タカーチ弦楽四重奏団のバルトークを聴いて思ふ

bartok_quartet_takacs138人間が、生まれ育った環境から自ずと得るアイデンティティ(自我)というのはある意味生涯不変である。それはきっと善悪を超え、人生のあらゆる局面を左右する。

バルトークは形式を破壊してゆく。そして、あくまで自身の「方法」にのっとって、革新的作品を常に世に送り出した。
弦楽四重奏曲第3番の第1部の、来るべきヨーロッパの戦火を予言するかのような何とも不穏な空気感に戦慄を覚える。アタッカで続く第2部アレグロの、チェロとヴァイリンによる勇壮な主題と静けさに満ちるフレーズの見事な対比にバルトークの天才を思う。そして、「第1部の再現」とされるが、楽想のいくつかが借りられるもののまったく新しいパートだと言って良い第3部の斬新さ。
特にコーダは、タカーチ弦楽四重奏団の巧さが光る。ここには沸々と蠢く「春」の陽気が在る。何という明朗で自信に満ちた音楽であることか。

ベラ・バルトークの音楽の根底に流れるもの。ひとつ愛国心。

だれしも、成熟した人間は自分の目標を定め、あらゆる言動をこの目標に向けねばなりません。僕自身は、全人生をあらゆる点において、常に、断固として、ある一つの目的のために尽くすつもりです。―ハンガリーのため、祖国ハンガリーのために。僕はすでにできる範囲で、この願いのためにささやかではあれいくらかのことをしてきたつもりです。
(1903年9月8日付、母宛書簡)
伊藤信弘著「バルトーク―民謡を『発見』した辺境の作曲家」(中公新書)P14

若くして「ある一つの目的のために尽くす」と言い切れるその覚悟こそが彼を他の追随を許さない大作曲家とならしめた大きな理由なのだろう。ここには音楽によって祖国を守る、そして、祖国の音楽を守るという両義があるのだろうが、彼の人生を考えた時、志半ばで亡くなったものの、十分その目的は達せられたのではないかと僕は思う。

ベラ・バルトークの音楽の根底に流れるもの。ふたつ「農民音楽」、「民謡」に内在する自然の摂理。それを彼は絶対的芸術的完成度と表現する。

農民音楽は、言葉の厳密な意味において、自然の現象と見なされなくてはならない。農民音楽が自らを明らかにするその形式は、まったく学識のない共同社会の本能的な「変貌する力」に負っている・・・。それに対応して、農民音楽は個々の部分において、小形式における絶対的な芸術的完成度を持っている。それは、言うならば、もっとも巨大な規模の傑作たる音楽作品の完全性にも匹敵するものだろう。
(バルトーク「民謡とわれわれの時代の芸術音楽の発展との関連」)
~ケネス・チャルマース/寺西基之訳ライナーノーツ

思考の産物でない音楽作品はほとんど「本能」なのだと。バルトークの作品に、聴けば聴くほどパルスの同調が感じられるのは生み出されたものが「本能」によるからなのだろうか。

バルトーク:弦楽四重奏曲全集
・弦楽四重奏曲第1番作品7 (Sz40)(1908-09)
・弦楽四重奏曲第3番 (Sz85)(1927)
・弦楽四重奏曲第5番 (Sz102)(1934)
タカーチ弦楽四重奏団
エドワード・ドゥシンベル(第1ヴァイオリン)
カーロイ・シュランツ(第2ヴァイオリン)
ロジャー・タッピング(ヴィオラ)
アンドラーシュ・フェイェール(チェロ)(1996.8.25-30録音)

第5番第2楽章アダージョ・モルトに聴こえる静謐で瞑想的な調べは、人間バルトークの内側に在る「優しさ」と「愛」の象徴。ここでもタカーチの見事なアンサンブルと表現力が群を抜く。そして、アーチの中心となる「ブルガリア風に」と指定された第3楽章スケルツォにおける、中間部のヴァイオリンのオスティナートの狂気に作曲者の世界の不条理への怒りを垣間見るよう。

バルトークの音楽は自然に根ざしている分、実に深い。

 

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