東京クヮルテットのベートーヴェン「ラズモフスキー」四重奏曲(2005録音)を聴いて思ふ

beethoven_tokyo_string_quartet030吉田秀和さんのベートーヴェン論に「『一』が『多』を形成していたときと、『すべて』が『一』に結晶するときと」というものがあるが、昨年のファイナル・ツアーでの東京クヮルテットの演奏こそ、小題通りのベートーヴェンのそういう一面を見事に表現したものだった。
あの時の演奏を評し、
演奏者を感じさせないあまりに自然体のベートーヴェンは「音楽」そのものである。何と凝縮された小宇宙よ。
と、僕は書いた。あの日と同じメンバーによって録音された音盤セットを聴いても思う。彼らのベートーヴェンはまさに「求心力」の賜物だ。

それにしても、ベートーヴェンの創造力の動きの具合というものは、霊妙を極めていて、その微妙さは火のように捕捉しがたいのだが、それと同時に、そこにはほかのどんな作曲家にも、たとえ存在しているとしてもこれほど的確には認められるまいと思われるほどの、ある法則性が働いているように、私には感じられて仕方がないのである。
吉田秀和著「ベートーヴェンを求めて」(白水社)P156

吉田さんの感覚はおそらく正しい。ベートーヴェンの法則性は頭で考えたものでないゆえ、それが「何であるか」を明文化するのは難しい。しかし間違いなく「法則性は働いている」ように僕も思う。

能うかぎり善を行ない
何にも優りて不羈を重んじ
たとえ王座の側にてもあれ
絶えて真理を裏切らざれ
ベートーヴェン
(1792年、記念帳)
ロマン・ロラン著/片山敏彦訳「ベートーヴェンの生涯」P19
※不羈(ふき)とは、自由奔放で束縛し得ないこと。

たぶんこれは青年ベートーヴェンがシラーの「歓喜に寄す」などの自由思想に影響を受けて書き留めたものだろうが、こういう思想こそが楽聖の根底にあった「法則」を形づくるもののひとつだったと僕は考える。思考が人間離れし、ある意味神の境地に達していたゆえ、人間性もその作品も当時の人々には難解(革新的)で受容し難かった。

1806年に書かれた3つの「ラズモフスキー」四重奏曲も、当時の一般の評判は甚だ悪かったという。

ベートーヴェン:
・弦楽四重奏曲第7番ヘ長調作品59-1「ラズモフスキー第1番」
・弦楽四重奏曲第8番ホ短調作品59-2「ラズモフスキー第2番」
・弦楽四重奏曲第9番ハ長調作品59-3「ラズモフスキー第3番」
東京クヮルテット(2005.4.26-29録音)
マーティン・ビーヴァー(ヴァイオリン)
池田菊衛(ヴァイオリン)
磯村和英(ヴィオラ)
クライヴ・グリーンスミス(チェロ)

いずれの作品においても、緩徐楽章に当時の楽聖の崇高な祈りが投影される。吉田さんの表現を借りるなら、作品59-2の崇高な観想のホ長調のモルト・アダージョ(楽譜には特に「この楽章は深い感情をもって演奏するよう」との注が記されている)、あるいは、作品59-1の第3楽章アダージョ・モルト・エ・メスト(へ短調)の内的で深刻な激しさ、そして、作品59-3における哀歌的なイ短調のアンダンテ、ということだが、まさにその言葉通りの音楽が繰り広げられるのである。
ベートーヴェンは深遠だ、そして神だ。

善くかつ高貴に行動する人間はただその事実だけに拠っても不幸を耐え得るものだということを私は証拠だてたいと願う。
1819年2月1日付ウィーン市庁宛の書簡より

空気は我らの周りに重い。旧い西欧は、毒された重苦しい雰囲気の中で麻痺する。偉大さのない物質主義が人々の考えにのしかかり、諸政府と諸個人との行為を束縛する。世界が、その分別臭くてさもしい利己主義に浸って窒息して死にかかっている。世界の息がつまる。―もう一度窓を開けよう。広い大気を流れ込ませよう。英雄たちの息吹を吸おうではないか。
ロマン・ロラン著/片山敏彦訳「ベートーヴェンの生涯」P15

ロランのこの言葉は1903年1月に書かれたものだが、それから110年という歳月が流れるにもかかわらず、世界の状況、人間の心はさほど変わっていない(どころか悪化しているかも)。
200余年前のベートーヴェンの予言の如くの言葉が重い。

彼は自分の価値を自覚している。彼は自己の力を信じている。1796年に手帳の中にこう書いた―「勇気を出そう。肉体はどんなに弱くともこの精神でかって見せよう。いよいよ、25歳だ。一個の男の力の全部が示さるべき年齢に達したのだ。」フォン・ベルンハルト夫人およびゲーリンクのいっているところによると、彼ははなはだ尊大で、がむしゃらで憂鬱で、それにまたひどい国なまりで話していた。しかし最も親密な友人たちだけは、ベートーヴェンの霊妙な親切さを―尊大に見える不器用な態度の背後に隠れていた親切さを識っていたのである。
~同上書P27

ベートーヴェンは日常ではあまりに人間的であったが、一方で霊的であり、崇高な精神を秘める人間らしくない人間だったということだろう。でないとあれほどの作品を生み出すことなど不可能だ。

 

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