スティーヴ・ライヒの”Different Trains”ほかを聴いて思ふ

reich_different_trains_tehillim_eight_lines096人間というのは本当に愚かな生き物だ。同じことを幾度も繰り返し、決して懲りない。
僕自身も含め、おそらく真の意味で自らを省みることをしないからだろうか。あるいはその術を知らないからだろうか。

昨日はポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所がソ連軍に解放されてちょうど70年目の日だったそう。その記念式典では元収容者たちが現代の過激主義の拡散に対する警鐘をかく鳴らす。

米国在住の元収容者ロマン・ケントさん(85)は、「今も恐怖は私の心にある。ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)も、現代の虐殺やテロ事件も伝えなくてはならない。偏見と憎しみが広がったときに何が起きたかを、次世代に伝えなくてはならない」と涙ながらに語り、「傍観者になるな」と訴えた。
~2015年1月28日付朝日新聞夕刊

ナチスですら長い歴史の通過点、一コマに過ぎない。大枠で捉えれば、人類の歴史は戦争の歴史であり、それも宗教の対立が原因という「悲愴」なものだ。そう、すべて同じ源流であり、元を正せばひとつであったものを人々が分断したということ。それこそ人間が物事を二元で判断するのではなく中庸でみるということを真の意味で学ばねば世界は何も変わらないのだろうと思う。

スティーヴ・ライヒが「ホロスコープ」からインスパイアされ書き上げた”Different Trains”は、人類のまるで懲りない「反復」を揶揄するかのように音の断片が執拗に繰り返される刺激的な作品。

第1部「アメリカ―第2次大戦前」
「シカゴからニューヨークへ」
「最速の列車の一つで」
「ニューヨークからの最良の列車だ」
「ニューヨークからロサンゼルスへ」
「毎度違う列車で」
「シカゴからニューヨークへ」
「1939年に」

第2部「ヨーロッパ―第2次大戦中」
「1940年の」
「僕の誕生日に」
「ドイツ人が」
「オランダに分け入った」
「ドイツがハンガリーを侵攻したんだ」
「僕は2年生だった」
「背の高い、きれいな黒髪の先生が言った」
「もう何年も前に、黒い烏どもが私たちの国に攻め入って来たんだ」

まさに苦痛と恐怖の音化。耳について離れない。

ライヒ:
・ディッファレント・トレインズ(1988)
クロノス・カルテット
・テヒリーム(1981)
ラインベルト・デ・レーウ指揮シェーンベルク・アンサンブル+パーカッショングループ・ザ・ハーグ
・エイト・ラインズ(1979)
ブラッドリー・ラブマン指揮バング・オン・ア・カン

旧約聖書の「詩篇」に基づく“Tehillim”は祈りの極致であり、極限のダンス音楽だ。地を這う打楽器と、天から降りる女声の交わる一点に真実がある。パート4ラストの「ハレルヤ」に金縛り・・・。
続く、1979年の「八重奏曲」を改変して生み出された”Eight Lines”の、いつまでも終わることのない「繰り返し」が僕たちに喚起する恍惚感と絶頂にも似た快感は言葉に表せないもの。ライヒの音楽は、しつこいまでの反復に彩られるが、とはいえ決して単調でなく、徐々に変化を見せる官能的なものである。これこそ祭典。

もし、ユダヤ人である自分があの時代にヨーロッパにいたらどうなっていただろうか?おそらく強制収容所行きの、まったく違う列車に乗ることになっていたのではないか?
~スティーヴ・ライヒ(Wikipediaより)

 

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