ポリーニのシューマン「交響的練習曲」(1981.10&11録音)を聴いて思ふ

schumann_symphonische_etuden_pollini313ロベルト・シューマンの最高傑作。
自身をフロレスタンとオイゼビウスと称した作曲家の、おそらく最も充実していた、そして精神のバランスが中庸であったであろう時期の静かに煌めく変奏曲。どの瞬間も有機的な色合い濃く、闇の世界に閉じこもるでもなく、光彩に支えられるこの音楽は、強いて言うなら最後の変奏の唐突な爆発に違和感を覚えないでもないが、繰り返し聴くたびに発見があり、同時にシューマンの天才を知覚するものだ。

ショパンの遺作のノクターンに酷似する音調の(嬰ハ短調の)主題の、何という優しさ、何という哀しみ。
第1の練習曲には、僕にはマーラーの「巨人」の旋律が聴こえる。ロベルトが愛したジャン・パウルを軸にし、分裂的気質の二人がタイム・トリップによってつながるかのよう。
その後のどの練習曲(変奏曲)も実に浪漫的で美しく、当時のシューマンの充実度が手にとるようにわかる。

ちなみに、1837年の初稿では収録されなかった5つの変奏曲(遺作)を、ポリーニは第5練習曲と第6練習曲の間で一気に披露するが、この5つの変奏曲が聴く者に与える高揚感は、それこそクララへの愛の芽生えの象徴ではないのかと僕は想像する。特に、第5の変奏曲の「夕べに」にも似た夢想のピアニズムはシューマンの真髄であり、それを見事な腕で再現するポリーニの真骨頂である。

シューマン:
・交響的練習曲作品13(1837年初稿&5つの変奏曲〈遺作〉)(1981.10&11録音)
・アラベスク作品18(1983.6録音)
マウリツィオ・ポリーニ(ピアノ)

引き続き奏される、第6練習曲の抑圧からの解放と高鳴る激情に「子どもの情景」の木魂を聴く。何という音楽!!シューマンの創造力、ポリーニの再現力。
それにしても第11練習曲でのあまりの深沈たる抑鬱的表情に、一方で鬱気味のロベルトの深層を垣間見るよう。とはいえ、暗澹たる内向きのエネルギー、これがロベルトなのである。
陰陽、光と翳のタペストリー、全編を通じて繰り広げられる変幻自在の音楽は、ロベルト・シューマンの魂そのものであり、生き様そのものである。

そして一服の清涼剤のような「アラベスク」に感激。この安らぎと慰めと・・・。
ポリーニの演奏は少々技巧的に過ぎ、夢心地の雰囲気を後退させているのが気になるが、優れた演奏であることに違いはない。

ところで、交響的練習曲の主題はフォン・フリッケン男爵によるもので、当時ロベルトはその子女エルネスティーネと恋に落ちていたが、ほどなく別離。そこにクララ・ヴィークへの恋心が生じ、彼のエルネスティーネへの愛は一気に冷めるのである。

君(クララ)はこれまでの君とは違うようだ、より高いところにいるようにみえる。君はもう子どもじゃない。・・・エルネスティーネは僕から離れていったが、そうなるべきだったんだ。
モニカ・シュテークマン著/玉川裕子訳「クララ・シューマン」(春秋社)P52

楽曲の甘く切ないながら確固とした自信に溢れる調子は、この頃の作曲者の恋心から醸成されたものだろうか。

 

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