朝比奈隆指揮都響のブルックナー交響曲第0番(1982.5.12Live)を聴いて思ふ

bruckner_0_asahina_tmso_1982343ブルックナーの第0番と呼ばれるニ短調交響曲は駄作か名作か。
作曲者自身は「まったく通用しない単なる試作」と銘打ったが、それでも本当に納得しないものならば出版を許すはずはない。

その番号のあり方ゆえに多分に誤解もあるのだろうが、実に聴きどころ満載の馴染みやすい作品。例えば、ここには第3交響曲の木魂が聴こえ、第7交響曲のそれまでもが聴きとれる。あるいはまた、その数年前に作曲した第1交響曲と相似の瞬間も多々。ともかくブルックナー作品の萌芽が至るところに感じられ、いわば生涯にわたって独自の書法をもって交響曲を書き綴ったこの天才の頭の中を垣間見ることができる名作なのである。
第1楽章アレグロの、爆発と沈潜を繰り返す、いかにもブルックナーらしい音楽に、作曲者が若くして既に完成していたこと、逆に言うとこの人の思考は生涯変わることのなかった純粋さを秘めたものであったことを知る。
最高峰は第2楽章アンダンテ。何という切なさ、何という哀しみ。人間ブルックナーの深層を言い当てる朝比奈の思い入れと愛情に満ちたこの優しい音楽にずっと浸っていたいくらい。
第3楽章スケルツォは後年のそれに通じる野人の舞踏、そしてトリオにおける自然の逍遥(後年の高みには達していないが、ブルックナーが自然を愛する人であることが音楽からわかる。また何より、朝比奈隆がブルックナーを本当に愛していることまでが伝わる)。
そして、終楽章序奏は何とも哀惜に溢れる表現で、主部アレグロ・ヴィヴァーチェとの対比が見事。宇宙の鳴動を聴け。朝比奈隆の心を感じよ。ブルックナーは終楽章で一気に解放するのである。

・ブルックナー:交響曲第0番ニ短調(1869年ノヴァーク版)
朝比奈隆指揮東京都交響楽団(1982.5.12Live)

武骨ながら朝比奈隆はブルックナーの扱いがとても上手い。途切れ途切れでごつごつしたフレージングに、ふと聴き慣れた旋律が浮かび上がる瞬間の安堵感。アントン・ブルックナーの音楽を愛する者が共通に感じるであろう「安心の魔法」が全編にわたって効いているのだから朝比奈隆はやっぱりブルックナーの伝道師だ。

1,2,3は、そう言ってよければ初期で、シンフォニーの作曲家として、あの人スラッと書いたんじゃないと思うんです。そうすると愚直さでやらなきゃならないわけですよ。スラッと聴こえるようにしようと思うと、作品に手を加えなければならないことになりますから、たどたどしいところはたどたどしく演奏しなけりゃいけない。私の懇意なドイツの音楽家で、初期の3曲しか好きじゃないという人がいますよ。それは、初期の、たどたどしいけれども純粋で、一つの音を大切にして展開していくところが好きなんだと。
「指揮者の仕事―朝比奈隆の交響楽談」(実業之日本社)P163

1981年のインタビューで朝比奈はこう語っている。
あえて第0番についての言及はないものの、まさに愚直で、たどたどしいけれど純粋で、一つの音を大切に展開していく第0番こそ朝比奈隆に打ってつけの交響曲であったと思われる。
しかし残念ながら、この9日後の札響との実演(最近Fontecからリリースされたのでこの演奏についてはいずれまた書こう)を最後に御大はこの作品をどういうわけか生涯封印する。

ところで、朝比奈が第0番については他の諸交響曲と同列にはできない劣った作品だというような発言をどこかで見た記憶があるのだが、果たしてどうだったか?少なくとも僕は作曲者本人が言うような「単なる試作」とは思えない。いわんや朝比奈隆の演奏をや。

 

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3 COMMENTS

neoros2019

先日、ブルックナー愛好会消滅以降、都内で残党の一部の方々とブルックナー交流会と銘打って鑑賞会をささやかながら続けているのですが、そこでリーダーの方が持ってきたのが
岡本さんが記事で触れておられる札幌響の81年度収録の0番でした。
タワーレコード限定商品ということで商業的には採算合わんのだろうなと余計な心配で頭を巡らしながら全曲聴きおおせました。
かつて小泉純一郎氏が中央公論に、軽くブルックナーについてふれる寄稿した文章がありました。
そこで「ブルックナーの主力3~9のシンフォニーを自家薬籠中になるまで聴きこんだ人が
ヘ短調や0番、1番、2番の魅力にたどりつくんだよな」とか語られていました。
わたしも同意見です。
ブルックナーの小川のせせらぎを想わせる若い感性が充分聴いてとれます。

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岡本 浩和

>neoros2019様
小泉さんがそんなことをおっしゃっているのですね。
確かにその通りだと思います。
「ブルックナーの小川のせせらぎを想わせる若い感性」とは言い得て妙です。
ありがとうございます。

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