ゲルギエフ指揮ウィーン・フィルのベルリオーズ「幻想交響曲」を聴いて思ふ

berlioz_fantastique_gergiev_vpo224ワレリー・ゲルギエフは才能を無駄に吐き出し過ぎているきらいがあるが、実はひとつひとつを(ある意味出し惜しみして)丁寧に研究し、それを実際の音にしてみたときには他にはない最高の名演奏を生み出すことのできる稀代の指揮者なのだと僕は思う。
何より若き日にエフゲニー・ムラヴィンスキーの傍らで薫陶を受けたことが大きい。確かに音楽の表層は正反対の師弟であるが、内側に在るパッションの質は相似形で、これほど心を揺さぶる演奏は稀にみるほど。

例えばベルリオーズの「幻想交響曲」。いかにもゲルギエフ節ともいうべきテンポの伸縮、あるいは音の移ろいの見事さに思わず快哉を叫ばずにはいられない。特に、第3楽章「野辺の風景」の冒頭と終結における地鳴りのような打楽器の上に重なるコーラングレの儚い響きの妙。ここは当然ウィーン・フィルの奏者の巧さであるが、それにしても悲しい。
そして、第4楽章「断頭台への行進」におけるあまりに醒めた恐怖。今まさにギロチンにかけられようとするそのシーンをゲルギエフは実に客観的に描く。あくまで無関係者を装いつつも最後の、全オーケストラの咆哮によって下される一撃に空想の冷血さを慄く。
さらに、終楽章「魔女の夜宴の夢」の、「怒りの日」の旋律の直前の加速の見事さ。遠くで打ち鳴らされる鐘の崇高さ!音楽は時間とともにみるみる膨張し、右に左に、そして上に下に活発に動く。このあたりのコントロールもゲルギエフの真骨頂。

ベルリオーズ:
・幻想交響曲作品14
・抒情的情景「クレオパトラの死」
オルガ・ボロディナ(メゾソプラノ)
ワレリー・ゲルギエフ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(2003.5.12-20録音)

誇大妄想癖作曲家の誇大妄想的偉大なる作品のひとつ「クレオパトラの死」。このリアリスティックな調子の音楽には苦悩があり、同時に楽観的な天真爛漫もある。
「瞑想:偉大なるファラオよ、高貴なるランドよ」におけるボロディナの劇的な歌に感銘を受けるも、伴奏を受け持つゲルギエフ&ウィーン・フィルの「心」に一層のシンパシーを覚える。なるほど、ここには慈愛がある。
ベルリオーズ自身による「音楽のグロテスク」なるエッセーより。

音楽というのはさまざまな芸術のなかでも、特におかしな情熱家やとんでもない野心家を生み出す芸術に違いない。その彼らは、かなり特徴的な偏執狂者とも言えるだろう。療養所に監禁されている病人たちのなかに、自分のことをネプチューンかジュピターだと思い込んでいる人がいるが、彼らが偏執狂であることは明らかだ。しかし、実は他にも、自由を楽しんでいる偏執狂者たちがたくさんいる。彼らの両親たちは骨相学的な治療に頼ろうとは思わなかったが、彼らの狂気は明らかだ。音楽が彼らを狂わせたのだ。
エクトル・ベルリオーズ著/森佳子訳「音楽のグロテスク」(青弓社)P26

一般人に比して空間と時間とが膨張していたがゆえの大袈裟さ。それはワーグナーにも通じるが、時代の枠を一層超えたところにベルリオーズの天才がある。
ちなみに、リハーサルをきちんとこなし、丁寧に音楽作りをしたときのゲルギエフの再創造は現代の他の誰をも凌駕する。素晴らしい。

 

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