ながら当時の大衆はそっぽを向いた。200年を経た現代、猫も杓子もモーツァルトだ。彼は時代の先を行き過ぎていたということ。モーツァルトはやっぱり「神の子」だ。
モーツァルトの音楽は「胎教」に限らず、どんなシチュエーションにおいても効果・効能を発揮するだろう。

 

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2 COMMENTS

畑山千恵子

1986年、カルロス・クライバーを聴きにいった時のことを今でも思い出しますね。出てくると、「ブラヴォー」が聞こえるほどですから、凄い、凄い!ベートーフェンの交響曲第4番、Op.60、変ロ長調、第7番、Op.92、イ長調、アンコールはヨハン・シュトラウス2世、ポルカ「雷鳴と電光」でした。凄い勢いでオーケストラを引っ張り、素晴しい音楽を生み出す効果は素晴しいものでした。あの時の興奮が昨日のようですね。

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