カルロス・クライバー指揮シュターツカペレ・ドレスデンのワーグナー「トリスタンとイゾルデ」を聴いて思ふ

wagner_tristan_kleiber確かに現実から切り離された仮想の人工的世界なのだが、憧憬に満ちるこの妖艶なやりとりは作曲者をしても想像し得なかった音楽的高みに達したシーンなのかもしれない。
第2幕第2場の、トリスタンとイゾルデの濃密な交わり。しかもこの死と表裏一体の愛の端緒は媚薬であるというところがミソ。クスリの力を借りないと人はひとつになれないものなのか、そして幻想という中でしか思考を超越できないものなのか。
少なくとも台本はワーグナーの男としての願望が露骨に現れているのだろう。
しかし一方、その音楽は・・・。

「トリスタン」はいまだに私には奇蹟です!これほどのものが作れたのが不思議に思えてくる一方です。「トリスタン」にもう一度、目を通してみたところ、私は驚嘆の念を禁じえませんでした全曲を上演しようとすれば、いったいどれほどの犠牲を払わなくてはならないことでしょうか。かつて経験したことのない苦労が目にみえるようです。というのも、包み隠さず言えば、私はここでわれわれの能力の限界をはるかに超え出てしまったのですから。
(1860年8月初頭、マティルデ・ヴェーデンドンク宛書簡)
名作オペラブックス7「トリスタンとイゾルデ」(音楽之友社)P210

1860年の「未来音楽」と題するリヒャルト・ワーグナーの公開書簡をひもとく。
「トリスタンとイゾルデ」創作にまつわる、彼自身の内側で起こった奇蹟が綴られており真に興味深い。天才とはまさに神の媒介者のことを言うのだろう。凡人には信じがたいことだが、自身でも意図せぬまま想念(楽想)が沸々と湧き上がり、いつの間にか想像以上の作品が現出していたという。これを「悟り」と言わずして何と表現するのか!

それは作品を仕上げながら、自分が自分自身のシステムをはるかに凌駕していることに気づく、という状況でした。嘘ではありません。ものを創る際に、このように完全に懸念から解放されているということこそ、芸術家の至福なのでありまして、私は「トリスタン」を仕上げるとき、この至福を感じたのです。・・・(中略)・・・ここで私は自分を信じ切って、もっぱら心の内奥の動きの淵へと身を沈め、ためらうことなく、この上なく深いこの世界の中心から、世界の外的フォルムを形成したのです。
~同上書P258

初演当初から世界を震撼させ、そして、その後もあらゆる人々に影響を与えた「トリスタンとイゾルデ」はワーグナー本人が言うように、奇蹟であり魔法である。

ところで、カルロス・クライバーの録音は(賛否両論あれど)名演として誉れ高い。この演奏はあくまでワーグナーの幻想を打ち砕く、真実の「トリスタンとイゾルデ」だ。何よりカルロスは、この劇的な、そしてエロスに溢れる音楽を極めて清潔にリリカルに表現することで、この物語の(クスリによる幻想が中心にあるという)ある意味「嘘」を見事に暴き、聴く者を冷静にさせ、客観的に対峙させてくれる。

・ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」
ルネ・コロ(トリスタン、テノール)
クルト・モル(マルケ王、バス)
マーガレット・プライス(イゾルデ、ソプラノ)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(クルヴェナール、バリトン)
ヴェルナー・ゲッツ(メーロト、テノール)
ブリギッテ・ファスベンダー(ブランゲーネ、ソプラノ)
アントン・デルモータ(牧人、テノール)
ヴォルフガング・ヘルミッヒ(舵手、バリトン)
エバーハルト・ビュヒナー(若い水夫、テノール)
ライプツィヒ放送合唱団
カルロス・クライバー指揮シュターツカペレ・ドレスデン(1980-82録音)

ワーグナーの楽劇中、唯一「神」という概念が表現されないのが「トリスタン」。究極の人間ドラマとして据えられるが、その分僕たちの共感を喚起し、音楽は純粋に直接に僕たちの心に届く。
終幕「イゾルデの愛の死」と同じ旋律をもつ第2幕第2場は、トリスタンとイゾルデが結びつくひとつのクライマックス。ここでもカルロスの棒は至って健康的で粘り過ぎることなくさらりとしている。しかし、ルネ・コロとマーガレット・プライスのここでの二重唱は真に聴きどころ。実に美しい。

それでは、もろともに死にましょう、
離れずに、
未来永劫に
一体になって、
目覚めも
怖れもなく、
言いようもなく(※一般的にはここは「名もなく」と訳されるが)
愛に包まれ、
たがいにふたりだけのものになって、
愛ひとすじに生きましょう!
日本ワーグナー協会監修/三光長治/高辻知義/三宅幸夫監訳「トリスタンとイゾルデ」(白水社)P87

そして、トリスタンの言葉に対して思い詰めた恍惚状態で彼を仰ぎ見ながらイゾルデは応える。

それでは、もろともに死にましょう、
離れずに―
~同上書P87

ちなみに、親ワーグナーから反ワーグナーへと転じたニーチェは、1888年の「『トリスタンとイゾルデ』について」において次のように語る。

この作品はまったくもってワーグナーの最高傑作である。彼は「マイスタージンガー」と「指環」によって、この「トリスタン」から癒された。健康になるということ―それはワーグナーのような人物においては退歩なのだ・・・。
名作オペラブックス7「トリスタンとイゾルデ」(音楽之友社)P277

ニーチェの観点からすると、カルロス・クライバーの健康的な演奏は失格だろう。
しかし、どんな解釈をも飲み込み是とする「トリスタン」の懐の深さを考えると、この録音は大いにありである。

 

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2 COMMENTS

畑山千恵子

クライバーの演奏はこのオペラのスタンダードなものとして推薦したい。キャスティングも素晴らしい。

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