ブレゲンツ音楽祭2009 シマノフスキの歌劇「ロゲル王」を観て思ふ

szymanowski_king_roger_elderここにはイゴール・ストラヴィンスキー的狂乱があり、カール・オルフ的呪術性がある。
カロル・シマノフスキの音楽には、強烈な光と影が錯綜し、妖艶でありながら祈りに満ち、神が感じられる一方でエクスタシーに溢れる。そう、聴く者はその音楽によりいつしか快楽の世界に誘われるのだ。全編美しい。

権力者は、あるいはリーダーは孤独で弱い。常にどこかに恐れを抱き、苦悩する。
人間の過ちは、そもそも「信仰」というものをある形に閉じ込めたことだ。おそらくそれを「宗教」という。真理は一つであるにもかかわらず、その形が違ったことによって戦いが始まった。

羊飼いは言う、「神は私と同じように美しい」「私の神は素晴らしい羊飼いだ」
何という誤解!謙虚さを失った時、人間は地に堕ちる。しかし、多くの人々はその強大な力、「能力」に騙される。神秘的かつ魅力的であればあるほどだ。羊飼いの正体は何と狂乱と陶酔の神であるデュオニソス。

聖なるものによって統べられていた世界は、中世以降ゆっくりと少しずつ俗なるものに陣取られていった。現代は聖俗のアンバランスが招いた不幸であることを暗に象徴するのか・・・。
妻であるロクサーナが羊飼いの煽動に心奪われてゆく様に苦悩するロゲル王の姿にこそ今の世の不安が投影される。そして、賢者エドリシは王に言う。

ジャスミンの花びらが大きな風によって散らされるように「恐れ」というものが幸福な夢を追い散らすのです。

ブレゲンツ音楽祭2009
シマノフスキ:歌劇「ロゲル王(ロジェ王)」
スコット・ヘンドリックス(バリトン、ロゲル王)
オリガ・パシチェニク(ソプラノ、ロクサーナ)
ジョン・グラハム・ホール(テノール、エドリシ)
ヴィル・ハルトマン(テノール、羊飼い)
カトヴィツェ市シンガーズ
アンサンブル・カメラータ・シレジア
クラクフ・ポーランド放送合唱団
サー・マーク・エルダー指揮ウィーン交響楽団
デイヴィッド・パウントニー(演出)

冒頭、神々しい聖なる合唱に導かれ物語は粛々と始まるが、そういった「信仰」(すなわち宗教)すら人間が拵えた「幻想」であることが最後にわかる。すべては人間同士の醜いゲームであることも・・・。
夜明けに輝く太陽の光が斃れたエドリシを、そして大手を広げたロゲル王を照らし幕となる最後のシーンに、僕は大いなる答を見出す。何という圧倒的ラスト。何という深く崇高な音楽。明快なエルダーの棒によってシマノフスキの心が直接に言い当てられるよう。

興味深いのはデイヴィッド・パウントニーの演出。第2幕でロクサーナをはじめとする、羊飼いに憑りつかれてゆく人々は「赤」の衣装で統一され、ロゲル王とエドリシはそれが「黒」なのだ。慈悲というものが王の内、そしてエドリシの内にも存在しながら、恐怖という「自我」によってそれが封じ込められていることを示唆するよう。

※羊飼い役を演じるヴィル・ハルトマンはどこかで見たことあると思っていたら、昨年の今頃、メッツマッハー&新日本フィルの「ワルキューレ」第1幕でジークムントを歌っていたんだった。あれも素晴らしかった。

 

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