リヒターのバッハ「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」BWV140を聴いて思ふ

bach_cantata140_richerかつての(今も)芸術家は霞を食って生きていたのかといえば、当然ながらそんなことはない。どんな天才だろうと、この世に生を受け、身体を持った以上それに縛られた。音楽を創造する以上に生活することを強いられた。それゆえ、かつての天才音楽家たちは誰しも職を求め、国々を渡り歩いた。その上、親は親で、わが子の才能を発見すると、「お金を生み出す道具」のように考えたのかどうかはわからぬまでも、とにかくその子の教育に時間と労力を費やした。バッハもモーツァルトも、あるいはベートーヴェンも厳密には自らの意志で音楽を始めたのでない。

人間誰もが元々は「親」の庇護の下にあり、絶対的な影響を受けるもの。
父フリードリヒの厳格な教育により一世一代のピアニストに成長したクララ・ヴィーク。作曲家としても相当な才能を見せた彼女が、1837年にロベルト・シューマンに認めた手紙には次のようにある。

あなたは私にようやく青春時代を与えてくださるでしょう。私はいつも世界で一人ぼっちと感じていました。父はとても愛してくれました。私も父を愛しています。でも、少女にとってもっとも必要なのは母の愛なのです。それを私は一度として味わったことがありません。だから幸福に感じたことは決してなかったのです。
モニカ・ステークマン著・玉川裕子訳「クララ・シューマン」P39

この言葉は重い。クララの期待に反し、ロベルトは実に父性的だったのだから・・・。
自分の理想とは正反対の、そして自らの脳に刷り込まれている像を無意識に追ってしまうのが人間というものなんだ。そう考えると、逆に、後に妻となったクララの心底にある「欲求不満の重圧」がロベルトを精神的に追い込んだ一因として考えることもできないか・・・。

そんな夫妻が古の崇高な音楽に癒しを求めたのは当然。彼らは、当時ほとんど顧みられることのなかったバッハやヘンデル、あるいはベートーヴェンに着目し、18世紀の巨匠たちの復権に尽力した。そう、現代の僕たちがバッハやベートーヴェンの芸術に触れ得るのは、メンデルスゾーンやシューマン夫妻、あるいはリストのお陰なのである。なるほど、バッハやヘンデル、そしてベートーヴェンに通底するものは「母性」、すなわち宇宙万物から発せられる「愛」だ。

J.S.バッハ:
・カンタータ第140番「目覚めよと呼ぶ声あり」BWV140
・マニフィカトニ長調BWV243
マリア・スターダー(ソプラノ)
ヘルタ・テッパー(アルト)
エルンスト・ヘフリガー(テノール)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バス)
ミュンヘン・バッハ合唱団
カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団

第1曲の静かで意味深いオーケストラ前奏に心洗われる。そして、直後の明朗な合唱に涙する。
テノールによるレチタティーヴォを経て歌われる第3曲アリアは、「マタイ受難曲」第39曲アリア「憐れみたまえ、わが神よ」の焼写しのようだが、かの受難曲同様この哀感は言語を絶する美しさ。
続く有名なコラール「シオンは物見らの歌を聞き」の、ヴァイオリンとヴィオラの斉奏による懐古的なメロディに心奪われ、さらにヘフリガーの折り目正しく伸びのある独唱に思わず跪く。

形づくれ!芸術家よ!語るな!
ただ一つの息吹だにも汝の詩たれかし。
高橋健二訳「ゲーテ詩集」P222

物事は理屈ではないのだ。
人間の感覚を超えたところに「真実」がある。
そして、その「真実」を正しくキャッチできる人こそが真の天才なんだ・・・。

 

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2 COMMENTS

畑山千恵子

改めて、メンデルスゾーン、シューマン夫妻、リストの偉大さを思い知りますね。メンデルスゾーンがゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者となった時、ハイドン、モーツアルト、ベートーヴェンなどを取り上げたことも特筆すべき功績ですね。

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