ブレンデルのムソルグスキー「展覧会の絵」(1985.7録音)を聴いて思ふ

moussorgsky_liszt_brendel236恣意性のない、自然体であることがその演奏の特長であることがあらためて腑に落ちたとき、この人の弾くムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」の意味、意義が突如としてわかった。ブレンデルのものは、民衆(土俗性)とは無縁の、いかにも「洗練された革新」を根底に秘めるある意味唯一無二の演奏であると断言する。
何という純粋無垢。一切の踏み外しなく、むしろしらけるほどに優等生的で、悪く言えば遊びのない型通りの解釈。しかし、そこにもムソルグスキーならではの剥き出しの魂は確かに在る。

私は本当に民衆を創造したいのです~中略~風俗画の人たちはもうずっと昔から絵の具を交ぜ合せて自由に絵をかいているのに~中略~音楽家ときたらせいぜい和声法に凝ってみるとか、特別な技巧を売り物にするくらいです。
ユーラシア・ブックレットNo.115一柳富美子著「ムソルグスキー『展覧会の絵』の真実」(東洋書店)P41

1873年6月のムソルグスキーのレーピンに宛てた手紙の一節である。
当時の凡庸な、というか通俗的保守的な音楽に、作曲家が嫌気を覚え、常に「新しいもの」を創造しようと躍起になっていただろうことが想像でき、面白い。その上、ムソルグスキーはダーウィンの信奉者だったらしい。ゴレニシチェフ=クトゥーゾフに宛てた手紙の興味深さ。

人間は成長しています。人間社会も、成長している人間の要求と発展しつつある人間社会が一致してこそ、真の調和が得られるのです。
芸術上の真実は一定の姿形なんかで表せはしない。人生は変化に富んで多様だ。時には気紛れでさえある。でも、なぜ芸術家たちは一つ所に留まりたがるんだろう。人生そのものが変化を要求しているのに。
~同上書P50

最後のフレーズに天才のすべてを垣間見る。万物が無常であることをこの人は芯からわかっていたということ。

ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」(1985.7録音)
リスト:
・王の御旗(1986.12録音)
・スルスム・コルダ(心を高めよ)~「巡礼の年第3年」より(1986.12録音)
・夕べの鐘~「クリスマス・ツリー」より(1986.12録音)
・祈り~「詩的で宗教的な調べ」より(1986.12録音)
アルフレート・ブレンデル(ピアノ)

本当は少しくらい色をつけても良いのではと思うほど無色透明な「展覧会の絵」。終曲「キエフの大門」すらもブレンデルは、実にあっさりと、かなり大人しめかつ丁寧に音楽を再生する。あまりに優しく、それでいて極めて音楽的なのだから、立派なものだ。なるほど、今まで僕はこの人を随分軽視していたことになる。

フランツ・リストの各曲も大変に美しい。
仰々しいリストの作品を決して好まない僕にもブレンデルの透明清澄な解釈は、普遍の祈りに満ちていて感動的。その字の通り「祈り」(詩的で宗教的な調べ)の崇高な調べに時を忘れて静かに佇むほど。

「神は信じておられるのですか?」スタヴローギンがふいに言った。
「信じております!」
「もし信仰があれば、山に向かって動けと言えば、山は動くと言われていますね・・・いや、ばかげたことを言ってすみません。でも、やはりぼくは聞いてみたいのですね、あなたは山を動かせますか、動かせませんか?」
「神のお言いつけがあれば、動かすでしょう」チホンは控えめな小声でこう言うと、また目を伏せはじめた。
「でも、それじゃ、神が自分で動かすのと同じじゃないですか。そうじゃなくって、あなたが、あなたがですよ、神に対するあなたの信仰のつぐないとして」
「動かせぬかもしれません」
ドストエフスキー著/江川卓訳「悪霊・下」(新潮文庫)P654-655

 

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