エリック・ハイドシェックのベートーヴェン「6つのバガテル」作品126を聴いて思ふ

haydn_beethoven_tania_eric_heidsieck102本人が「つまらないもの」というものほど高貴で優れたものはないのかも。
ベートーヴェンが、創作時にふと思いついた旋律のストックをひとつの形にして世に問うたのが「バガテル(ちょっとしたもの、つまらないもの)」である。
ここは、いわばインスピレーションの宝庫。巨大な交響曲第9番や荘厳ミサ曲とほぼ同時期に発表された作品126の「6つのバガテル」は、楽聖の人生がすべて詰まった透明な凝縮美の世界。魂の奥深い叫びが聴こえるようだ。

第1曲アンダンテ・コン・モートの静かな祈りに、「ハンマークラヴィーア・ソナタ」のアダージョ楽章に通じる深い慟哭を聴く。第2曲アレグロの颯爽とした生命力に漲る音楽は、ベートーヴェンの未来への希望だ。そして、第3曲アンダンテに、モーツァルトの可憐さに近い、晩年のベートーヴェンの「遊び心」を思う。
さらに、第4曲プレストの、内燃する暗い「パッション」と途中で挿入される長調の牧歌的旋律の対比は、壮年期の第5交響曲と第6交響曲という双生児的共鳴を思わせる。ここにはベートーヴェンに内在する2つの顔が表現される。第5曲クワジ・アレグレットの、第4曲途中のエピソードにも通ずる哀しげな調べに感涙。締め括りの第6曲プレストの、天に召されるようなあまりの静謐さに、最後のソナタ作品111の第2楽章アリエッタの研ぎ澄まされた純白の精神を超える神の響きを聴く。

一昨年、東京文化会館で聴いた実演には少し翳りがあった。しかし、2009年に録音されたこの演奏の、人の介在を感じさせない、純度の高い音楽の結晶は、エリック・ハイドシェックの独壇場ではないかと思う。

・ハイドン:ピアノ・ソナタ第59番変ホ長調Hob.XVI:49 (=C.ランドン59)
・ベートーヴェン:6つのバガテル作品126
・シューベルト:4手のための大ロンドイ長調作品107
・フォーレ:夜想曲第11番嬰へ短調作品104
・フォーレ:夜想曲第13番ロ短調作品119
・フォーレ:夜想曲第10番ホ短調作品99
・ハイドシェック:ピアノ独奏のための5つのプレリュード
エリック・ハイドシェック(ピアノ)
ターニャ・ハイドシェック(ピアノ)

ハイドシェックが得意とするガブリエル・フォーレの、夢見るような幻想。まるで、今宵の雲がかかった大きな満月を祝福するかのような喜びに満ちた作品104に心動かされる。
作品119の不安げな音調に、聴覚を失った作曲者の心の声を思う。
そして、ハイドシェックの魂とフォーレの魂が同調する作品99。ここにはもはや「祈り」しかない。

ちなみに、愛妻ターニャとの連弾曲、シューベルトの作品107に見る過去への憧憬は、2人のピアニストの心がひとつにつながった名演奏。エリックは心からターニャを愛しているんだ。

 

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2 COMMENTS

畑山千恵子

私は2008年にも聴きました。その時はサントリー・ホールで、来日40年記念でした。1998年からのベートーヴェン・ツィクルスが未完に終わったことは残念でした。それを補って余りあるできでしたね。

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岡本 浩和

>畑山千恵子様
2008年のサントリーは僕も聴きましたが、良かったと記憶しております。
とはいえ、ハイドシェックはやっぱり90年代がベストだったと思います。

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