ウゴルスキのムソルグスキー組曲「展覧会の絵」(1991録音)を聴いて思ふ

mussorgsky_exhibition_abbado_ugorski294音楽は真に生き物だ。
冒頭「プロムナード」の間の絶妙さ。たったひとつの楽器によって生み出されているとは思えない色彩感。ムソルグスキーの天才が息づき、それを再現するウゴルスキの才能がほとばしる。
第1曲「小人」におけるリズム感、そしてテンポの動きの見事さ。続く、囁きかける「プロムナード」の不思議な哀しみの発露。第2曲「古城」は、遠い過去を回顧するごとくのアルバム・ブレッター。音によって情景をこれほど巧みに表す様はラヴェル編曲管弦楽版に優るとも劣らぬ表現力。静謐な音調が聴く者の心を揺さぶり、最後の2つの和音が魂を刺激する。
さらに、「プロムナード」を挟んで一転、第3曲「テュイルリーの庭」の喧騒に愉悦を覚える。

ピアニストのタッチの生み出す微妙な音の変化を詳細に捉えていくと、この作品の奥深さが再認識できる。フォルテで始まる第4曲「ブイドロ」冒頭は、ムソルグスキーの思惑通り、聴く者は第三者でなく、あくまで当事者として民衆の苦悩を背負う。
それにしてもこの後の「プロムナード」も第5曲「殻をつけたひなの踊り」も、楽器の音を超えたあまりに美しい響きであり、このあたりのウゴルスキのピアノ・コントロールの力量に舌を巻く。第6曲「サミュエル・ゴールデンベルクとシュミュイレ」は、高圧的なゴールデンベルクとゴマすりシュミュイレが仲良く一体化する平和の歌。少しの間を保持しての「プロムナード」を介して、第7曲「リモージュの市場」は、ふとした遊び。

何より白眉は第8曲「カタコンブ―ローマ時代の墓(死せる言葉による死者への呼びかけ)」以降の音楽を超えた感情の物語。全人類の悩みを解放する如くの宇宙的カタルシス。
「カタコンブ」ではフォルテが激震し、ピアノは静かに撫でるように奏でられる。そして、その音の移ろいの自然さ。フェードアウトする音に完璧にフェードインし、怒涛のように突き進む第9曲「バーバ・ヤーガの小屋」のおどろおどろしさに卒倒し、煌めく終曲「キエフの大門」冒頭のあまりの静音に嘆息が出るほど。この録音は、明らかに同収録のラヴェル編曲版を超える美しさ。
ひとりでも多くの人たちに聴いていただきたい逸品。

ムソルグスキー:
・組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編曲版)
クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1993.5&9録音)
・組曲「展覧会の絵」
アナトール・ウゴルスキ(ピアノ)(1991.7&10録音)

しかし、だからといってアバド&ベルリン・フィルの演奏が駄演ということでもない。
これほど機能的に完璧で、安心して耳にでき、ソフィスティケートされたムソルグスキー&ラヴェルは他にないだろう。(あまりに予定調和的であるがゆえ面白くないと言えばその通りだけれど)
ここはひとえにモーリス・ラヴェルの天才を再確認。

ウゴルスキの力量によって、それ以上にムソルグスキーの天才を感得したということ。名曲の名演奏。

 

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