シノーポリ指揮ウィーン・フィルのシューマン交響曲第2番ほかを聴いて思ふ

schumann_mendelssohn_sinopoli125春の気配がこつこつと聞こえてきそうな陽気。
ロベルト・シューマンの交響曲第2番は、彼が心神喪失の最悪の状態の時に書かれた分裂的作品だと評されることが多いが、これほどに精神の高揚、魂の慟哭を直接的に吐露したものは他になく、しかも外面的にも透明感のあるもので、その美しさは彼の音楽の中でも随一だと僕はずっと思ってきた。
最初に聴いたバーンスタインの、晩年の粘着質溢れる浪漫的な解釈に惚れながら、一層圧倒され、度肝を抜かれたのが、シノーポリ指揮ウィーン・フィル盤。
まさに僕にとってのロベルト・シューマン開眼の超絶名演奏であったし、今もその想いは変わらない。

第1楽章の、緻密なアンサンブルと、ウィーン・フィルらしい柔らかい音色が、精神耗弱とは思えない作曲者の内側にある健全な「勇気」を表わすよう。ここはおそらく、脳外科医でもあったシノーポリの見事な解釈による絶妙な音楽的表現がなされているのだろうと思う。確信に満ちた終結の和音はシノーポリの余裕と天才。
第2楽章スケルツォ主部の細かい動きの勢いは、病んだロベルトの性急な心情告白なのだろうか。第1トリオの滑稽で愉快な音調が、まるでその主題を揶揄するかの如く。主部の再現を経て第2トリオの静けさは、束の間の安寧。主部の再再現のコーダの激しさに卒倒。

続く第3楽章アダージョ・エスプレッシーヴォこそ、シノーポリの真骨頂。これほど青白い不健康さと、それでいて昇天するかのような崇高さ、さらに天国的愉悦に溢れる音楽はない。冒頭、弦楽器が泣き、うねる。その上に登場するオーボエの切ない旋律にロベルト・シューマンの孤独を思う。そう、心を閉ざした青年は不安に戦くのである。
そして、終楽章アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェの、メンデルスゾーンの「イタリア」交響曲の主題を思わせる躍動的な旋律の昂揚と歓喜に躁状態のロベルトの不安定さを見るものの、ここには妻クララへの大いなる愛が投影されているかのよう。それこそが救い。ここでもシノーポリの棒が光る。

ジュゼッペ・シノーポリの芸術~管弦楽作品集
・メンデルスゾーン:交響曲第4番イ長調作品90「イタリア」
フィルハーモニア管弦楽団(1983.6録音)
・シューマン:交響曲第2番ハ長調作品61
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1983.6録音)

1980年代初頭のシノーポリは飛ぶ鳥を落とす勢い。
メンデルスゾーンの「イタリア」交響曲においても、沈着冷静でロジカルな解釈多々というイメージを超え、実に人間的な解放感と前進性に満ちる音楽が鳴り響く。
第1楽章アレグロ・ヴィヴァーチェの主題再現の際の絶妙なテンポ感に首肯。
第2楽章アンダンテ・コン・モートの憂愁に、メンデルスゾーンの内側にある「翳の部分」を垣間見、その表情をうまく再現するシノーポリの腕に脱帽。
一転、第3楽章コン・モート・モデラートの差し込む陽光の眩しさに感動。何という自然さ。
さらに、終楽章サルタレロの、醒めた熱狂にシノーポリのシノーポリらしさを発見。しかし、それでこそメンデルスゾーンの内なる「翳」が見えるのである。
今さらながらシノーポリの早過ぎる死が残念でならない。

 

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