デュ・プレ&バレンボイムのブラームス/チェロ・ソナタ(1968.4録音)を聴いて思ふ

brahms_dupre_barenboim242本邦初の本格的なチェロ演奏法の講座は「西洋音楽講座」第4巻から第6巻まで掲載された平井保三氏の「ヴィオロン・セロ科」らしい。その第5巻において宮沢賢治がおそらく心から共感したであろう箇所は次の通りだと横田庄一郎氏は「チェロと宮沢賢治―ゴーシュ余聞」で指摘する。

総て楽器を弾かうとします時に、物理的で機械的な技術を終得することは第二に必要なことであります。第一に最も根本的に必要な技術(?)である、音楽的な意像(Idee)は練習、終得すると云ふよりも、寧ろ天賦の優劣によることが多いのでありますが、第二の技術は全く我々の練習―絶間のない努力によつてのみ終得し得られる貴いものであります。
横田庄一郎著「チェロと宮沢賢治―ゴーシュ余聞」(音楽之友社)P31

なるほど、音楽的な意像は天賦によるのだと。納得である。
そんな天賦がありながら、若くして難病に罹り、それがもとで引退を余儀なくされ、闘病の挙句亡くなったジャクリーヌ・デュ・プレ。この人のチェロはまさに奇蹟だと思う。

夫ダニエル・バレンボイムとの壮絶極まりない1968年のブラームス。その演奏は、デュ・プレの色気のある、まるで生きもののようなチェロの響きに満ち、聴く者を圧倒する。
とはいえ、当時の彼らのプライベートはどうだったかというと、お互いの性質嗜好の違いが露呈し、すれ違いも多かったのだと。
姉、ヒラリーの回想。

音楽の面では、ふたりはお互いを引き立てあうパーフェクトなコンビだった。ふたりはテクニック上の問題はなく、ジャッキーの抑制のきかないほとばしる情感は、ダニーがうまく応えてコントロールしていた。ふたりの個性的な演奏には、聴いた人は忘れることのできない生気溢れる自発性があった。
ヒラリー・デュ・プレ/ピアス・デュ・プレ著高月園子訳「風のジャクリーヌ―ある真実の物語」(ショパン)P287

じゃじゃ馬ジャッキーを上手に操るのは大変だっただろう。それにしてもバレンボイムの伴奏の巧さ!!それこそジャッキーの最後の輝きを見事にサポートした天才。

ブラームス:
・チェロ・ソナタ第1番ホ短調作品38(1968.4録音)
・チェロ・ソナタ第2番ヘ長調作品99(1968.4録音)
ブルッフ:
・コル・ニドライ作品47(1968.6録音)
ジャクリーヌ・デュ・プレ(チェロ)
ダニエル・バレンボイム(ピアノ)
ダニエル・バレンボイム指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団

ブラームスの第1番ホ短調第1楽章第1主題の深い哀しみ!そして、第2主題冒頭、バレンボイムの伴奏の哀愁。いかに二人の性格が違おうとも冒頭からこれほどまでの音楽的「同期」を見せつけられたら堪らない。
あるいは、第2番ヘ長調の、疾風怒濤のような、まさに感情の起伏を伴った音楽にデュ・プレの類い稀なる才能を発見する。その神々しさ!
そして、「コル・ニドライ」の後半に出る、アイザック・ネイサンの作曲による「ああ、彼らのために泣け」におけるチェロの旋律の哀感!こんなにも深く、しかも愛らしい音が他にあろうか。

「ゴーシュ君、よかったぞお。あんな曲だけれどもこゝではみんなかなり本気になって聞いてたぞ。1週間か10日の間にずゐぶん仕上げたなあ。10日前とくらべたらまるで赤ん坊と兵隊だ。やらうと思へばいつでもやれたんぢゃないか、君。」
仲間もみんな立って来て「よかったぜ」とゴーシュに云ひました。
「いや、からだが丈夫だからこんなこともできるよ。普通の人なら死んでしまふからな。」楽長が向ふで云ってゐました。
その晩遅くゴーシュは自分のうちへ帰って来ました。
そしてまた水をがぶがぶ呑みました。それから窓をあけていつかくゎくこうの飛んで行ったと思った遠くのそらをながめながら
「あゝくゎくこう。あのときはすまなかったなあ。おれは怒ったんぢゃなかったんだ。」と云いました。
宮沢賢治全集7(ちくま文庫)P383-384

謙虚さと慈悲深さ。ゴーシュが目覚めたその想いに似た慈しみはブラームスの音楽のうちにも在る。ちなみに、賢治は母のこんな子守歌を聴いて育ったという。

ひとというものは、ひとのために、何かしてあげるために生まれてきたのス。

嗚呼、感無量。

 

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