カラヤン指揮ウィーン・フィルのドヴォルザーク交響曲第8番を聴いて思ふ

dvorak_brahms_karajan_vpo101先入見から、長い間カラヤンの録音を避けてきた。
とはいえ、僕が初めて聴いた管弦楽作品はカラヤン&フィルハーモニア管弦楽団のベートーヴェンの第5交響曲とドヴォルザークの「新世界」交響曲という、当時としては片面詰めこみの、東芝エンジェルアナログ廉価盤。面白いものだ。
フィルハーモニア時代のカラヤンの録音は、そのいずれもが音楽性満点で、オーケストラの技術的にも申し分なく、ある意味彼の指揮者人生の頂点を形成した代物たちだと僕は思う。

EMIのウォルター・レッグが、戦後にロンドンで新設されたフィルハーモニア管弦楽団の首席指揮者の地位を提供したとき、カラヤンは一瞬もためらわずに引き受けた。彼のことをまったく知らない国に活動の場が与えられるだけではない。レッグが選りすぐったオーケストラ(おそらくはロンドン史上最高のオーケストラ)の実権が与えられ、さらにオーケストラ曲とオペラを望むだけ録音できる、ほとんど無限の機会が与えられたのだ。50年代初頭のLPの登場はその録音機会を拡大し、続く数年間にカラヤンは、最上級の録音をいくつかつくった。
ジョン・カルショー著/山崎浩太郎訳「レコードはまっすぐに―あるプロデューサーの回想」(学研)P271

カラヤンの天才は、機をとらえる巧さにある。音楽的にも1950年代や60年代前半のものはこの「機をとらえる巧妙さ」から生まれ得たもののように思う。
例えば1960年代の、ウィーン・フィルとのデッカヘの録音群なども音楽が実に生き生きとしており、真に素晴らしい。

結束を強めるためには、デッカが何か大きな仕掛けをすることが必要だった。中でもいちばん効果的なのは、ウィーン・フィルも含めた全員が不可能だと考えていたこと、すなわちヘルベルト・フォン・カラヤンを獲得することだった。
カラヤンは、ヒトラーの死によって生じた、指導者を渇望するドイツ人の魂の空白を、無意識のうちに埋めていた。彼のしぐさは型にはまっていた。気まぐれで無慈悲で、無遠慮だった。並はずれて聡明で、見栄えをよくすることに神経を注いでいた。言葉を変えれば、洗練された、あるいはわざとらしいオーラを放っていて、胸がむかつくほどだった。
~同上書P270

見栄えをよくすることに心血を注いだカラヤンの演奏が、「悪かろう」はずがない。その上、カルショーをプロデューサーに迎えた録音たちは、カルショーの理解も手伝っていかにもカラヤンらしい「洗練された、しかしカルショー自身が明言するようにわざとらしいオーラを放った」最高のものとして君臨し、50年を経た今もまったく色褪せない。ある意味「完璧な」録音。

・ドヴォルザーク:交響曲第8番ト長調作品88(1961.10録音)
・ブラームス:交響曲第3番ヘ長調作品90(1960.10録音)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

第1楽章アレグロ・コン・ブリオから終楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポまで、どの瞬間においてもドヴォルザークの旋律は美しい。特に、チェコの民族的要素も十分に示される第8交響曲は、彼の最高傑作の一つだと思うが、そこにカラヤンとカルショーの魔法が掛け合わされるのだから奇蹟が起こるのも頷ける。
滑らかな弦楽器の響き、あるいはうねるような金管の咆哮など、どれをとっても、実に整理整頓された模範的なもので、音楽を知るという意味ではもちろんのこと、音楽を堪能するという意味においても最右翼。

ちなみに、ブラームスの交響曲第3番も洗練の極み。しかし、このあまりに都会的な第3番は真のブラームス党には反対派が多いかも。なぜなら、ブラームスの心の内奥までを表現し得ているかと言えば「否」、「見栄え」においては随一ゆえ。たまにはこういうブラームスも良かろう。

 

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