クリップス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウのモーツァルトを聴いて思ふ

mozart_symphonies_krips126自然体で在ることがいかに大切か、脱力で在ることがいかに重要か、日々実感する。
無理は禁物。少年の、幼年のあの頃の無邪気さを想う。
年を経るにつれ人は垢にまみれる。知識は時に障害になり、枠になる。いつ何時も「いまここ」という精神を忘れるべからず。

そんな日はアマデウス。10代の神童が、世間の期待に応えながらも、そしてパトロンである貴族の要望に従順になりながらも生み出した作品の神々しさに感無量。
16歳のヴォルフガングの手紙は心底無垢でウィットに富む。

お腹がすいて、喉が渇いて、眠くって、だるいけど、でも元気です。ハルで修道院を見物して、そこでオルガンを弾きました。お姉さん、例の約束、守ってくれたでしょうね。(この前の日曜日)D・N(家を訪問)してくれたことと思います。
1772年10月28日付ナンネル宛追伸
高橋英郎著「モーツァルトの手紙」(小学館)P113

ようごきげん。そちらの書いて至急ぼくにニュースください。郵便のドイツはまだ到着しません。
変わらぬいつもぼくは
モーツァルト・ヴォルフガング
ミラノ 日12月11年2771
1772年11月21日付ナンネル宛追伸
~同上書P116

倒置、切り貼りを駆使しての手紙は冗談という態を借りてのヴォルフガングの本気。凡人の域をはるかに越える天才。

モーツァルト:
・交響曲第21番イ長調K.134(1973.9録音)
・交響曲第22番ハ長調K.162(1973.6録音)
・交響曲第23番ニ長調K.181(162b)(1973.6録音)
・交響曲第24番変ロ長調K.182(173dA)(1973.9録音)
・交響曲第25番ト短調K.183(173dB)(1973.6録音)
ヨーゼフ・クリップス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

モーツァルトの筆致のすごさは、外からの委嘱であれ、あくまで内なる創造力を全開しての傑作を創造するところ。特に、その音楽の隅から隅まで当時のイタリア旅行から得た様々な要素に溢れている点。
風光明媚さながら、時にふとした暗闇の明滅する、まさに光と翳。イ長調の交響曲もハ長調のそれも、はたまたニ長調のそれも少年の少年らしい魂が弾ける。
変ロ長調交響曲第1楽章アレグロ・スピリトーソに、後年のヴォルフガングの堂々たる自信を垣間見る。それでいて内なる優しさに満ちる何という素敵な音楽。

とはいえ、この雅な響きはヨーゼフ・クリップスの為すところ。
その意味で、これほど明朗な小ト短調交響曲は聴いたことがないかも。ここに在るのは慟哭の悪魔的モーツァルトではなく愉悦の、そして冗談を交わす彼。

 

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


日記・雑談(50歳代) ブログランキングへ


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む