クレンペラー&フィルハーモニア管の歌劇「魔笛」を聴いて思ふ

mozart_zauberflote_klemperer075モーリス・ベジャールがバレエ化した「魔笛」を観て、思った。
二十世紀バレエ団の当時の女性トップ・ダンサーであったショナ・ミルク演じるパミーナの、弱さと力強さをあわせもつ完璧な舞踊に、「魔笛」というオペラの「真実」が刷り込まれているのではないかと。

夜の女王の娘であるパミーナが、タミーノと出逢い、そしてザラストロの4つの試練を受けることで進化、深化し、最後はタミーノとともに解脱してゆく様をショナは見事に体現した。そして、彼女のいかにも両性具有的な体躯は、現代において二元が一元に収斂し、「すべてがひとつになること」を18世紀のモーツァルトがわかっていたことをまるで示すようだ。ここ(振付)にこそモーリス・ベジャールの天才がある。
モーリス・ベジャールは語る。

モーツァルトがエジプトに求めたものは、キリスト教によって失われ、フリーメイソンによって再認識された秘儀的な思想である。それは宇宙という大自然のなかで、万物の基本要素を結合する思想である。「魔笛」は芸術がそれ自身を超越した作品であり、オペラを超えたオペラである。
高橋英郎編モーツァルト頌「モーツァルト事典」(冬樹社)P229

素晴らしい洞察と見識。つけ加えるなら、「魔笛」の台本ト書ではタミーノが煌びやかな日本の狩衣をまとっていることと、手に持つのは弓だけで、矢がないということの意味深さ。そう、タミーノが日本人であり、そして彼が戦うのではなく「和」をもって陰陽(夜の世界と太陽の世界)をひとつにしようと(無意識に)意図することが明白なのだ。

オペラを超えたオペラを聴く。

モーツァルト:歌劇「魔笛」K.620
ニコライ・ゲッダ(タミーノ、テノール)
グンドゥラ・ヤノヴィッツ(パミーナ、ソプラノ)
ヴァルター・ベリー(パパゲーノ、バリトン)
ルチア・ポップ(夜の女王、ソプラノ)
ゴットロープ・フリック(ザラストロ、バス)
フランツ・クラス(弁者、バス)
エリーザベト・シュヴァルツコップ(第1の侍女、ソプラノ)
クリスタ・ルートヴィヒ(第2の侍女、メゾソプラノ)
マルガ・ヘフゲン(第3の侍女、アルト)
ルート=マルグレート・プッツ(パパゲーナ、ソプラノ)
ゲアハルト・ウンガー(モノスタトス&第1の僧侶、テノール)
カール・リーブル(第1の武者、テノール)
フランツ・クラス(第2の武者&第2の僧侶、バス)
アグネス・ギーベル(第1の童子、ソプラノ)
アナ・レノルズ(第2の童子、ソプラノ)
ジョゼフィーン・ヴィーズィ(第3の童子、ソプラノ)
オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団&合唱団(1964.3.24, 26, 31 & 4.1-4, 6-8, 10録音)

クレンペラー盤は、台詞をあえてカットしていることもあり、どちらかというと重厚な音楽運びでありながら実に音楽が流れる。この悠揚なテンポであるがゆえにモーツァルトの音楽が一層活き活きとし、最晩年のモーツァルトが意図したであろう、ベジャールの言うところの「宇宙の中での万物の基本要素の結合」を見事に描き出す。
興味深いのは、ルチア・ポップの夜の女王の、本来なら邪悪な性質を表わすような歌声でなければならないだろうに、何と美しく、そして何と邪心のない、真っ直ぐな歌唱であること。本当に素晴らしい。

それと、例えば、第2幕第18場のグンドゥラ・ヤノヴィッツによるパミーナの第17番アリア「ああ、私にはわかる」の悲哀に満ちた表現のあまりの美しさ。ここはクレンペラーの指揮の巧さも光るところ。

ああ、私にはわかるわ、消え失せてしまったことが、
愛する幸福が永久に消えてしまったことが!
よろこびの時よ、お前はけっしてもう、
私の胸には戻ってこない!
名作オペラブックス⑤モーツァルト「魔笛」(音楽之友社)P153

ここで、モーツァルトの手紙をひもといてみた。この人はやっぱりただの天才ではない。「魔笛」の奥深さもさることながら、手紙における言葉の選び方ひとつをとってみても只者ではない。すべてがわかっていたとしか思えない。
ちなみに、26歳の頃の手紙には次のようにある。

いまの人は何事についても、中庸のもの、真実なものは、けっして知りもしなければ尊重もしません。喝采を浴びるためには、辻馬車の御者でも真似して歌えるようなわかりやすいものか、さもなければ、良識ある人間には誰にも理解されないので、却ってみんなに喜ばれるような、そんなわかりにくいものを書かなくてはなりません。
(1782年12月28日付、レオポルト宛)
高橋英郎著「モーツァルトの手紙」(小学館)P327

ザルツブルク時代にはじまりウィーン時代絶頂期の頃まで、生きるために世間が求めるものを書かなければならなかった苦悩が随所に伺えるが、少なくとも貧困に喘いだ最晩年においては自身の内側から発露するものがすべてだったように思われる。
「魔笛」はその最高にして最大の創造物であるとあらためて思った次第。

「魔笛」は特別なオペラです。日常的な世界の人間のかわりにおとぎ話の中の人物たちが哲学的意味、宗教的シンボルをになって登場するのです。一見こども向きの分かりやすいおとぎ話ですが、同時に人類全体にむけられたメッセージでもあるのです。兄弟愛と幸福のメッセージであり、人生をいかに歩んで行くか、男女のカップルがどのように歩んでゆくべきかを示します。この作品は、歌われるオペラにバレエを加えることにより魔術的な次元、秘教的な世界をより効果的に表現できます。世界中のあらゆる宗教が身ぶりを重んじています。何かを表現するための身ぶり、そして手ぶり、これらはそのままバレエの表現の手段です。バレエの動きを加えることでオペラの構造と助け合い、作品の深い意味をより的確に表現できると考えたのです。
~モーリス・ベジャール

 

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