パブロ・カザルス「ホワイトハウス・コンサート」(1961.11.13Live)を聴いて思ふ

the_concert_at_the_white_house_casals346音楽の源が信仰であり、舞踊であることを知る。
また、音楽が国境を越え、人の心や魂をひとつにする効能を持つものであることをあらためて確認する。巷間語り尽くされるこのコンサートについてもはや僕が特別書くことはない。しかしながら、あえて語らせていただく。

J.F.ケネディ大統領の招聘を受け、パブロ・カザルスがホワイトハウスで行った演奏会の記録、そして、その場の空気を一変させたであろう熱く慈悲深い音楽を耳にして思った。
音楽とは、慈しみの魂であり、恵みの心だと。

メンデルスゾーンのトリオに始まり、クープランを経てシューマンへと続くプログラミングの妙。その日その時、会場にはケネディ大統領夫妻をはじめとし各界の重鎮が集まったという。音楽界からはサミュエル・バーバーやレオポルト・ストコフスキー、レナード・バーンスタインら錚々たる顔ぶれが。もちろん一般には非公開。まさに一期一会的時間と空間が繰り広げられたことになる。
そして何より大事なことは、時代がキューバ危機の1年近く前であったこと、すなわち東西冷戦の最中であったことである。

カザルスは音楽を通じて何を訴えたかったのか?そして、何を訴えたのか?

われわれはスペインについて語り合った―幼い子供にいたるまで、全住民がすすんで舞踏に加わるセビリャの縁日の話。あるいは静まりかえった街の迷路や、日陰の中庭をもつコルドバの話。カザルスは肘掛け椅子に背をもたせかけ、「コルドバは美しい、ほんとうに美しい」と溜息をついた。しかしスペイン市民戦争の話になると、雰囲気は一変した。これらの回想に深く感動し、しばらく瞑想したのち震える声で言った。「音楽があり―そして自然があって、なんと感謝していいのだろう。」
デイヴィッド・ブルーム著/為本章子訳「カザルス」(音楽之友社)P215

彼は自然を愛した。決してぶつかることのない自然を。そしてまた、そのことを多くの人々に伝えるべくチェロを弾き、指揮をした。

しかもカザルスは、アメリカ合衆国では1938年以来、公の席での演奏を中止していたのである。祖国スペインのフランシスコ・フランコ独裁政権を承認する国では絶対に演奏会を開かない、というのが老巨匠の信条であった。
~ライナーノーツ

カザルスにとってこのコンサートの意義は大きかった(本当は合衆国にとっても)。そういった背景を知った上で聴くメンデルスゾーンの、クープランの、シューマンの意味深さ。アンコールで奏された、時折壮絶な唸り声を伴った「鳥の歌」の素晴らしさ・・・。

パブロ・カザルス「ホワイトハウス・コンサート」
・メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲第1番ニ短調作品49
・クープラン:チェロとピアノのための演奏会用小品
・シューマン:アダージョとアレグロ変イ長調作品70
・カタロニア民謡(カザルス編):鳥の歌
パブロ・カザルス(チェロ)
ミエチスラフ・ホルショフスキー(ピアノ)
アレクサンダー・シュナイダー(ヴァイオリン)(1961.11.13Live)

メンデルスゾーンのトリオ、第1楽章モルト・アレグロ・エト・アジタート冒頭、チェロによって紡がれる旋律にみる奥深い愛情。ここには音楽を愛する老チェリストがあり、音楽によって世界の調和を訴えかけようとするひとりの人間があった。楽器と楽器が激しくぶつかり合う様、同時に音と音とが見事に融け合う様。人と人とも、人と自然とも最終的につながれば良いのだと言わんばかりの音楽。真に素敵。
また、シューマンの作品70に見る深い祈りと瞑想。深沈と佇むピアノの上をチェロが美しく流れるような旋律を奏でる様子に、その時その場にいた合衆国の人々は何を思ったのか?

アンコールの「鳥の歌」において、カザルスのチェロは泣く。何と哀しく優しい音楽であることか。何と透明な音楽であることか。音楽があって、そして自然があって・・・平和の鳥は羽ばたくのだ。
ちなみに、フランソワ・クープランの「演奏会用小品」は、バロック期の作品とは思えぬ重みと深みをもって奏される。ホルショフスキーのピアノ伴奏に聴こえる哀しみ。

 

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