リオネル・ロッグのブルックナー交響曲第8番(オルガン編曲版)を聴いて思ふ

bruckner_8_rogg0981891年、ブルックナーは学問的な最高の栄誉、名誉博士号を授かった。この祝賀の席上、彼が感動した声で一言だけ述べた言葉は、まさに彼らしさにあふれたものである。「私も、前にこの称号を受けた人々と同じようにお話しすることができますが、でももしここにオルガンがあれば、私は今私の感じていることをそのまま、皆さんにお伝えできるでしょうに」。
(A.ケルナー/横田みどり訳「オルガニストとしてのブルックナー」)
「音楽の手帖ブルックナー」(青土社)P173

音楽の天才は自身の思考を音楽によって具象化できるということ。それには自身が最も得意とする楽器を術にするのが最善。

名選手、名監督にあらずではないけれど・・・。
稀代のオルガニストであったアントン・ブルックナーだが、彼のオルガン曲は綺羅星の如くの交響曲群に比して少々弱い。オルガン的思考によって生み出された交響曲であるがゆえ、ではオルガン・アレンジで同等のエネルギーを放出するかと言えば残念ながらそうではなかった。墨絵の如くのオルガン編曲は、武骨でありながら色彩豊かなオーケストレーションを超えることはない。

現代の偉大なオルガニスト達の演奏会プログラムの中に、アントン・ブルックナーの名前をみいだすことは全くない。とはいえ、ブルックナー自身は、彼の生きた時代の最もすぐれたオルガンの巨匠の一人であった。この一見矛盾した事情については、どうしてオルガン曲を作曲しないのかという問いに対する「人は演奏すると同じようには作曲できないものです。」というブルックナー自身の答えが、最もよい説明となるであろう。1885年のオランダへの手紙の中でも、彼は「オルガン曲は全く作曲しませんでした。」と書き送っている。
(A.ケルナー/横田みどり訳「オルガニストとしてのブルックナー」)
~同上書P168

リオネル・ロッグがオルガン編曲したハ短調の交響曲。勇敢な試みだと思う。確かにいぶし銀の、そして崇高な祈りに満ちる楽の音が所狭しと響くのは壮観だ。しかしながら、この単色のブルックナーは、ブルックナー本来の長所を完全にスポイルしている。

ブルックナー:交響曲第8番ハ短調(1890年版)(リオネル・ロッグによるオルガン編曲)
リオネル・ロッグ(オルガン)

ブルックナーの思考がオルガンを元にしていたことは明らか。ブルックナーのすごいところは、その音楽をオルガンに留めなかった点、強烈なオーケストレーションを伴っていくつもの、そして同種の交響曲を生涯追究し続けた点だ。

強いて言うなら、この録音の聴きどころは、静謐な第3楽章アダージョにあろう。めくるめく悠久の音楽が、宇宙と合一するかのように一層の永遠性を保つという錯覚に襲われるほど。ただし、この編曲版が原曲の素晴らしさを一層際立たせる結果になったことは間違いない。

人は演奏すると同じように作曲できないものです。

 

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1 COMMENT

畑山千恵子

ブルックナーは優れたオルガニストでありながら、オルガン作品をあまり残しませんでした。もし、ブルックナーがオルガン作品をたくさん残していたら、オルガニストたちの貴重なレパートリーとして定着したかもしれません。バッハともども、オルガニストたちは大喜びしたかもしれません。

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