エレーヌ・グリモーのシューマン「ピアノ協奏曲」ほかを聴いて思ふ

grimaud_reflexions016フランツ・リストが、現在当り前のように行われるピアノ・リサイタルを創始したことは有名な話。そして、リスト同様、あるいはリスト以上に過去の音楽作品の重要性を世に知らしめ、同時に当時の現代作品を重視、頻繁に採り上げることで作曲家の名声を上げることに尽力した人はクララ・シューマンその人以外にいない。
興味深いのは、特に夫のロベルトの死後、7人もの子どもたち(実際には8人の子をもうけたが、長男エミールは1847年に夭折)を抱え、彼等を養うためにどうしても自らお金を稼ぎ出さねばならなかったという事情が結果的に功を奏し、いわゆる女流ピアニストの地位を確保するに留まらず、現代の音楽ビジネスに通じてゆくその基礎を彼女が作ったことだ。

クララはヨーロッパ中を飛び回った。至る所でリサイタルを開き、都度絶賛を浴びた。当時の音楽産業の中心地であった英国ロンドンでは大変な人気を博し、実際に相当の稼ぎを生み出した。
モニカ・シュテークマン(玉川裕子訳)による「クララ・シューマン」(春秋社)に、「演奏会―プログラム―戦略」という章があるが、これが滅法面白い。

クララのロンドン・デビューは、1856年4月14日の“フィルハーモニー協会”の演奏会だった。演奏会全体のプログラム構成は、この協会に典型的な、オーケストラ作品とアリア、歌曲、独奏曲の入り混じったものであったが、クララはここでベートーヴェンのピアノ協奏曲「皇帝」と、十八番のメンデルスゾーンの「厳格な変奏曲」を演奏して、彼女が求める音楽がどういうものであるかを聴衆に披露する。・・・(中略)・・・
クララの人気はイギリス人のあいだで次第に高まっていき、「スーパースターを迎えるときにだけみせるような」熱狂をもって迎えられるようになっていく。それは年を経るごとにさらに高まっていき、1876年にはブラームスに宛てて、「これほど心のこもった歓迎を受けたことは、これまでただの一度もありません」と書いている。
P142-143

クララが舞台で発するカリスマ的な魅力は絶大なものであったにちがいない。彼女の醸し出す厳粛さ、音楽への無条件の献身―「芸術は私にとってもっとも神聖なものです」―、普通とは異なった外見や立ち居振舞い、1870年代から80年代にかけて、イギリスの聴衆も批評家たちも、彼女のこうした魅力から逃れることができなかった。そのためクララは、自分が心から大切にしている作品を臆することなく演奏することができた。その最たるものはローベルトの作品であり、彼女の演奏を通じて次第に人気が高まっていく。・・・(中略)・・・ブラームスをイギリスに紹介したのもまたクララである。
P144-145

この経験から、クララは演奏会開催のためのある戦略を思いついて、1年後に実行にうつす。まず、予約演奏会を3回だけ開催すると発表し、後から追加でもうワンセットの演奏会シリーズを提供し、最終的には6週間のあいだに6回の演奏会を行ったのである。このときの演奏会でプログラムの最後を飾ったのは、これまでのようなショパンやメンデルスゾーンの小品ではなく、ローベルトの「謝肉祭」だった。
P149

何という強靭な精神力・・・、母は強し、である。
クララのロンドン・デビューの作品が、当時「男性用協奏曲」とみなされていたベートーヴェンの「皇帝」であり、しかもそれが圧倒的な成功を収めたというのだからこの人の「スーパー」ぶりがよくわかる。
ところで、「厳粛さ、音楽への無条件の献身」という言葉から、僕はエレーヌ・グリモーを連想した。まるでクララの生まれ変わりなのではないかと思わせる、繊細でありながら強烈なオーラを発するエレーヌのピアノが実にロマンティックにうねる。

リフレクション
・シューマン:ピアノ協奏曲イ短調作品54
・クララ・シューマン:リュッケルトの詩による3つの歌曲作品12
・ブラームス:チェロ・ソナタ第1番ホ短調作品38
・ブラームス:2つのラプソディ作品79
エレーヌ・グリモー(ピアノ)
アンネ=ゾフィー・フォン・オッター(ソプラノ)
トルルス・モルク(チェロ)
エサ=ペッカ・サロネン指揮ドレスデン国立管弦楽団(2005.5&8録音)

ブラームスのラプソディにおける、内燃するパッションの透明感に溢れる表現に、グリモーの独奏者としての類稀な力量を発見する。

こうしたニュアンス豊かな響きやアーティキュレーションを生みだしたのは、通常とは異なる斬新なフレージングである。クララのフレーズは、最少のまとまりから全体の大きな流れにいたるまで、ひとつひとつがどこを目指しているのかが明確だった。また、重みを与えたり、力を抜いたりすることでアクセントをつけていったが、それは大きな流れをふまえたうえでなされているので、拍のきざみが無味乾燥に陥ることはなく、むしろ音楽が生き生きとして雄弁なものになった。
P174

同書の「作曲家として、ピアニストとして」という章にあるこの文章がそのままエレーヌのピアノ演奏に当てはまる。
トルルス・モルクとのブラームスも素晴らしい。呼吸の深いチェロによる第1楽章第1主題提示の際の伴奏の、センス満点の可憐さと、第2主題におけるピアノの静かに歌われる祈りに満ちた響きに金縛りに遭うかのよう。中間楽章も終楽章も、前のめりでありながら決して羽目を外さず、あくまで伴奏者としての役目を果たしながら、ここぞソロという時に魅せる技。
そして、クララの歌曲は、どこかロベルトのそれに似た、否、負けず劣らずの情熱的なピアノを伴奏に哀しげな旋律が流れるように歌われる(さすがにオッターが素敵)。第1曲と第2曲の動と静の対比が聴く者に生きる活力を与える(世界はやはりバランスでできているのだ)。
さらに、クララがコンサートで事あるごとに採り上げ、作品の普及に尽力したロベルトのピアノ協奏曲。サロネン&ドレスデン国立管の重厚なサポートを得ての最高のパフォーマンス。オーケストラのいぶし銀の響きは当然素晴らしいのだが、エレーヌのソロの時の、こぼれるようなニュアンス豊かな音楽性と、それを生みだす感性とセンスに心奪われる。
あまりに美し過ぎる。ロベルト・シューマンの協奏曲の第一に推すべき名演である。
エレーヌ・グリモー45回目の誕生日に。

 

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