朝比奈隆指揮新日本フィルのブラームス交響曲第1番(2000.9.11Live)を聴いて思ふ

brahms_asahina_njpo_2000朝比奈隆の音楽は、特に晩年、日毎に鮮烈になっていった。レパートリーを絞り込み、繰り返し同じ作品を舞台にかけるという徹底さ。力が収斂され、そして音楽として解放される様を幾度体感したことか。

人間は誰しも全人的能力を秘めているのである。
しかし、ほとんどが使われず、抑圧の憂き目に遭っているのだが、音楽こそがその失われた才能を開花させる術なのではないかと思われるほど。

新日本フィルハーモニー交響楽団との最後のブラームス・ツィクルスは、そのどれもが後にも先にも存在しない朝比奈隆の真骨頂を記録した。例えば、第1回目の、伊藤恵をソリストに迎えた第1協奏曲の重厚で奥深い表現に僕は心を震わせた。しかしそれ以上に、休憩を挟んでの第1交響曲の若々しさとほとばしるエネルギーに度肝を抜かれた。第1楽章序奏ウン・ポコ・ソステヌートの前進性、ティンパニの響きの意味深さ!そして、主部アレグロの壮絶で大胆な音楽運び!!おそらくオーケストラの団員たちは必死だっただろう。そうでなくてもわかりにくいと言われる朝比奈の棒にピタッとついていき、フレージングや強弱の移ろいを完全なものとし、朝比奈のブラームスの最後の輝きを見事に演出したのだから。

2000年の交響曲第1番を聴いた。

・ブラームス:交響曲第1番ハ短調作品68
朝比奈隆指揮新日本フィルハーモニー交響楽団(2000.9.11Live)

粘ることなくどちらかというとあっさりと進められる第2楽章アンダンテ・ソステヌートは可憐でやはり美しい。
朝比奈隆は語る。

構成としては、むしろ真中の第2楽章、第3楽章が、ブラームスのピアノ作家らしい音楽ですね。特に第2楽章が。第3楽章だって大変上手に出来てると思うんです。小品ですけどね。第2楽章は時間は短いけど、やはり大きな表現力が具わっている。ベートーヴェンじゃちょっと、あの手はできないですね。だからまあ、やっぱり立派な交響曲作曲家じゃないでしょうか。
「朝比奈隆交響楽の世界」(早稲田出版)P150-151

さすがに朝比奈さんはうまいことをおっしゃる。中間2つの楽章においてブラームスはピアノで考え、ピアノで語るのである。納得。
白眉は終楽章!!1990年のツィクルスでは18分24秒かけていた音楽が実に16分51秒で紡がれる。解放のコーダに向けて突き進むこの一気呵成さこそが最晩年の朝比奈隆の特長であり、抑圧されたものを吹っ飛ばすほどの勢い。
それでいて主部アレグロ・ノン・トロッポ,マ・コン・ブリオにおける主題の柔らかさと優しさ!!
何というエネルギーの放出。何という魂の慟哭。そして、音楽に奉仕する92歳の御大のパッション!!

終演後の、熱狂的拍手喝采を聴いて思わずあの夜あの瞬間の音楽を思い出した。
ああ生きていてよかった。

よく昔から生ける証しという言葉がございます。自分が生きているということは素晴らしいと思うことがいろんな時にあると思うんです。たとえば自分が大きな仕事をやりとげた時とか。りっぱな学問をしたとか、人のために非常にいいことをしてあげたとか、なにか自分がしたことで心からうれしいことがあるとそれが一種の生ける証しです。昔でしたら、国のために戦って死ぬことがそうかもしれませんし、あるいはその他いろいろあると思いますが、音楽聴いて感動することも、やはり、ああ生きていてよかったということになるのではないかと思います。
朝比奈隆「音楽と私―クラシック音楽の昨日と明日」(共同ブレーンセンター)P243-244

 

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