ムラヴィンスキーの1977年来日ライブ「シベリウス&チャイコフスキー」を聴いて思ふ

sibelius_7_tchaikovsky_mravinsky_1977123一見研ぎ澄まされた冷徹な表現の奥に垣間見える愛情と奉仕の精神。
自然を愛するこの人の音楽は、時代を超え、まるでたった今眼前で繰り広げられているかのような錯覚を起こすほどの息吹に満ちる。

神々の宿る、ムラヴィンスキーのシベリウス。1977年の来日公演におけるNHKホールでの演奏会の、おそらく固唾を飲んで演奏に聴き入る聴衆の緊張感と、オーケストラの一期一会的全開の超絶演奏に感動。
前半の9つのパートに分割された弦楽器群によって歌われる緩徐主題の、あまりの静けさと懐かしさに心が動く。そして、滔々と流れ行く音楽の先に現れるトロンボーンの主題の、いかにもレニングラード・フィルという咆哮にただひたすら生への感謝の念を思わずにいられない。しかし一方では、ヴィヴァーチェのパートにおける冷たい愉悦に、生の厳しさすら感じさせるムラヴィンスキーの魔法。
ウン・ポケッティシモ・メーノ・アダージョにおける木管のまろやかな妙味に感心。一瞬現れるホルンによる緩徐主題の壮絶さとの対比が見事。そして、続くヴィヴァーチッシモでの恐怖すら覚える弦楽器の上向、下向音形に痺れ、その上に響く金管の主題に恐れ戦く。
アレグロ・モデラートにおける、何という弦の響きの優しさ!

なるほど、ムラヴィンスキーを聴いて、スケルツォ的な細かい音形の部分が、日常僕たちが目にすることのできる自然界の現象の音化であり、それらを包み込む森羅万象、大宇宙の大らかさを表わすのがアダージョのパートであり、緩徐主題なんだと思った。
そして最後の、上り詰めてゆく高弦の恍惚の響きはまさに魂の昇天のよう。

シベリウス:
・交響曲第7番ハ長調作品105(1977.10.19Live)
チャイコフスキー:
・バレエ音楽「くるみ割り人形」作品71~抜粋(1977.10.12Live)
―第6曲「客の退場、夜、ネズミの出現」
―第7曲「くるみ割り人形とネズミの戦闘、くるみ割りの勝利と王子への変身」
―第8曲「冬の森」
―第9曲「雪片のワルツ」
―第14曲「パ・ド・ドゥ」
―第15曲「終曲のワルツ」
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

およそバレエ音楽と思わせない、絶対音楽的「くるみ割り人形」抜粋。作曲者自身が編んだ組曲版とはまったく異なる選曲にムラヴィンスキーの天才を見る。
第6曲の弦のうねりと金管による重戦車の如くの爆発にレニングラード・フィルの真髄を思う。当日上野の文化会館で直接この音を耳にした聴衆は気絶したのでは?続く第7曲の一糸乱れぬ怒涛のアンサンブルに卒倒。第8曲「冬の森」こそ、冬のロシアの暗澹たる自然の中にあってわずかに光る一条の太陽への感謝を思わずにはいられない、美しい開放的な主題の歌わせ方に拍手。ここでも打楽器が炸裂し、金管が吼える。
そして何といってもムラヴィンスキー版「くるみ割り」の真骨頂は後半の3曲。
軽快なテンポで繰り広げられる第9曲「雪片のワルツ」の実に可憐で優雅なこと!
第14曲「パ・ド・ドゥ」は、おそらくこの有名な曲の演奏の中でも最美のものではなかろうか。主題を奏する、流れるようなチェロの旋律の憧憬に思わず涙。

灰色、太陽は照っているのに風は氷のよう。
雪は溶けようとやっきになって、道をどろんこにする。
腐葉と雪が薄墨色の層を織りなす。
森では雪の裂け目からチェルニカ(ブルーベリー)の茂みが顔を出し
樹根に黒土が円い輪をえがく。
こんなうす汚れたたたずまいも
都市へ帰るときまった時
突然天国かのように美しく見えてくる。
(詩:ムラヴィンスキー/訳詞:河島みどり)

 

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