サヴァリッシュ&バイエルン国立管のブルックナー交響曲第1番を聴いて思ふ

bruckner_1_sawallisch008弦楽器群、中でも低音部は大地の鼓動であり、その上に歌われる高音部はまるでさざめく風であり(僕たちに不可欠の)空気のようだ。ならば、木管群はほとんど生きとし生けるものの声であり、金管群の咆哮は神々の箴言であるといえるのでは。ブルックナーの交響曲は、そのはじめのものから単体で「大自然」、「大宇宙」の描写であり、どの瞬間も実に雄大で神々しい。
それゆえにこの人の作品を演奏する時に重要になるのがグラウンディングとスケールなのである。

粟津則雄さんの「自然の声―ブルックナーをめぐって」というエッセーをひもといた。

ただ、ブルックナーの場合は、純音楽的とも言いうるような徹底的な展開を通して、あの自然の声がきこえてくる。自然は、いわゆる文学的な接近に対しては冷たく、身を閉じるが、ブルックナーのように、ただひたすらその音楽の徹底化を求めるときは、おのずからおのれをあらわにするとでも言うべきところがそこにはあるようだ。・・・(中略)・・・だが、ブルックナーのように、その音楽的追求が、彼の個性を乗りこえるようなかたちで野太い自然の声をひびかせるというのは、やはりブルックナー独特のものだろう。
「音楽の手帖 ブルックナー」(青土社)P12

ブルックナーが本格的に交響曲を書き始めたのは遅く、1865年、41歳の時からである。粟津さんは、彼の執拗なまでの愚直さが、最終的には「その人」を乗りこえ「自然」とひとつになったというのだが、しかし第1番の交響曲からすでに「野太い自然の声」が響いていると言えまいか。ヴォルフガング・サヴァリッシュの30年前の録音を聴いて思った。

ブルックナー:交響曲第1番ハ短調(1865/6年リンツ稿)
ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮バイエルン国立管弦楽団(1984.10.25-28録音)

第1楽章アレグロの躍動感は、青春のブルックナーだ。あまりにも若々しく、恋するアントンがここに在る。第2楽章アダージョは、これこそ繊細で崇高な大自然の描写であり、ブルックナー音楽の内に在るまさに「自然の声」だ。音楽のあまりの美しさに心が動く。
そして、第3楽章スケルツォの軽快で愉悦に満ちた野人の舞踏と、まるで一服の清涼剤のような爽快感に溢れるトリオの対比はサヴァリッシュの真骨頂。
とはいえ、何と言っても白眉はフィナーレ。冒頭、勢いよく鳴り響く第1主題の前進性と、弦楽器群によって奏される柔和な第2主題、さらには金管のコラール風第3主題を耳にするだけで、すでに後年のブルックナーの様式美が獲得され、ある意味この時点からこの人は「自らの形」を完成させていたことがわかる。

そこには、時としてマニアックな感じさえする執拗な形式の追求があり、ひとつ間ちがえば騒々しさに墜しかねぬ激しい感情の昂揚があり、いつ終わるのやら見当もつかぬような甚だしい思念へののめりこみがある。
~同上書P11

粟津さんのおっしゃるこの言葉を見事体現し、ブルックナーを崩壊させることのないギリギリのラインで保ったのがサヴァリッシュのこの演奏であると僕は思う。名演だ。

 

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