ティーレマン指揮バイロイト祝祭管の楽劇「ジークフリート」(2008.7&8Live)を聴いて思ふ

wagner_siegfried_thielemann_2008345さすがに「音楽さえ良ければ演出など関係ないのだ」というだけあって、(音楽だけを聴く限りにおいて)クリスティアン・ティーレマンの「ニーベルンクの指環」は本当に素晴らしい。何より4部作全部を俯瞰しての「全体観」に優れ、音楽が非常に見通し良い。

第2夜「ジークフリート」を聴く。
この楽劇は登場人物が森の小鳥を含めてわずか8人ということもあり、また物語の展開そのものが単調で、とっつきにくいきらいがなきにしもあらず。しかし逆に、それゆえにこそ歌手それぞれの力量が問われ、音楽上は「指環」全体の是非を左右するほどの鍵であるともいえる。その意味では2008年のバイロイト音楽祭での舞台は、ティーレマンの読みの深さもあり、管弦楽の深みも各々の歌手の歌も抜群で非の打ちどころがない。

ちなみに、「ジークフリート」はその第2幕までと第3幕以降との間には12年もの中断期間がある。果たしてその時間の意味するところは大きいのだが、三宅幸夫氏はこの件について次のように推測する(あくまで1982年当時)。

しかし、これにはもう一つ大きな理由があるように思えてならない。ワーグナーが「ラインの黄金」、「ワルキューレ」、そして「ジークフリート」と書き進めて来たとき、ある種の行き詰まりを予感したということは考えられないだろうか。
ロマン的歌劇「ローエングリン」のように、様式の均一性をもって全曲を押し通すことは、「指環」の場合不可能である。様々なスタイルの音楽を組み合わせ対照させてこそ、この巨大な複合体であるドラマが実現されるのである。「ジークフリート」のいくつかの場面では、ドラマが要求するように、当然「ワルキューレ」とは異なる新しい音楽が必要となってくる。例えばジークフリート=ブリュンヒルデの対話にみられるエクスターゼが、「トリスタン」を経て初めて可能なことは、誰の目からも明らかであろう。もし当時ワーグナーが書き続けていたとすれば、この場面は「ワルキューレ」第1幕、この場面は「ワルキューレ」第1幕、ジークムント=ジークリンデの対話のスタイルと大きな違いはなかったはずである。
~「レコード芸術」1982年5月号(音楽之友社)P181-182

首肯。言及通り、楽劇「ジークフリート」のクライマックスは第3幕第3場のジークフリートとブリュンヒルデの対話と、そこで紡がれる迫真的で見事なワーグナーの音楽にある。そしてまた、ここでのティーレマンの思い入れたっぷりでありながら、ワーグナーの思惑通りの情景を音楽によって見事に再現する凄腕に快哉を叫ばずにいられない。

しかしながら、あえて僕はこの時のこの舞台の素晴らしさは第1幕第1場のミーメとジークフリートの(その後の物語を劇的に左右する)極めて自己開示的な対話にあると断言する。

ところで、ミーメよ、一体、
お前の愛する妻は、どこにいるのだ、
私が、母と呼べる人は?
天野晶吉訳「ニーベルンクの指環」(新書館)P103

いいか、今や、私自身にも、
わかってきたぞ、
前は、考えても、わからなかったことが。
お前を捨てて、
森の中へ駆けて行っても、
どうして、私が、ここへ戻って来るのかということが。
まず、お前から、聞かねばならぬからだ、
私の父や母が、誰かということを!
~同上書P104

この後、ミーメから「ジークフリート」という名の所以を聞き、母がジークリンデと名乗ったことを知ったジークフリートに、ついに自我が芽生えるのである。

この森から出て、
世界へ出ていくんだ、
もう二度と、帰っては来ないぞ!
どんなに、うれしいことか、
自由になって、
何も、私を縛りつけたり、強制するものがないとは!
私の父では、お前はない、
私の故郷は、遠くにあるのだ。
~同上書P106

静かでありながら、実に内面から沸々と勇気と情熱が滲み出るこのシーンの音楽こそクリスティアン・ティーレマンの真骨頂。そして、ミーメを演じるゲルハルト・ジーゲルの巧さ、同時にジークフリートに扮するステファン・グールドの情感豊かな表現力!!

・ワーグナー:楽劇「ジークフリート」
ステファン・グールド(ジークフリート、テノール)
ゲルハルト・ジーゲル(ミーメ、テノール)
アルベルト・ドーメン(さすらい人、バリトン)
アンドリュー・ショア(アルベリヒ、バリトン)
ハンス=ペーター・ケーニヒ(ファフナー、バス)
クリスタ・マイヤー(エルダ、アルト)
リンダ・ワトソン(ブリュンヒルデ、ソプラノ)
ロビン・ジョハンセン(森の小鳥、ソプラノ)
クリスティアン・ティーレマン指揮バイロイト祝祭管弦楽団(2008.7&8Live)

「己を知る」ことは人生における万人の共通テーマであることを思う。
また、第3幕最終場におけるジークフリートとブリュンヒルデの対話の、生に漲る美しさもこの舞台の見せ(魅せ)所。終盤のオーケストラの咆哮と洪水に心が揺さぶられる。
終演後の聴衆の怒涛の拍手喝采がこの時の演奏の凄まじさを物語る。

 

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